メディパルホールディングス の歴史

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創業 1898年
創業者
創業地 神戸市
創業
1898年10月、神戸市で医薬品卸の三星堂が創業した。神戸は神戸税関を通じて横浜・大阪と並ぶ洋薬の集散地で、輸入薬を仕入れて関西の医療機関へ流す立地にあたる。1923年5月、資本金20万円で株式会社三星堂が設立された。創業者の氏名は現存の有価証券報告書に残らず、沿革の記載は『神戸市に創業』の一文にとどまる。近畿・北陸を地盤とする地域卸として1995年9月に東証・大証二部へ上場し、2000年4月、東京のクラヤ薬品・東京医薬品と3社で合併し、商号をクラヤ三星堂へ改めて本店を神戸から東京都中央区へ移した。創業から102年目に、地盤も社名も本店も入れ替わっている。
決断
規模を足す合併ではなく、扱う商材を足すことで利幅を保ってきた。2000年の三社合併で売上高は1兆730億円に達したが、初年度の営業利益は19億円にとどまり、規模と利幅が別の問題であることが発足直後に表れた。2005年10月、日用品卸最大手のパルタックを株式交換で完全子会社化し、商号をメディセオ・パルタックホールディングスへ改めた。熊倉貞武社長は狙いを業種卸から業態卸への転換と説明し、6兆円の医薬品市場を13兆円の健康市場へ広げると述べた。2008年10月に発表した業界2位アルフレッサホールディングスとの統合は、公正取引委員会の審査の長期化を理由に3か月で白紙となり、2009年10月には純粋持株会社メディパルホールディングスへ移行して、卸6社を1社へまとめた。同業を集めて利幅を戻す道は公正取引委員会に断たれ、以後の成長は医薬品の外にある商材から来ている。
現況
売上高の3分の2を占める医薬品卸は、利益では日用品卸に抜かれている。2026年3月期の売上高3兆8,173億円のうち、医療用医薬品等卸売事業が2兆4,624億円、化粧品・日用品・一般用医薬品卸売事業が1兆2,375億円、動物用医薬品・食品加工原材料等が1,173億円である。セグメント利益は242億円・264億円・23億円で、売上高では医薬品卸の半分の日用品側が、利益では上回った。利益率にすると0.99%と2.14%で、薬価改定が2年に1度利幅を削減する側と、削減されない側の差がそのまま出ている。2026年5月、メディパルは日用品卸のPALTACを1株6,650円・総額約1,925億円の公開買付けで完全子会社化すると公表し、2010年に単独上場させた子会社を資本ごと戻すと決めた。
競合
同じ薬を同じメーカーから仕入れる4社の差は、医薬品の外にある。医療用医薬品卸はメディパルとアルフレッサホールディングススズケン東邦ホールディングスの4社へ集約され、価格の決定権は全国展開する調剤薬局チェーンとドラッグストアへ移った。2年に1度の薬価改定で薬価差は1993年の19.6%から1999年に9%前後まで縮み、卸の社数は1987年の434社から1997年に277社へ減っている。2008年に発表したアルフレッサとの統合は売上高4兆円・シェア5割の構想だったが、公正取引委員会の審査で消えた。4社が同じ薬を同じ値幅で運ぶ以上、差は医療機関の外にどんな売場を持つかで決まる。
メディパルホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 神戸発の医薬品卸が東京中央へ向かう105年 (1898年〜)

神戸三星堂の創業と医薬品流通の戦前期

1898年10月、神戸市に三星堂が創業した。明治政府による医薬品取引の近代化が進展し、洋薬輸入が横浜・神戸・大阪の港湾都市を中心に拡大していた時期で、創業地の神戸は神戸税関を起点とした洋薬の集散地となっていた。創業の正確な経緯・初代経営者の人名は、メディパル現存の有価証券報告書では明示されていない。沿革記載は『1898年10月、神戸市に創業』[引用元]の一文にとどまる。神戸創業の三星堂は、明治期から大正期にかけての医薬品卸として、薬問屋から洋薬商社へ事業形態を切り替えていく西日本拠点の一翼を担った。 [1][2]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1898年10月 神戸市に三星堂(源流)が創業
    • [2]創業の正確な経緯・初代経営者名は有報沿革で明示されず(沿革は『1898年10月、神戸市に創業』の一文のみ)。本文記述は資産と整合

