決断
規模を足す合併ではなく、売る土地と扱う商材を入れ替えて伸びてきた。空襲で得意先が52軒に減った1946年から県下を回り直して支店網を敷き、姫路・淡路から福知山・舞鶴まで販路を拡大する。兵庫県内のシェアが38%で頭打ちになると1971年に大阪支社と3支店を一挙に開設し、12年後の1983年度には売上の46.7%を大阪が占めた。2000年4月、東京のクラヤ薬品・東京医薬品と3社で合併し、3社合算で約8,900億円・医療用医薬品の全国シェア約15%を得て首位に立つが、初年度の営業利益は19億円にとどまった。2005年10月には日用品卸最大手のパルタックを株式交換で完全子会社化し、2009年10月に純粋持株会社メディパルホールディングスへ移行して、卸6社を1社へ統合した。同業を集めても利幅は戻らず、以後の成長は医薬品の外にある商材から来ている。
2009年10月 メディパルHDへ移行
会社分割と合併の条件分割契約・合併契約の締結 2009年5月15日 企業結合日 2009年10月1日 会社分割の法的形式 吸収分割 分割した事業の範囲 医療用医薬品等卸売事業 2005年4月 パルタックの完全子会社化
株式交換の条件完全子会社とした会社 株式会社パルタック 取得の法的形式 株式交換 株式交換契約の締結 2005年5月13日 効力発生日 2005年10月1日 2000年4月 三社合併でクラヤ三星堂発足
三社合併でクラヤ三星堂発足薬価差の縮小と医療機関の価格交渉力の高まりに対し、仕入・物流・拠点の重複を削るために三社が一体化した合併同じ経営論点に直面した企業 | 経営統合・合併合併の条件合併当事会社 三星堂・クラヤ薬品・東京医薬品 存続会社 株式会社三星堂 効力発生日 2000年4月1日 合併後の商号 株式会社クラヤ三星堂 1971年 大阪支社の開設
大阪支社の開設兵庫県内のシェアは38%程度と断トツになった一方で、市場そのものが頭打ちとなり投資効率も見込めなくなっていた。三星堂は地元を守り抜くのではなく、人口が多く需要の厚い大阪へ支社と3支店を一挙に開設し、主戦場を県外へ転じた同じ経営論点に直面した企業 | 経営計画・中期戦略兵庫と大阪の売上構成比1982 1983 兵庫(%) 48.4 47.2 大阪(%) − 46.7 1946年4月 地方開拓日誌と支店網の構築
1931年3月 熊田兄弟の退陣と武田長兵衛商店の救援