キユーピー 標準品70グラムの半値化 交際費を持たない原価を原資とした20数回の値下げと、水産大手の採算割れ
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1950年から1952年にかけて、キユーピーは標準品70グラムのマヨネーズを110円から55円へ引き下げた。戦後に値上げしたのは原油が高騰した3度だけで、値下げは20数回に及んでいる。原資は原価構造そのものにあった。この会社には交際費が無く、取引先を料理屋やバーへ招くことも、景品つき販売も、問屋の温泉招待もしなかった。
- 背景
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食生活の洋風化により、マヨネーズとフレンチドレッシングの需要は年率30%で伸びた。この伸びを大資本が見逃さず、日本水産や大洋漁業といった水産大手が相次いで製造へ参入する。1959年には雪印乳業と味の素も生産を始めた。マヨネーズはサラダオイルと卵黄と酢を混ぜる単純な製品で、デパートの店頭で即席に作って売る例まであった。参入障壁は技術ではなく原価にしかない。
- 内容
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浮いた費用は値下げと特約店への還元に向かった。配当は3割に止め、予定を超えた利益は年1億円ほどのリベートとして代理店へ戻している。代理店は東京の国分や明治屋のような一流に絞り、一度取引を開いた先は他社がどれほど有利な条件を出しても替えなかった。需要を超えて作らない方針を取り、原料の棉実油は底値と見極めた時に大量を輸入している。
- 含意
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業界は大混乱に陥り、多くの専業メーカーが脱落した。それでもキユーピーの市場占有率は80%以上のまま動かない。明治屋社長の磯野長蔵氏は 『とてもキユーピーとはコストが合わない』 と漏らしている。安価な米国製マヨネーズが大量に輸入された時期もあったが、1カ月ほどで市場から姿を消した。
いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
値下げを続けることが参入障壁になる
マヨネーズは卵黄と油と酢を混ぜるだけの製品で、家庭でも作れる。だから参入しようと思えば誰でもできるし、実際に水産大手も乳業も調味料メーカーも入ってきた。それでも定着しなかったのは、技術で締め出されたからではなく、既に付いている値段では採算が合わなかったからだとみられる。交際費を持たず、景品も温泉招待も使わないという原価の作り方は、それ自体が競争手段になっていた。接待費を価格に載せている会社は、同じ値段では戦えない。
もっとも、この政策は利益を意図的に薄く保つことでもある。配当を3割に止め、超過分を代理店へ戻す運用は、寡占の利を株主にも自社にも溜め込まない選択だった。仮に高い占有率に見合う利益を取っていれば、水産大資本の資本力の前に価格競争を仕掛けられ、耐えられなかったかもしれない。値下げは市場を守る費用であり、その費用を払い続けられる原価構造を作ったことが、この判断の中身であった。
Yutaka Sugiura, 2026年9月
業績の推移
価格政策の条件
価格政策の条件
| 科目 | 概要 | 備考 |
|---|---|---|
| 標準品70グラムの価格 | 110円 → 55円 | 1950年から1952年にかけて半値になった |
| 戦後の値下げ回数 | 20数回 | 値上げは原油の値上りによる3度だけ |
| 交際費 | 計上しない | 料理屋やバーへの招待、景品つき販売、問屋の温泉招待をいずれも行わない |
| 代理店へのリベート | 年1億円程度 | 配当を3割に止め、予定を超えた利益を販売促進の謝礼金として還元 |
| 代理店の選定 | 東京の国分・明治屋など一流に限定 | 一度取引を開いたら他店の有利な条件の申出も断る |
| 市場占有率 | 80%以上 | 水産大手の参入後も維持 |
出所:新日本経済 1959年4月号「事業と人物 マヨネーズ王 中島董一郎」/50人の経営者(時評社・1966年)
マヨネーズ市場でのシェアと生産の推移
キユーピー:マヨネーズ市場でのシェアと生産の推移
| シェア(%) | 年産・生産量 | 備考 | |
|---|---|---|---|
| 1959年 | − | 28億円 | 年々4割から5割の増産。雪印乳業・味の素が生産を開始した年 |
| 1966年 | 80 | − | 水産大手の参入が続くなかで80%以上を維持 |
| 1968年 | 85 | − | 味の素の参入直前 |
| 1970年 | 75 | 12万トン | 味の素が2年で25%を確保。日本水産は10%から5%へ半減した |
| 1971年 | − | 14万トン | 見込み値 |
出所:新日本経済 1959年4月号「事業と人物 マヨネーズ王 中島董一郎」 / 50人の経営者(時評社・1966年) / 実業往来 1970年5月号「第二ラウンド迎えたマヨネーズ戦争」 / 養鶏之日本 1971年5月号「伸びるマヨネーズ用鶏卵の需要」
同じ問いに直面した会社
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参考文献
- 新日本経済 1959年4月号
- 50人の経営者(時評社・1966年)
- 実業往来 1970年5月号