キユーピー 年4万トンの割卵体制 4工場での割卵と全販連60%・3年契約による鶏卵調達網の掌握
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何をなぜ決めたか
- 概要
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キユーピーは1964年2月に佐賀県鳥栖市へ鳥栖工場を新設し、仙川・伊丹・挙母・鳥栖の4工場で割卵を行う体制を整えた。割卵は毎年4月から7月に集中し、その量は年間およそ4万トンに達する。これは国内の鶏卵生産量の5%内外にあたる。愛知県の挙母工場は鶏卵の主産地に置かれ、1959年の時点では建設中であった。
- 背景
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悪い原料からよいものを作るのは手品のたぐいであり、中島董一郎氏は数十年をよい原料の入手に費やした。キユーピーのマヨネーズは卵黄の含有量がおよそ20%で、100グラムに卵1個が入る。鶏卵の購入額は年間80億円に達した。酸味の強さも、卵黄の量に応じて殺菌に使う食酢の量が増えることに由来する。卵を多く使う製品は、卵を集める仕組みがなければ量産できない。
- 内容
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仕入れは二本立てで行った。生産者と3年単位の年間契約を結んで一定量を定価で買い入れる方法と、その時の時価で直接購入する方法である。購入先は全販連関係が全体の約60%を占め、残りは商社と、工場ごとに持つ特定の仕入先が担った。直営の採卵養鶏場も経営して鶏卵を自家生産し、七面鳥については全国生産の60%を手がけている。
いつ何が起きたか 5件
筆者の見解
製品設計を原料調達が支える
この判断は工場を建てた話ではなく、真似のできない製品設計を維持するための調達の話であったとみられる。卵黄20%という配合は、味の決め手であると同時に原価の重石でもある。年間80億円の鶏卵を買い続けられなければ成立しない設計で、逆にいえば、その量を安定して集められる会社にしか作れない。全販連との取引が6割を占め、3年単位の契約で数量を押さえ、足りない分を時価で買い、さらに直営の養鶏場まで持つ調達網は、味の再現ではなく供給の再現を難しくした。
もっとも、この優位は自社の努力だけで守られたのではない。味の素が卵を3分の1個に減らして乳化剤と着色剤で補ったとき、それを阻んだのは競争ではなくJAS規格であった。乳化剤・着色剤を一切認めない基準があり、1970年の添加物表示が、その差を消費者の目に触れる位置へ置いた。原料を厚く使う設計が、規格という外側の物差しによって正当化された構図であり、調達網はその物差しに乗り続けるための裏づけだったのだろう。
Yutaka Sugiura, 2026年9月
業績の推移
鶏卵調達の条件
鶏卵調達の条件
| 科目 | 概要 | 備考 |
|---|---|---|
| 割卵を行う工場 | 仙川・伊丹・挙母・鳥栖の4工場 | 割卵は毎年4月から7月に行う。鳥栖工場は1964年2月の新設 |
| 年間の割卵量 | 約4万トン | 国内の鶏卵生産量の5%内外にあたる |
| 仕入れの方法 | 3年単位の年間契約による定価買い入れ/時価による直接購入 | 年間契約は生産者側の収入も安定させる |
| 購入先の構成 | 全販連関係が約60% | 残りは商社と、各工場が持つ特定の仕入先 |
| 卵黄の含有量 | 約20% | マヨネーズ100グラムに卵1個。鶏卵の購入額は年間80億円 |
| 自家生産 | 直営の採卵養鶏場を経営 | 七面鳥は全国生産の約60%を生産する |
| 関係会社での割卵 | コープ食品・伊丹鶏卵加工ほか | 卵白は製菓原料に充てる |
出所:養鶏之日本 1971年5月号「伸びるマヨネーズ用鶏卵の需要」/実業往来 1970年5月号/キユーピー 有価証券報告書【沿革】
マヨネーズの生産量と鶏卵需要
キユーピー:マヨネーズの生産量と鶏卵需要
| 生産量(万トン) | 市場シェア(%) | 備考 | |
|---|---|---|---|
| 1966年 | − | 80 | 水産大手の参入が続くなかで80%以上を維持 |
| 1968年 | − | 85 | 味の素の参入直前 |
| 1970年 | 12 | 75 | 味の素が2年で25%を確保。日本水産は10%から5%へ半減した |
| 1971年 | 14 | − | 見込み値。1人あたりの年間消費は1.2キロで、伸び率は年20%近い |
出所:50人の経営者(時評社・1966年) / 実業往来 1970年5月号「第二ラウンド迎えたマヨネーズ戦争」 / 養鶏之日本 1971年5月号「伸びるマヨネーズ用鶏卵の需要」
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参考文献
- 養鶏之日本 1971年5月号「伸びるマヨネーズ用鶏卵の需要」
- 実業往来 1970年5月号
- 中島董一郎譜(董友会・1975年)
- キユーピー 有価証券報告書【沿革】