1923年5月、株式会社三星堂が資本金20万円で設立された。法人化により医薬品卸売業として本格的な事業基盤を整え、神戸を本拠としつつ西日本一帯への流通網を伸長させた。明治期から大正期にかけての医薬品卸は、メーカーから小売薬局・病院への中継機能を担い、洋薬国産化の進展に応じて取扱品目を拡張した。三星堂も法人化に伴って薬問屋から株式会社化された卸商社へと組織を切り替え、戦前医薬品流通の一翼を構成した。1923年の関東大震災で東京の医薬品流通網が壊滅状態に陥ったタイミングにあたり、神戸を含む西日本の卸が東日本への医薬品供給を補完する役割を果たした。 [3][4]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1923年5月 株式会社三星堂を資本金20万円で設立(法人化)
    • [4]設立時資本金20万円

戦中・戦後の医薬品統制経済期は、医薬品配給統制会・日本医薬品株式会社の下で全国卸の編成が進んだ局面で、戦後の統制撤廃後に三星堂を含む地域卸が独立営業を再開した。1950年代から1980年代にかけては、医療用医薬品の高度成長期と健康保険制度の拡充に支えられ、医薬品卸は薬価差を主要収益源とする取引慣行を維持しつつ、メーカー専売制(特定卸が特定メーカーの製品を独占的に扱う慣行)を保持していた。三星堂もメーカー専売関係を基盤とする地域卸として、神戸・大阪を中心とした関西圏で事業基盤を維持した。

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1898年10月 神戸市に三星堂(源流)が創業
    • [2]創業の正確な経緯・初代経営者名は有報沿革で明示されず(沿革は『1898年10月、神戸市に創業』の一文のみ)。本文記述は資産と整合
    • [3]1923年5月 株式会社三星堂を資本金20万円で設立(法人化)
    • [4]設立時資本金20万円

東京証券取引所への上場と全国卸への転換

1995年9月、三星堂は東京証券取引所および大阪証券取引所の各市場第二部に株式を上場した。資本市場へのアクセス確保により、後の業界再編に必要な資金調達と買収通貨としての株式の流動性を獲得した。続く1997年9月には東証・大証の市場第一部に指定替えとなり、神戸発の医薬品卸が主要市場区分に到達した。1995年の上場は、阪神・淡路大震災の発生年でもあり、神戸を本拠とする企業として震災復興と全国流通網の再構築という二つの命題を同時に背負った時期にあたる。震災で被災した関西圏の医療機関への医薬品供給責任を果たしつつ、上場による経営インフラ整備を同時に行った。 [5][6]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1995年9月 三星堂が東証・大証の各市場第二部に株式上場
    • [6]1997年9月 東証・大証の各市場第一部に指定(指定替え)

医薬品卸業界は1990年代後半から再編期に入った。全国卸のスズケン・東邦HD・アルフレッサHD・メディパル系の四強体制が形成される過程で、地域卸の統合・全国卸への吸収が連続した。三星堂もこの再編の主体となり、東京を本拠とする卸との合併を視野に入れた経営判断を行った。1992年の薬価改定で医薬品卸の利幅が二桁%で圧縮され、地域卸単独での生存が困難になった事業環境が、業界再編の経済的駆動力となった。卸4強体制への集約は、薬価差縮小局面での生き残り策として業界全体の必然となっていた。

