名村造船所 の歴史

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創業 1911年
創業者 名村源之助
創業地 大阪府大阪市
創業
1911年2月、名村源之助氏が大阪・安治川河口の上野鉄工所を発祥の地として、個人経営の名村造船鉄工所を起こした。1878年生まれの源之助氏は、父・源兵衛の築港事業の失敗で生家の田畑を失い、少年期から神戸の造船所と大阪鉄工所で鉄工として働いて造船の技術を身につけている。1913年に難波島へ移り、1915年引き渡しの浦賀丸300総トンを皮切りに建造船を大型化させた。1931年4月には旧村尾造船所の施設を買収して株式会社名村造船所として新発足し、1949年6月に資本金800万円で大阪証券取引所へ上場する。上場後の社長は名村建彦氏、続く名村建介氏と創業家が継いでいる。
決断
船を大きくできない土地を捨て、工場ごと九州へ移した。1961年3月末の大阪本社工場は従業員804人、新造船の年間生産能力は4万総トンで、河川に挟まれた敷地では戦後に進んだ船舶の大型化に応じられなかった。産炭地域の指定を受けた佐賀県と伊万里市の誘致に応じ、1972年10月に伊万里市の七ツ島工業団地で新造船工場を起工した。長さ295mの第1号建造ドックを備えて8万総トン型を年3.5隻建造する能力を前提とした工場で、1975年3月に8.7万トン型タンカーを引き渡している。1979年10月には大阪工場の設備を売却した。敷地の広さが建造できる船の大きさを決める産業では、工場を移す判断が商品を決める判断そのものになった。
現況
拠点を三つに広げたあと一つへ戻したところで、最高益が出た。2001年に函館どつくへ資本参加し、2014年10月には佐世保重工業を株式交換で完全子会社化して伊万里・函館・佐世保の3拠点を組み上げたが、商船市況の悪化で3拠点の固定費が重荷へ転じ、2017年3月期から5期連続で連結営業損失を計上した。2022年1月に佐世保重工の新造船を休止して伊万里へ集約し、同年3月には佐世保重工への債権105億円を株式化している。2026年3月期は売上高1,590億円・営業利益281億円で、新造船が1,256億円と286億円、修繕船が205億円と15億円を占めた。固定費を落とした体制が、中国と韓国の建造能力の飽和で受注価格が2〜3割上がった局面をそのまま利益へ通した。
競合
受注価格を決めているのは自社の原価ではなく、他国の空きドックである。世界の造船受注はLNG運搬船とコンテナ船を中心に韓国へ集中する一方、中型のばら積み船とタンカーでは中国と韓国の生産能力が飽和し、日本の中堅造船所が受注機会を取り戻した。国内の重工大手では三菱重工業がクルーズ船の巨額損失を経て商船から退き、商船を続けるのは名村のような専業の側である。伊万里は中型船に品目を絞り、佐世保と函館は新造船を止めて修繕・艦艇・特殊船に寄せた。2025年9月には佐世保重工が米海軍艦艇の修繕を初受注している。2026年3月期の営業利益率17.7%が他国の設備の空き具合から来ている以上、同じ数字が次の市況で出る保証はない。
名村造船所:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 大阪での個人創業から伊万里工場を主拠点とする中堅造船会社へ (1911年〜)

名村源之助の個人創業と株式会社化・上場

名村造船所の出発点は、創業者・名村源之助(1878年生まれ)[1]が造船の現場で積んだ修業にある[2]。父・源兵衛が私財を投じた築港事業の失敗で生家の田畑を失い、源之助は少年期から神戸の造船所(現在の川崎重工業神戸造船所)、ついで大阪鉄工所([3]現在の日立造船桜島工場)で鉄工として働き、造船の技術を身につけた。1911年2月、源之助は大阪・安治川河口の『源兵衛渡し』に近い上野鉄工所(現在の西区南安治川通)を発祥の地として[4]、個人経営で名村造船鉄工所を起こした[5]。明治末期の大阪は紡績・繊維機械の生産拠点として工業集積が進んだ地域で、舶用機械の修繕需要と小型船舶の建造需要が同時に発生していた。

