川崎重工業液化水素サプライチェーンへの集中と、世界初の液化水素運搬船の建造

まだ市場のない燃料へ、造船で培った極低温の技術をどこまで振り向けるか——2010年から2026年までの投資先行

時期 2022年2月
意思決定者(推定) 橋本康彦・長谷川聡(社長、2010年の構想公表時) 社長
論点 事業ポートフォリオと新規事業の育成
概要
2010年からの中期経営計画で液化水素サプライチェーン構想を掲げた川崎重工業が、2020年代に入って全社の資源を水素へ寄せ、世界初の液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」から受入基地、水素混焼タービンまでを自社で通そうとした一連の判断。
背景
航空機・鉄道車両・造船といった受注型の事業はいずれも成熟し、2021年3月期は連結で営業損失を計上した。2013年に三井造船との経営統合交渉も打ち切られ、同業との合流で祖業を支える道は閉じていた。
内容
液化天然ガスで技術を導入する側に回った1970年代の経験を踏まえ、マイナス253度の運搬技術を自前で確立し、国際海事機関の基準づくりを自社船で押さえにいった。水素関連事業の規模は2030年に3,000億円、2050年に2兆円と会社が自ら掲げた目標である。
含意
実証航海は成立したが、豪州からの水素調達が滞り、2024年に調達元は国内へ改められた。商用供給は2030年度以降とされ、受入基地と大型運搬船への投資だけが先行する期間が続いている。
筆者の見解

需要を待つ会社が、需要をつくろうとした

買い手も価格も決まっていない燃料の運搬船を、市場が生まれる前に造り始めた点に、この会社の選択がよく表れている。液化天然ガスの利用が始まった1970年代には海外の技術を導入する側に回り、規格もライセンスも他者が握った。橋本康彦社長が国際海事機関の基準づくりを自社船で押さえにいったのは、その順序を入れ替えるためであった。発注を待って造ってきた会社が、需要そのものを自分で立ち上げようとした試みだとみることができる。

ただ、船が走っても中身は揃わなかった。豪州からの調達は期限に間に合わず、2024年に調達元は国内へ改められ、レゾナック・ホールディングスとの協業検討も止まっている。16万立方メートル級と言われた運搬船は、契約段階で4万立方メートル型の1隻になった。2030年に3,000億円、2050年に2兆円という数字は会社が掲げた目標であり、その可否はこれから確かめられる。世界初の1隻を持つことと、水素を商いとして成り立たせることの間には、まだ距離があるといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

収益の柱が見えない総合重機

川崎重工業は航空機の機体やエンジン、鉄道車両、大型二輪車までを抱える総合重機であり、なかでも米ボーイング向けを軸とする航空機関連が大きな収益源であった。新型コロナウイルスの流行でその需要が細ると、2021年3月期は航空宇宙システムに加えてモーターサイクル&エンジンなども赤字に転じ、連結でも営業損失53億円、当期損失193億円を計上した。事業領域は広い一方で首位を握る事業は少なく、安定した収益基盤が見当たらないことが同社の悩みであった[1][2]

祖業の造船は中国・韓国勢の価格攻勢で採算が細り、2021年4月に船舶海洋部門はエネルギー・環境プラント部門へ統合された。同年10月には鉄道車両と二輪車の各部門を切り出して別会社とし、世界シェアが高くないまま赤字を見込む事業を、独立した採算のもとで立て直す形をとった。2030年度に営業利益率8%という目標に対し、2019年度の実績は3.7%であり、そこへ至る道筋は示されていなかった[3][4]

規模で祖業を支える道が閉じたあと

同業との合流で造船を立て直す構想は、その少し前に消えていた。2013年6月、三井造船との経営統合交渉は打ち切りが決まり、規模による再編の道は白紙に戻っている。航空機も鉄道車両もプラントも、発注する側の計画に売上が左右される受注型の事業であり、成熟した市場のなかで自ら需要をつくる性格ではなかった。統合という手段が失われた以上、残るのは既存事業の外側に柱を立てることであった[5][6]

