大型客船事業からの撤退——アイーダ社2隻で2408億円の損失

造船不況の起死回生を狙った高付加価値船戦略は、なぜ祖業の縮小を招いたか

更新:

時期 2016年10月
意思決定者 宮永俊一 三菱重工業 社長
論点 造船事業の選択と集中
概要
2016年10月18日、三菱重工業が大型客船事業からの事実上の撤退を表明した経営判断。2011年に欧州アイーダ・クルーズから受注した大型客船2隻で累計2408億円の損失を計上し、造船事業を中小型客船とLNG運搬船に集中する方針を示した。宮永俊一社長の主導による造船部門の構造改革の一環である。
背景
リーマンショック後の発注量激減と韓国・中国勢の攻勢のなかで、三菱重工は2012年に汎用商船から撤退し、技術難度が高く競合の少ない船種への集中を掲げた。1隻当たりの受注金額が大きい大型客船を、ガス運搬船とならぶ新たな収益柱に育てようとした。
内容
アイーダ社から受注した2隻のうち1番船は、基本設計だけで3年以上を要し、当初より1年遅れの2016年3月に引き渡された。関連損失は受注額約1000億円に対し1872億円へ膨らみ、10月に累計2408億円へ拡大。客船事業評価委員会の分析を経て大型客船からの撤退を決めた。
含意
起死回生を狙った高付加価値船への傾斜が、実力の見極めを欠いたまま最難度の船種へ向かい、祖業である造船の縮小を決定づけた。事業部制のもとで長崎造船所の閉鎖性が傷口を広げたとの反省から、全社的なリスク管理体制の強化にもつながった。
筆者の見解

起死回生の戦略が残したもの

この撤退の核心は、造船不況のなかで起死回生を狙った戦略が、実力の見極めを欠いたまま最難度の船種へ傾いた点にある。1隻当たりの受注金額が高く競合の少ない大型客船は、縮小を迫られた造船部門にとって魅力的な柱に映った。しかし基本設計から造る1番船のリスクは想定を超え、受注額約1000億円に対して2408億円という損失が、戦略の前提そのものを崩した。祖業への愛着が、撤退という冷静な判断を遅らせた面もうかがえる。

もっとも、この巨額損失は三菱重工に事業部制の死角を突きつけた。造船所ごとの独立性の高さが状況の把握を遅らせ、傷口を広げたという反省は、その後の全社的なリスク管理へとつながっていく。祖業をどこまで抱えるのかという問いは、防衛や発電といった重電事業の比重が高まるなかで、なお同社の事業構成の底に残るとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

祖業としての造船と長崎造船所

三菱重工業にとって造船は、会社の成り立ちそのものにさかのぼる事業であった。1884年、創業者の岩崎弥太郎氏が明治政府から長崎造船所を借り受けたのが出発点で、以後同社は艦艇から民間の大型船まで幅広く手掛け、造船を技術の象徴としてきた。長崎造船所の香焼工場は液化天然ガス(LNG)運搬船などを建造する商船の中核拠点であり、祖業の来歴が濃く刻まれた場所であった[1]

もっとも、造船は連結のなかで比重を落としていた。前期推計で年商1500億円前後、連結売上高に占める比率は5%を切り、すでに基幹事業とは言いがたい規模になっていた。それでも祖業への愛着は強く、宮永俊一社長は「船に対する愛着はある」と語りつつ、従来のやり方での継続は難しいという危機感を示していた[2]

造船不況と高付加価値船への集中

2000年代後半、造船業界はリーマンショック後の発注量激減に見舞われ、韓国勢や中国勢の攻勢にもさらされた。日本の造船業は存続が危ぶまれるほどで、三菱重工は2012年にコンテナ船など汎用商船から撤退する方針を決める。技術難度が高く競合の少ない船種へ資源を集中する戦略で、得意とするガス運搬船に加え、資源探査船と大型客船を新たな柱に育てようとした[3]

大型客船を柱に選んだのは、1隻当たりの受注金額が高く、競合がイタリアやドイツなど欧州の造船所に限られていたためである。過去の建造実績と自社の技術力をもってすれば、新たな収益柱に育てられるとみていた。造船部門の存続をかけた起死回生の一手として、難度の高い船種への傾斜が進んでいった[4]

決断

アイーダ2隻の受注と1番船の座礁

2011年、三菱重工は世界最大手のクルーズ会社である米カーニバル傘下の欧州アイーダ・クルーズから、大型客船2隻を受注した。推定受注金額は計約1000億円。全長300メートル、約12万5000トン、客室1643室という日本で建造された客船として過去最大の船で、受注時には「過去の建造実績から何とかできると判断した」と宮永俊一社長は振り返っている[5]

だが欧米向け豪華客船を基本設計から手掛けた経験はなく、当初10カ月と見た基本設計だけで3年以上を要した。アイーダ側が三菱重工の提案より高級な仕様を求めて図面の修正が繰り返され、資材調達や作業工程は混乱する。1番船は当初予定より1年遅れの2016年3月に引き渡され、関連損失は受注額の1.8倍にあたる1872億円へ膨らんだ[6]

大型客船事業からの撤退

三菱重工は2016年4月、他部門の人員も交えた客船事業評価委員会を立ち上げ、損失が膨らんだ原因と今後の事業性を分析した。そして10月18日、大型客船事業からの事実上の撤退を表明する。造船事業は中小型客船とLNG運搬船に集中し、将来的な分社化や他社との提携強化を進める方針を示した。2隻の累計損失は2408億円に達していた[7]

宮永俊一社長は巨額損失の要因について「造船事業部門任せになっていた。何とかなるという楽観的な気持ちがあった」と述べた。事業部制のもとで祖業である長崎造船所の閉鎖性が傷口を広げたとの反省から、経営トップ主催の委員会を通じて全社的なリスク管理体制を強化する構えを見せた。「高付加価値船にとらわれすぎ、実力の見極めが十分できていなかった」との弁も残している[8]

結果

造船の縮小と祖業へのメス

撤退の判断は、祖業である造船部門そのものの縮小につながった。三菱重工はすでに2015年10月、巨額損失に陥っていた長崎造船所の商船事業を分社化し、関連人員を大幅に削減して規模を縮めていた。大型客船からの撤退表明はこの流れを決定づけ、商船はガス運搬船と中小型客船に絞り込まれていく。過去10年で年平均600億円の特別損失を計上してきた同社にとっても、客船の2408億円は突出した重荷であった[9]

撤退表明が属する2017年3月期は、連結売上高3兆9140億円に対し営業利益は1505億円にとどまり、前期の3095億円から半分以下に落ち込んだ。米国の原発事業や国産ジェット旅客機MRJなど大型リスク案件も残るなかで、造船は基幹事業の座から遠ざかっていく。大和証券の田井宏介アナリストは、完全撤退ではなく中小型客船に限定するのは妥当な判断とみていた[10]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2015年2月13日号「ルーツの長崎にメス 三菱重、造船の正念場」
  • 週刊東洋経済 2016年4月8日号「三菱重工が客船で大損 欧米の過剰注文で座礁」
  • 週刊東洋経済 2016年10月29日号「三菱重工が造船を縮小 期待の大型客船で頓挫」
  • 三菱重工業 有価証券報告書(2017年3月期・連結)