2000年4月、三星堂はクラヤ薬品・東京医薬品と三社合併して商号を株式会社クラヤ三星堂に変更し、本店を東京都中央区に移転した。神戸発の地域卸が東京中央へ本社を移し、全国卸の中核を構成する三社統合となった。クラヤ薬品は東京を本拠とする戦前から続く医薬品卸で、メディパル現任社長の渡辺秀一氏が1979年に入社した会社にあたる。東京医薬品も都内中堅卸で、三社統合はそれぞれの取引網・メーカー専売関係を一体化する事業統合だった。商号『クラヤ三星堂』は二社の社名を並記する形で、対等合併の建て付けを示すブランド設計でもあった。 [7][8]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [7]2000年4月 三星堂がクラヤ薬品・東京医薬品と合併し商号を株式会社クラヤ三星堂へ変更、本店を東京都中央区に移転
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [8]渡辺秀一は1979年(8月)クラヤ薬品に入社(現任社長=役員経歴と整合)
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1995年9月 三星堂が東証・大証の各市場第二部に株式上場
    • [6]1997年9月 東証・大証の各市場第一部に指定(指定替え)
    • [7]2000年4月 三星堂がクラヤ薬品・東京医薬品と合併し商号を株式会社クラヤ三星堂へ変更、本店を東京都中央区に移転
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [8]渡辺秀一は1979年(8月)クラヤ薬品に入社(現任社長=役員経歴と整合)

地域卸の連続買収による全国網の充実

クラヤ三星堂は2003年から地域卸の連続買収を行った。同年3月の潮田三国堂薬品の完全子会社化(後に潮田クラヤ三星堂へ改称)、同年9月の井筒薬品・平成薬品の完全子会社化(井筒クラヤ三星堂へ改称)と、地域卸の取り込みを連続で実施した。地域卸吸収は薬価差縮小局面で個別卸の収益性が低下していた事情を反映しており、規模の経済による物流効率化・在庫圧縮を狙った再編だった。同年12月には大阪証券取引所の市場第一部の株式を上場廃止し、東証一本化により上場維持コストを圧縮した。三社合併から3年で全国網が伸長した。 [9][10][11]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [9]2003年3月 潮田三国堂薬品を完全子会社化(後の潮田クラヤ三星堂)
    • [10]2003年9月 井筒薬品・平成薬品を完全子会社化(後の井筒クラヤ三星堂)
    • [11]2003年12月 大阪証券取引所市場第一部の株式を上場廃止(東証一本化)

医薬品卸の収益構造は、メーカーから仕入れる仕切価格と、医療機関・調剤薬局へ販売する納入価格との差額(薬価差)が中心で、薬価改定(厚生労働省による2年に1度の薬価引き下げ)のたびに利幅が圧縮される構造を持つ。全国卸4社体制への集約は、薬価差縮小局面での生き残り策として業界全体の必然となっていた。クラヤ三星堂は東京移転後の3年間で地域卸4社を吸収し、関東・東海・関西の医薬品卸ネットワークを一本化した。買収手法は完全子会社化が中心で、被買収卸の地域取引関係を温存しつつブランドだけ統一する段階的統合だった。

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [9]2003年3月 潮田三国堂薬品を完全子会社化(後の潮田クラヤ三星堂)
    • [10]2003年9月 井筒薬品・平成薬品を完全子会社化(後の井筒クラヤ三星堂)
    • [11]2003年12月 大阪証券取引所市場第一部の株式を上場廃止(東証一本化)

持株会社制移行とメディセオHD成立

2004年は同社の構造転換が連続した。2月、株式会社よんやくならびに中澤氏家薬業との経営全般にわたる業務提携で関東・東北の医薬品卸との連携強化を進展させ、4月には株式会社エバルスならびに株式会社アトルを完全子会社化した。エバルスは中国・四国地区、アトルは九州・沖縄地区の医薬品卸で、両社の取り込みにより西日本の医薬品卸ネットワークが揃った。これら買収は薬価差縮小に対する規模化対応として実行され、全国卸の中で取扱高シェア上位の基礎となった経営判断だった。買収先の地域卸はそれぞれ地元医療機関との長年の取引関係を保有しており、人的関係を含む取引基盤の取り込みでもあった。 [12][13]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [12]2004年2月 よんやく・中澤氏家薬業と経営全般にわたる業務提携
    • [13]2004年4月 エバルス・アトルを完全子会社化

同年10月、会社分割により持株会社体制へ移行し、商号を株式会社メディセオホールディングスへ変更した。医薬品卸事業は新設会社のクラヤ三星堂が承継し、HDは事業会社の経営管理に特化する形へ再編した。『メディセオ』の名称は medi(医薬)と seo(前進・seo は古英語『探求』由来とも)の合成で、医薬品卸の新ブランドとして定着させる狙いがあった。持株会社化はM&Aの追加実行に必要な機動性と、子会社化による既存ブランドの温存を両立させる組織形態で、医薬品卸業界では先行する東邦HDに続く動きとなった。 [14]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [14]2004年10月 会社分割で持株会社体制へ移行、商号を株式会社メディセオホールディングスへ変更(医薬品卸事業はクラヤ三星堂が承継)