もう一つ、社内には古い記憶があった。液化天然ガスの利用が始まった1970年代、川崎重工業は海外が押さえていた技術を導入する側に回っている。橋本康彦氏はのちにその立場を振り返り、水素では逆にライセンスを提供して利益を得たいと述べた。運搬船の開発を率いた村岸治氏も、世界初を譲るわけにはいかないと現場に言い続けている。技術で後追いになった経験が、まだ市場のない燃料へ先回りする理由になっていた[7][8]

決断

買い手のいない燃料に、先に船を用意する

水素は2010年からの中期経営計画にすでに書き込まれていた。二酸化炭素の削減につながる水素サプライチェーンをつくるという構想で、海外からの大規模な調達を織り込んでいる。翌2011年の夏には液化水素運搬船の開発チームが編成され、村岸治氏がリーダーに就いた。買い手も価格も定まらない燃料に対して運ぶ手段を先に用意する順序であり、需要が現れてから動く受注型の作法とは逆であった[9]

難所は温度であった。水素はマイナス253度まで下げないと液体にならず、およそマイナス200度を境に空気そのものが液化する。液化天然ガス船の断熱構造をそのまま用いれば、材料の隙間に入り込んだ空気まで凍りつくため、タンクは一から起こすほかなかった。実証船「すいそ ふろんてぃあ」の開発は既存技術の改良ではなく、運べること自体を確かめる作業から始まっている[10][11]

全社の資源を水素へ寄せる

2020年6月に社長となった橋本康彦氏は、会社の役割を二つに分けて語った。今ある事業の品質を上げて利益を出すことと、まだ存在しない領域の事業を立ち上げることであり、後者が水素であるとした。原子力からはほとんど退き、大型火力も持たないという事業構成が、この集中を裏側から支えていた。水素関連事業の規模を2030年に3,000億円、2050年に2兆円とする数字は、達成の見通しではなく会社が自ら掲げた目標である[12][13]

狙いは船の受注量ではなかった。橋本氏は、運搬船が80隻要るとしても自社ですべては造れないとして、造るのが難しいタンクなどの中核技術に絞り、それをライセンスとして提供する形を描いている。2021年8月には子会社の日本水素エネルギーとENEOS、岩谷産業の計画がNEDOの基金に採択され、16万立方メートル級の運搬船と5万立方メートル級の陸上タンクを用いる商用化実証が動き出した。会社はこの事業を次世代の中核事業と呼んでいる[14][15][16]

結果

船は走り、供給側の計画は縮んだ

「すいそ ふろんてぃあ」は2021年12月に神戸を出港し、翌2022年1月に豪州へ着いた。褐炭からつくった水素を積み、2022年2月に神戸へ戻っている。会社は日豪間の海上輸送と荷役を完遂したと説明し、その後の航行実績は延べ5カ国・10万キロ以上に達した。極低温を保ったまま水素を海上で運べることは、この1隻でひとまず確かめられた[17][18]

滞ったのは船ではなく、運ぶ中身であった。期限内に豪州で水素を調達する見通しが立たず、2024年に実証計画は大幅に見直され、調達元は国内へ改められている。橋本社長は2025年3月、つくる・運ぶ・ためるインフラの構築は市場の実情に合わせて進めると述べた。同年7月にはレゾナック・ホールディングスとの水素発電事業の協業検討も中止となり、理由には川崎重工業側の水素調達の遅れが挙げられた[19][20][21]

商用化まで先行し続ける投資

それでも設備の建設は進んでいる。川崎市扇島の液化水素ターミナルは2025年5月に工事が始まり、貯蔵タンクの基礎工事と、2026年度の敷設開始を見込むパイプラインが続く。2026年1月には子会社の日本水素エネルギーが4万立方メートル型の液化水素運搬船を発注し、香川県の工場で建造して2030年の完成をめざす。総事業費はおよそ3,000億円で、うち約2,200億円を国が支える[22][23]

需要側の見立ては強気に振れていない。会社は液化天然ガスへの回帰によって水素への移行期間が従来より長引くとみており、当面は水素混焼に対応した設備の更新需要でつなぐ構えである。2021年の採択時に掲げた16万立方メートル級の運搬船に対し、実際に契約したのは4万立方メートル型の1隻であった。副社長執行役員の山本克也氏は水素とロボットを成長分野と呼び、可能な限り投資したいと述べている[24][25]

出典・参考

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