  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
    • [1]創業者の氏名は名村源之助
    • [5]1911年2月 名村源之助が個人経営で名村造船鉄工所を創業
  • 造船55年(名村造船所・1967年刊)
    • [2]創業者 名村源之助は1878年(明治11年)生まれ
    • [3]源之助は父・源兵衛の築港失敗で家産を失い、神戸の造船所(現・川崎重工業神戸造船所)と大阪鉄工所(現・日立造船桜島工場)で鉄工として造船を学んだ
    • [4]発祥の地は安治川河口「源兵衛渡し」近くの上野鉄工所(現・西区南安治川通)。有報沿革の「大阪市大正区」表記は1913年の難波島移転後の所在地にあたる

1913年には大阪・難波島(後の大正区今木町)[6]へ移って『名村造船鉄工所』の看板を掲げ、第1次世界大戦期の浦賀丸(300総トン、1915年引き渡し)を皮切りに建造船を大型化させ、1920年ごろには1,000総トン[7]級の建造へと規模を伸ばした。1931年4月、旧村尾造船所の施設を買収[8]して株式会社名村造船所として法人形態で新発足し、本拠を大阪市住之江区に置いた。創業から20年で個人事業から株式会社へ移行し、戦前期の大阪湾を拠点とする中堅造船所として規模を整えた。1949年6月には大阪証券取引所に株式上場(資本金8百万円)[9]を果たし、戦後復興期の重工業として資本市場に参入した。

  • 造船55年(名村造船所・1967年刊)
    • [6]1913年 大阪・難波島(後の大正区今木町)へ移転し「名村造船鉄工所」の看板を掲げた
    • [7]第1次大戦期の浦賀丸(300総トン・1915年引渡)を機に建造船を大型化し、1920年ごろ1,000総トン級に到達
  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1931年4月 旧村尾造船所の施設を買収し株式会社名村造船所として新発足(本拠 大阪市住之江区)
    • [9]1949年6月 大阪証券取引所に株式上場(資本金8百万円)
  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
    • [1]創業者の氏名は名村源之助
    • [5]1911年2月 名村源之助が個人経営で名村造船鉄工所を創業
    • [8]1931年4月 旧村尾造船所の施設を買収し株式会社名村造船所として新発足(本拠 大阪市住之江区)
    • [9]1949年6月 大阪証券取引所に株式上場(資本金8百万円)
  • 造船55年(名村造船所・1967年刊)
    • [2]創業者 名村源之助は1878年(明治11年)生まれ
    • [3]源之助は父・源兵衛の築港失敗で家産を失い、神戸の造船所(現・川崎重工業神戸造船所)と大阪鉄工所(現・日立造船桜島工場)で鉄工として造船を学んだ
    • [4]発祥の地は安治川河口「源兵衛渡し」近くの上野鉄工所(現・西区南安治川通)。有報沿革の「大阪市大正区」表記は1913年の難波島移転後の所在地にあたる
    • [6]1913年 大阪・難波島(後の大正区今木町)へ移転し「名村造船鉄工所」の看板を掲げた
    • [7]第1次大戦期の浦賀丸(300総トン・1915年引渡)を機に建造船を大型化し、1920年ごろ1,000総トン級に到達

戦後の増資・多角化と三笠丸が示した実力

1949年から1972年にかけては段階的な増資が継続し、資本金は8百万円から1,550百万円へ約190倍に拡大[10]した。1949年9月20百万円、1951年11月60百万円、1956年3月180百万円、1960年10月360百万円、1963年10月720[11]100万円、1966年10月1,008百万円、1972年4月1,550百万円と、ほぼ4年に1回のペースで増資が実施され、戦後高度成長期の造船需要拡大と歩調を合わせる資本拡張が続いた。1961年9月には鉄構工場を新設し陸上部門に進出[12]、造船以外への事業多角化を開始した。1972年12月には名和産業(現連結子会社)を設立[13]して周辺事業の育成を始めた。

  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
    • [10]資本金は8百万円から1,550百万円へ拡大(約190倍)
    • [11]増資推移 1949/9 20百万・1951/11 60百万・1956/3 180百万・1960/10 360百万・1963/10 720百万・1966/10 1,008百万・1972/4 1,550百万円
    • [12]1961年9月 鉄構工場を新設し陸上部門に進出(造船以外への多角化開始)
    • [13]1972年12月 名和産業を設立(現連結子会社)

