第4章 年〜年

ニッカウヰスキー:東証二部上場とアサヒビールへの営業譲渡による製造特化

1989年〜東証二部上場と、原酒へ投じた公募270億円

1989年9月27日、ニッカウヰスキーは東京証券取引所第二部に上場した。公募は発行済株式総数37,000千株のうち7,400千株、払込金額は1株3,640円で、調達額は約270億円。上場直前の大株主はアサヒビールが21,319千株で72.0%、代表取締役副会長の竹鶴威氏が1,400千株で4.7%を保有していた。従業員は1,112人、工場は北海道から九州まで7カ所、支店・営業所は全国52カ所にあった。1988年12月期の売上高1,153億1,500万円のうち、ウイスキーが968億5,400万円と84.0%を占めた。

  • 証券 1989年
    • [1]1989年9月27日にニッカウヰスキーが東京証券取引所第二部へ上場した(業種・コード 食料品・2541)
    • [2]上場時の発行済株式総数は37,000千株、公募は7,400千株、払込金額は1株3,640円だった
    • [4]1989年4月20日現在の大株主はアサヒビール21,319千株(72.0%)、竹鶴威1,400千株(4.7%)
    • [5]1989年3月31日現在の従業員は1,112人、工場は北海道・弘前・仙台・栃木・柏・西宮・九州の7カ所、支店・営業所は全国52か所
    • [6]1988年12月期の販売実績はウイスキー96,854百万円(84.0%)、その他18,461百万円、合計115,315百万円
  • 日経ビジネス 1991年10月28日号
    • [3]1989年9月の東証2部上場の公募増資で市場から約270億円を調達した

社長の廣瀬忠夫氏は住友銀行の常務取締役から1983年3月にニッカウヰスキー取締役副社長へ移り、1988年3月に代表取締役社長に就任した。上場から5日後の1989年10月2日、廣瀬忠夫社長は日本証券アナリスト協会の企業分析部会に立ち、創業以来の品質第一・本物志向・パイオニア精神に、世界に冠たるウイスキーづくりという合言葉を重ねた。モルト原酒の工場は余市と仙台の2カ所しかなく、蒸留所が100前後あるスコットランドのように他社から原酒を買えなかった。1つの工場で発酵・蒸留・貯蔵と樽を変えて何種類もの原酒を作り分け、その一部をシングルモルト余市12年、シングルモルト宮城峡12年として発売した。

  • 証券 1989年
    • [7]廣瀬忠夫は1955年3月東京大学法学部卒業、同年4月住友銀行入行、1982年9月同行常務取締役、1983年3月ニッカウヰスキー取締役副社長、1988年3月代表取締役社長就任
  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(廣瀬忠夫・講演要旨)
    • [8]1989年10月2日の日本証券アナリスト協会企業分析部会での講演で、品質第一・本物志向・パイオニア精神を基本理念とし、最近は「世界に冠たるウイスキーづくり」を合言葉にしていると述べた
    • [9]スコットランドはモルトウイスキーの蒸留工場が100前後あり相互に原酒を売買するが、ニッカウヰスキーは原酒工場が余市と仙台の2カ所しかない
    • [10]発酵・蒸留・貯蔵の仕方や樽の違いで各工場が何種類もの原酒を作り分け、その一部をシングルモルト余市12年・シングルモルト宮城峡12年として発売した

特級を主力にする方針は、上場より9年早く固まっていた。1980年はサントリーのオールドの売上が頂点に達した年であり、ニッカウヰスキーはこの年、販売量の8割を1・2級が占める構成をひっくり返して特級を主にすることを戦略の柱とした。1985年ごろからはピュアモルト、ザ・ブレンド、フロム・ザ・バレルを投入し、旧特級の品目を広げた。特級を増やすには、造るのに少なくとも7〜8年を要するモルト原酒を多く蓄えておく必要がある。原酒の在庫は1980年の200億円から1990年には400億円に膨らみ、1989年と1990年には上場で調達した約270億円を元手に、1年あたり約50億円ずつモルト原酒を上積みした。

  • 日経ビジネス 1991年10月28日号
    • [11]サントリー「オールド」が売上ピークを記録した1980年、ニッカウヰスキーは当時8割を占めていた1・2級と特級の比率を逆転させることを基本戦略とした
    • [12]改正前の1985年ごろから「ピュアモルト」「ザ・ブレンド」「フロム・ザ・バレル」など旧特級の品ぞろえに力を入れた
    • [13]ウイスキー事業は生産に最低7〜8年の長い年数がかかる
    • [14]原酒の在庫は1980年の200億円から1990年に400億円へ倍増した
    • [15]上場で調達した約270億円を原資に1989年・1990年に一気に約50億円ずつモルト原酒を積み増した
参考文献[1]-[15]
  • 証券 1989年
    • [1]1989年9月27日にニッカウヰスキーが東京証券取引所第二部へ上場した(業種・コード 食料品・2541)
    • [2]上場時の発行済株式総数は37,000千株、公募は7,400千株、払込金額は1株3,640円だった
    • [4]1989年4月20日現在の大株主はアサヒビール21,319千株(72.0%)、竹鶴威1,400千株(4.7%)
    • [5]1989年3月31日現在の従業員は1,112人、工場は北海道・弘前・仙台・栃木・柏・西宮・九州の7カ所、支店・営業所は全国52か所
    • [6]1988年12月期の販売実績はウイスキー96,854百万円(84.0%)、その他18,461百万円、合計115,315百万円
    • [7]廣瀬忠夫は1955年3月東京大学法学部卒業、同年4月住友銀行入行、1982年9月同行常務取締役、1983年3月ニッカウヰスキー取締役副社長、1988年3月代表取締役社長就任
  • 日経ビジネス 1991年10月28日号
    • [3]1989年9月の東証2部上場の公募増資で市場から約270億円を調達した
    • [11]サントリー「オールド」が売上ピークを記録した1980年、ニッカウヰスキーは当時8割を占めていた1・2級と特級の比率を逆転させることを基本戦略とした
    • [12]改正前の1985年ごろから「ピュアモルト」「ザ・ブレンド」「フロム・ザ・バレル」など旧特級の品ぞろえに力を入れた
    • [13]ウイスキー事業は生産に最低7〜8年の長い年数がかかる
    • [14]原酒の在庫は1980年の200億円から1990年に400億円へ倍増した
    • [15]上場で調達した約270億円を原資に1989年・1990年に一気に約50億円ずつモルト原酒を積み増した
  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(廣瀬忠夫・講演要旨)
    • [8]1989年10月2日の日本証券アナリスト協会企業分析部会での講演で、品質第一・本物志向・パイオニア精神を基本理念とし、最近は「世界に冠たるウイスキーづくり」を合言葉にしていると述べた
    • [9]スコットランドはモルトウイスキーの蒸留工場が100前後あり相互に原酒を売買するが、ニッカウヰスキーは原酒工場が余市と仙台の2カ所しかない
    • [10]発酵・蒸留・貯蔵の仕方や樽の違いで各工場が何種類もの原酒を作り分け、その一部をシングルモルト余市12年・シングルモルト宮城峡12年として発売した

出典・参考

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出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(廣瀬忠夫・講演要旨)
  • 日経ビジネス 1991年10月28日号
  • 証券 1989年

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