創業社長の関係
創業
1898年10月、21歳の薬剤師 熊田佐一郎氏が神戸市元町で熊田三星堂薬舗を開業し、1923年5月に資本金20万円で株式会社三星堂となった。1931年3月に末弟の熊田庸三氏が退陣して創業兄弟は経営から離れ、1928年から1949年までの21年間は社長を置かず代表取締役専務が最高責任者を務めた。2000年4月に東京のクラヤ薬品・東京医薬品と合併して社名も本店も入れ替わり、創業家の系譜は残っていない。
社長登用の傾向
社長任期の傾向
いまの体制への含意
含意
2006年3月期は仕入先の武田薬品工業が8.74%で筆頭株主だったが、FY25の上位は信託銀行と海外の運用会社が占め、事業会社は小林製薬2.48%だけになった。取引先が株主として口を挟む構図は薄れ、社長は子会社メディセオの社長経験者から内部で選ばれている。
| 氏名 | 社長在任期間 退任年は推定 | 在任年数 推定 | 状況 | 出自 | 役職 | 在任中の決断 | 施策 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 熊倉貞武(2002年就任) | 2002〜2012年2002年就任 | 10年 | 退任 | — | 代表取締役社長 | 決断2005年パルタックの完全子会社化2009年メディパルHDへ移行 | |
| 渡辺秀一(2012年就任) | 2012年〜現任2012年就任 | 15年 | 現任 | 生え抜き | 代表取締役社長 | 1979年8月に入社し、11年後の1990年12月に取締役、1994年12月に常務取締役へ進んだ。2004年4月からは傘下のメディセオ代表取締役社長を兼ね、8年にわたり卸の現場を預かった。持株会社側では2008年6月に専務取締役、2011年4月に代表取締役副社長へ上がり、翌年に社長へ就任した。2006年3月期・2010年3月期とも大株主上位10位に渡辺氏の名は無く、資本を伴わない生え抜きの昇進である。 |