戦後の名村を象徴する仕事が、日本郵船向けに建造した貨物船『三笠丸』である。1955年7月に起工し1956年3月に竣工した4,100総トン[14]の遮浪甲板型貨物船で、日本郵船のM型第1船にあたる。名村は大手造船所との見積競争を制してこの受注を獲得しており、日本郵船が大型貨物船の建造を中堅造船所へ発注した最初の事例[15]として業界の注目を集めた。木津川筋の小さな一造船所が、最大手海運会社から大手造船所並みの優秀船を任される水準に達したことを示す画期だった。こうした実績の底流には、創業以来の『生産第一主義』、取引先に迷惑をかけないことを旨とする『信用第一主義』、そして借入による過剰投資を避ける『堅実経営』という[16]、創業者譲りの経営の流儀があった。1967年に編まれた社史は、この伝統を『協調融和』『研究努力』『実行前進』という社是[17]に要約している。

  • 造船55年(名村造船所・1967年刊)
    • [14]三笠丸は日本郵船向けM型第1船で4,100総トンの遮浪甲板型貨物船、1955年7月起工・1956年3月竣工
    • [15]名村は大手造船所との見積競争を制して受注し、日本郵船が大型貨物船を中堅造船所へ発注した最初の事例となった
    • [16]創業以来「生産第一主義」「信用第一主義」「堅実経営」を経営の柱とした
    • [17]1967年の社史は伝統を社是「協調融和」「研究努力」「実行前進」に要約
  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
    • [10]資本金は8百万円から1,550百万円へ拡大(約190倍)
    • [11]増資推移 1949/9 20百万・1951/11 60百万・1956/3 180百万・1960/10 360百万・1963/10 720百万・1966/10 1,008百万・1972/4 1,550百万円
    • [12]1961年9月 鉄構工場を新設し陸上部門に進出(造船以外への多角化開始)
    • [13]1972年12月 名和産業を設立(現連結子会社)
  • 造船55年(名村造船所・1967年刊)
    • [14]三笠丸は日本郵船向けM型第1船で4,100総トンの遮浪甲板型貨物船、1955年7月起工・1956年3月竣工
    • [15]名村は大手造船所との見積競争を制して受注し、日本郵船が大型貨物船を中堅造船所へ発注した最初の事例となった
    • [16]創業以来「生産第一主義」「信用第一主義」「堅実経営」を経営の柱とした
    • [17]1967年の社史は伝統を社是「協調融和」「研究努力」「実行前進」に要約

伊万里工場稼働と多角化、バブル後の収益基盤拡張

1972年10月、九州・佐賀県伊万里湾で伊万里工場の建設を起工し[18]、1974年11月に竣工した[19]。大阪での創業から60年以上経過して、主力造船拠点を九州西岸へ移す設備投資である。1979年10月には大阪工場の設備を売却して生産集約[20]を進め、1982年7月には本社を大阪市住之江区から西区に移転した[21]。1983年1月には伊万里事業所に海洋陸機工場を新設[22]し(旧伊万里工場改称)、海洋構造物事業へ踏み込んだ。1983年7月の玄海テック設立・名村情報システム設立[23]、1986年9月の名村エンジニアリング設立と、伊万里を中心とするグループ会社の整備が1980年代を通じて続いた。

  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1972年10月 伊万里工場の建設を起工
    • [19]1974年11月 伊万里工場竣工
    • [20]1979年10月 大阪工場の設備を売却(生産集約)
    • [21]1982年7月 本社を大阪市住之江区から西区に移転
    • [22]1983年1月 伊万里事業所に海洋陸機工場を新設(旧伊万里工場改称)
    • [23]1983年7月 玄海テック設立・名村情報システム設立/1986年9月 名村エンジニアリング設立

1988年1月には米国のモーニングダイダラスナビゲーション社を買収[24](現連結子会社)し、海外船舶運航事業を取り込んだ。1990年4月には名古屋営業所を開設、同年10月に事業部制を実施[25]してグループ管理の組織化を導入した。1992年1月のメックマシナリー株式会社買収で工作機械事業に参入し[26]、1997年8月には株式会社オリイの株式を公開買付で31.6%取得[27]、2000年12月にはオリイとメックマシナリーが合併してオリイメックが発足した[28]。本業の造船から派生して機械・工作機械・海運・情報システムへ広がる多角化が、1990年代を通じて続いた。一方、本業の収益貢献度では伊万里工場の造船事業が依然として中心で、多角化事業は補完的位置づけにとどまった。