2005年10月、メディセオHDは株式会社パルタックを完全子会社化し、商号を株式会社メディセオ・パルタックホールディングスに変更した。パルタックは大阪を本拠とする日用品・化粧品・一般用医薬品(OTC)卸の最大手で、医薬品卸専業だったメディセオに日用品流通網が加わり、医薬・日用の二本柱体制が成立した。パルタックは大阪・神戸の繊維問屋街発祥の日用品卸で、ドラッグストアチェーン・量販店向けの広域流通網を保有していた。医薬品卸が日用品卸最大手を取り込む業界横断の再編は、ドラッグストア業態の成長(医薬品と日用品の混合販売)に応じた事業ポートフォリオ構築でもあった。 [15]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [15]2005年10月 パルタックを完全子会社化、商号を株式会社メディセオ・パルタックホールディングスへ変更
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [12]2004年2月 よんやく・中澤氏家薬業と経営全般にわたる業務提携
    • [13]2004年4月 エバルス・アトルを完全子会社化
    • [14]2004年10月 会社分割で持株会社体制へ移行、商号を株式会社メディセオホールディングスへ変更(医薬品卸事業はクラヤ三星堂が承継)
    • [15]2005年10月 パルタックを完全子会社化、商号を株式会社メディセオ・パルタックホールディングスへ変更

動物用医薬品・日用品の集約と現社名「メディパル」確立

2007年1月、メディセオ・パルタックHDは丸善薬品株式会社を完全子会社化した。丸善薬品は動物用医薬品卸で、家畜・伴侶動物向けの医薬品流通網を取り込むことで、医薬品卸の対象動物種を人間以外にも拡張した。続く2008年1月の株式会社コバショウ完全子会社化、4月のパルタック・コバショウ合併(商号パルタックKSへ変更)、12月の東七株式会社との業務提携と、日用品・食品関連卸の取り込みが続いた。東七は食品・調味料卸で、後の2023年完全子会社化への布石を打った提携だった。HD化2年で買収案件4件を立て続けに完了させたペースであった。 [16][17][18][19]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [16]2007年1月 丸善薬品を完全子会社化(動物用医薬品卸)
    • [17]2008年1月 コバショウを完全子会社化
    • [18]2008年4月 パルタックを存続会社にコバショウと合併、商号をパルタックKSへ変更
    • [19]2008年12月 東七株式会社と経営全般にわたる業務提携

2009年4月、株式会社パルタックKSの商号を株式会社Paltacへ変更し、日用品卸事業のブランド統一を行った。同年10月は同社の構造転換の節目となり、会社分割により医薬品卸事業をクラヤ三星堂に承継し、商号を株式会社メディパルホールディングスへ変更、子会社統合により株式会社メディセオへ改称した。『メディパル』は medi(医薬)と pal(pal は英語の『親友・仲間』、医療従事者・取引先との伴走を含意)の合成で、医薬品卸を超えた総合ヘルスケア商社への意思を込めたブランドであった。創業の三星堂・東京のクラヤ薬品・大阪のパルタックの三系統が、ようやく一つのHD名称の下に統合された節目だった。 [20][21]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [20]2009年4月 パルタックKSの商号を株式会社Paltacへ変更
    • [21]2009年10月 会社分割で医薬品卸事業をクラヤ三星堂に承継、商号を株式会社メディパルホールディングスへ変更、子会社統合で株式会社メディセオへ改称
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [16]2007年1月 丸善薬品を完全子会社化(動物用医薬品卸)
    • [17]2008年1月 コバショウを完全子会社化
    • [18]2008年4月 パルタックを存続会社にコバショウと合併、商号をパルタックKSへ変更
    • [19]2008年12月 東七株式会社と経営全般にわたる業務提携
    • [20]2009年4月 パルタックKSの商号を株式会社Paltacへ変更
    • [21]2009年10月 会社分割で医薬品卸事業をクラヤ三星堂に承継、商号を株式会社メディパルホールディングスへ変更、子会社統合で株式会社メディセオへ改称

