決断
原酒を法で許される上限まで入れる方針を、値段の側で払ってきた。1950年春、竹鶴政孝社長は全従業員を集めて三級ウイスキーの発売に同意する。ただし税法で許される最高率まで原酒を入れたため、他社の640ミリリットル330円に対し、140ミリリットル少ない500ミリリットルを20円高い350円で出すことになった。1955年9月、一本あたり三割の欠損を織り込んで同じ350円のまま640ミリリットルへ揃える。1962年に二級の原酒混和率が10%未満へ上がると、中性スピリッツをやめてグレーンスピリッツへ替え、1964年に日本で唯一のカフェ式蒸溜機を西宮へ据えた。容量を揃えた判断が、北海道6・内地4だった売上の比率を逆転させ、全国で売れる商品を作った。