  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1988年1月 米国のモーニングダイダラスナビゲーション社を買収(現連結子会社)
    • [25]1990年4月 名古屋営業所を開設/同年10月 事業部制を実施
    • [26]1992年1月 メックマシナリー株式会社買収で工作機械事業に参入
    • [27]1997年8月 株式会社オリイの株式を公開買付で31.6%取得
    • [28]2000年12月 オリイとメックマシナリーが合併しオリイメックが発足
  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1972年10月 伊万里工場の建設を起工
    • [19]1974年11月 伊万里工場竣工
    • [20]1979年10月 大阪工場の設備を売却(生産集約)
    • [21]1982年7月 本社を大阪市住之江区から西区に移転
    • [22]1983年1月 伊万里事業所に海洋陸機工場を新設(旧伊万里工場改称)
    • [23]1983年7月 玄海テック設立・名村情報システム設立/1986年9月 名村エンジニアリング設立
    • [24]1988年1月 米国のモーニングダイダラスナビゲーション社を買収(現連結子会社)
    • [25]1990年4月 名古屋営業所を開設/同年10月 事業部制を実施
    • [26]1992年1月 メックマシナリー株式会社買収で工作機械事業に参入
    • [27]1997年8月 株式会社オリイの株式を公開買付で31.6%取得
    • [28]2000年12月 オリイとメックマシナリーが合併しオリイメックが発足

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名村造船所の沿革1911〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1911〜1990年大阪での個人創業から伊万里工場を主拠点とする中堅造船会社へ名村源之助個人により名村造船鉄工所を創業★★
旧村尾造船所の施設を買収し名村造船所として新発足★★
東京事務所開設
大阪証券取引所に株式上場
増資を実施
増資を実施
増資を実施
増資を実施
鉄構工場を新設
陸上部門に参入★★
増資を実施
増資を実施
増資を実施
主力造船拠点の大阪から佐賀・伊万里への移転と新工場建設

1972年10月、名村造船所は佐賀県伊万里市の七ツ島工業団地で新造船工場の起工式を挙げた。1974年11月に一部を残して竣工し、1975年3月に第1船を引き渡している。創業以来の生産拠点であった大阪・木津川筋を離れ、主力の新造船能力を九州西岸へ移す設備投資であった。

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★★★
名和産業を設立
伊万里工場竣工
大阪工場の設備売却
35%減資
伊万里事業所に海洋陸機工場新設
玄海テック設立
名村エンジニアリング設立
モーニングダイダラスナビゲーション社を買収
名村建彦事業部制実施
1991〜2017年造船3拠点体制とリーマン後の構造不況名村建彦メックマシナリーを買収
名村建彦第一回物上担保付転換社債70億円発行
名村建彦オリイ株式を公開買付により31.6%取得★★
名村建彦名村マリン設立
名村建彦オリイとメックマシナリーが合併しオリイメック発足
名村建彦函館どつくに資本参加★★
名村建彦オリイメックを株式交換により完全子会社化
名村建彦伊万里事業所の船舶建造設備を増強(第一次大型設備投資)★★
名村建彦函館どつく第三者割当増資全額引受けにより議決権比率88.7%取得★★
名村建介佐世保重工業の株式交換による完全子会社化と伊万里・函館・佐世保の3拠点体制の構築

2014年5月23日、名村造船所は佐世保重工業を株式交換により完全子会社化すると発表した。佐世保重工の普通株式1株に名村株0.128株を割り当て、佐世保重工は同年9月26日に上場を廃止、10月1日に効力が発生した。名村は佐賀県伊万里・北海道函館に続いて長崎県佐世保を加え、伊万里・函館・佐世保の3拠点体制を組み上げた。

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★★★
名村建介エヌウェーブベトナム社を設立
2018〜2025年佐世保重工新造船休止とV字回復名村建介オリイメックをアマダHDに全株譲渡★★
名村建介大阪営業所開設
名村建介函館どつくの第三者割当増資全額引受けにより優先株式6万株取得
名村建介佐世保重工業の新造船事業の休止と、伊万里への造船集約

2021年2月12日、名村造船所は子会社・佐世保重工業の新造船事業を2022年1月に休止すると発表した。ギリシャの船会社から受注したばら積み船の引き渡しを最後に新造船から手を引き、艦艇修繕と機械事業へ絞り込む一方、新造船の機能は主力の伊万里に集約した。連結本体が5期連続で営業損失を計上するなかでの事業整理である。

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★★★
名村建介佐世保重工業に対する債権の株式化(DES)を実施
名村建介函館どつくの債権をDESにより株式化
名村建介第三者割当増資の全額引受けで優先株式6万株を取得
出典・参考
  • 名村造船所 有価証券報告書【沿革】
  • 造船55年(名村造船所・1967年刊)

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