三本柱体制の完成と日用品卸への利益依存

2010年3月、株式会社Paltacが東京・大阪両証取に上場し各市場第一部に指定された。日用品卸子会社の単独上場は、メディパル本体(医薬品卸)とPaltac(日用品卸)の親子上場体制を成立させた。親子上場は資本市場から利益相反の温床と批判される構造だが、Paltacの日用品卸専業としての独立性を担保し、ドラッグストア・量販店との取引における中立性を維持する経営判断だった。同年4月には丸善薬品・エバルスアグロテック・アトルの動物用医薬品事業を統合してMPアグロ株式会社へ改組し、複数の地域卸が個別に保有していた事業を集約した。これでメディパルは医薬品卸(メディセオ系)・日用品卸(Paltac系)・動物用医薬品卸(MPアグロ系)の三本柱を整え、ヘルスケア商社としての事業ポートフォリオを固めた。 [22][23][24]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [22]2010年3月 Paltacが東京・大阪両証取に上場し各市場第一部に指定(親子上場)
    • [23]2010年4月 丸善薬品・エバルスアグロテック・アトルの動物用医薬品事業を統合しMPアグロ株式会社へ改組
    • [24]医薬品卸(メディセオ系)・日用品卸(Paltac系)・動物用医薬品卸(MPアグロ系)の三本柱という整理は本文の枠組み(各社存在は資産で確認)

2012年4月、渡辺秀一氏が代表取締役社長へ昇格し(前任は熊倉貞武氏、有報抽出範囲のFY05〜FY11在任)、メディパル代表取締役社長と㈱メディセオ代表取締役会長を兼務した。渡辺社長は1979年クラヤ薬品入社で、メディセオ代表取締役社長(2004年〜2012年)・メディパル専務取締役(2008年〜)・代表取締役副社長(2011年〜)を経た医薬品卸生え抜きで、HD体制完成後の経営を担う社長として登板した。同氏の在任は2025年5月の悪性リンパ腫療養公表に伴う代表権分担まで続き、HD設立後の最長在任社長となった。2013年6月にはメディエ株式会社を完全子会社化し、卸が保有する出荷データを医薬品メーカー向けマーケティング情報へ加工する市場調査・データ分析事業へ参入した。2024年のプリメディカ・フローラディスカバリー買収による医療データ事業強化を10年先取りした、卸データ収益化の出発点だった。 [25][26][27][28]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [25]2012年4月 渡辺秀一が代表取締役社長へ昇格し、㈱メディセオ代表取締役会長を兼務(前任は熊倉貞武・FY05〜FY11在任)
    • [26]渡辺秀一は1979年クラヤ薬品入社、メディセオ代表取締役社長(2004〜2012)・メディパル専務取締役(2008〜)・代表取締役副社長(2011〜)を歴任
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [27]2013年6月 メディエ株式会社を完全子会社化(データ分析事業参入)
  • DGSオンライン(2025年5月)
    • [28]渡辺秀一の在任が2025年5月の悪性リンパ腫療養公表に伴う代表権分担まで続いたという点は二次資料(DGSオンライン 2025/5)で確認

2014年12月の桜井通商完全子会社化(食品関連卸の取り込み)、2015年7月のPaltacからPALTACへの商号変更と、関連事業の集約とブランド整備が続いた。FY15(2016年3月期)の連結売上高は3兆282億円・営業利益423億円・純利益308億円で、HD成立から約6年で売上高3兆円台へ到達し、クラヤ三星堂時代から約10年で売上規模が3倍に拡大した。前年のFY14時点のセグメント別では、医療用医薬品等卸売事業が売上2兆357億円・営業利益175億円(利益率0.86%)、化粧品・日用品・一般用医薬品卸売事業(PALTAC系)が売上7935億円・営業利益141億円(同1.78%)で、売上規模では本業が約2.6倍ながら利益率は日用品卸が医薬品卸を上回った。薬価差縮小で医薬品卸の利幅が圧縮されるなか、日用品卸の利益貢献が経常利益の安定を支える構造が定着した。 [29][30]

