竹鶴政孝
ニッカウヰスキー・元取締役社長
社長就任 1943年
生年月日 —
学歴 大阪高等工業学校醸造科
出自 —
社長就任までの出自
出自
広島県竹原町の造り酒屋の三男に生まれ、家業を承継するため大阪高等工業学校の醸造科に進んだ。摂津酒造に入ってスコットランドへ渡り、グラスゴー大学で学びながら現地の蒸留所でウイスキーづくりを修業した。帰国後は寿屋に移って山崎の蒸溜所の工場長となり、1929年4月に日本初の本格ウイスキー「白札」を送り出した。製造技術一本で歩いた技術者である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1933年、寿屋のビール事業が工場ごと麦酒共同販売へ300万円で売却され、両工場長だった竹鶴氏は独立を決めた。契約は10年の約束で期限が来ており、退社は円満だった。資本は加賀証券の加賀正太郎氏、芝川又四郎氏ら3人が出し、資本金10万円で会社を設立した。竹鶴氏が技術を、外部が資金を持ち寄る形で、原酒の熟成を待つ間はリンゴジュースの販売で支えることにした。
在任中の主な施策
施策
1934年10月に北海道余市へ工場を建設し、リンゴジュースを売りながらウイスキーの仕込みに備え、1936年秋に蒸留へ入った。1950年春には三級ウイスキーへ参入し、税法上の上限まで原酒を入れたうえで、他社より140ミリリットル少ない500ミリリットル瓶を20円高い350円で売った。1955年9月に他社並みの容量と価格の丸びんを出すと、北海道6・内地4だった売上比が逆転して全国商品になった。販売金額は1954酒造年度を100として1959年度に534まで伸びた。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1916〜1979年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-