  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [29]2014年12月 桜井通商を完全子会社化(食品関連卸)
    • [30]2015年7月 株式会社Paltacの商号を株式会社PALTACへ変更
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [22]2010年3月 Paltacが東京・大阪両証取に上場し各市場第一部に指定(親子上場)
    • [23]2010年4月 丸善薬品・エバルスアグロテック・アトルの動物用医薬品事業を統合しMPアグロ株式会社へ改組
    • [24]医薬品卸(メディセオ系)・日用品卸(Paltac系)・動物用医薬品卸(MPアグロ系)の三本柱という整理は本文の枠組み(各社存在は資産で確認)
    • [27]2013年6月 メディエ株式会社を完全子会社化(データ分析事業参入)
    • [29]2014年12月 桜井通商を完全子会社化(食品関連卸)
    • [30]2015年7月 株式会社Paltacの商号を株式会社PALTACへ変更
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [25]2012年4月 渡辺秀一が代表取締役社長へ昇格し、㈱メディセオ代表取締役会長を兼務(前任は熊倉貞武・FY05〜FY11在任)
    • [26]渡辺秀一は1979年クラヤ薬品入社、メディセオ代表取締役社長(2004〜2012)・メディパル専務取締役(2008〜)・代表取締役副社長(2011〜)を歴任
  • DGSオンライン(2025年5月)
    • [28]渡辺秀一の在任が2025年5月の悪性リンパ腫療養公表に伴う代表権分担まで続いたという点は二次資料(DGSオンライン 2025/5)で確認

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メディパルホールディングスの沿革1898〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1898〜2003年神戸発の医薬品卸が東京中央へ向かう105年神戸市に創業
三星堂を設立
東京証券取引所・大阪証券取引所の各市場第二部に株式を上場
東京証券取引所・大阪証券取引所の各市場第一部に指定
三星堂・クラヤ薬品・東京医薬品の三社合併と本店の東京移転

2000年4月1日、神戸創業の三星堂が東京のクラヤ薬品・東京医薬品と合併し、株式会社クラヤ三星堂として発足した。本店を東京都中央区へ移し、売上高で医療用医薬品卸の首位に立った経営判断。

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★★★
2004〜2015年三社統合からメディパル完成へ:医薬・日用品の二本柱体制構築熊倉貞武会社分割により持株会社体制に移行、商号をメディセオHDに変更★★
熊倉貞武日用品卸最大手パルタックを株式交換で完全子会社化し医薬・日用品の二本柱へ

2005年4月18日に株式交換で基本合意し、同年10月1日、医療用医薬品卸首位のメディセオホールディングスが大阪の日用品卸最大手パルタックを完全子会社とした。商号をメディセオ・パルタックホールディングスへ改め、売上高2兆円を超える中間流通業となった。

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★★★
熊倉貞武会社分割で医薬品卸事業を承継させ純粋持株会社メディパルホールディングスへ

2009年10月1日、メディセオ・パルタックホールディングスは会社分割で純粋持株会社へ移り、商号を株式会社メディパルホールディングスへ改めた。同時にクラヤ三星堂を存続会社としてグループの卸5社が合併し、商号を株式会社メディセオへ変更した。

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★★★
熊倉貞武メディパルHDに商号変更
熊倉貞武Paltacが東京・大阪両証取に上場し各市場第一部に指定
熊倉貞武丸善薬品・エバルスアグロテック・アトルの動物用医薬品事業を統合しMPアグロに改組
渡辺秀一メディエを完全子会社化
2016〜2025年完成形からヘルスケアプラットフォームへの構造変革期渡辺秀一アステックを完全子会社化
渡辺秀一SPLineを設立
渡辺秀一住友ファーマフード&ケミカルを完全子会社化、商号をMP五協フード&ケミカルに変更★★
渡辺秀一東七を完全子会社化
渡辺秀一プリメディカとフローラディスカバリーを完全子会社化
渡辺秀一プレサスキューブを子会社化
出典・参考
  • メディパル統合報告書2025
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • メディパルホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
  • ミクスOnline(2024年5月)
  • DGSオンライン(2025年5月)

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