- 創業
- 1884年、岩崎弥太郎氏が官営の長崎造船局を借り受けたのが始まりで、1887年に払い下げを受けた。1917年に三菱合資会社から分離した三菱造船の初代会長は岩崎小弥太氏である。岩崎家が経営の座を離れたのは1946年の財閥解体で、1950年の三分割から現在まで創業家出身の社長は出ていない。
- 登用
- 直近20年の5人は全員が新卒入社の生え抜きで、そろって東京大学の出身である。入社から社長就任まで35年から41年かかっており、研究所や三菱自動車へ出た経歴も混じる。1964年の再合併以降、外部から招いた社長は1人もいない。原動機・航空・機械の現場を率いた技術者が本流である。
- 任期
- 10年を超える長期政権は1964年の再合併以来一度もなく、最長は6年で3人が並ぶ。1990年代までは4年前後で回してきたが、直近3代は宮永俊一氏と泉澤清次氏がそろって6年、伊藤栄作氏が2025年4月からである。客船と国産旅客機の後始末に時間を要したためと思われる。
- 含意
- 中興の祖を作らない会社であるように見える。技術畑の生え抜きが4年から6年でたすきを渡し、前の代が決めた大型案件の失敗を次の代が片づける形が続いてきた。取締役12名のうち社外は6名、後継を議論する任意の委員会は2025年に社外が委員長を務める形へ改まったが、会長と社長の2人も委員に残っている。
1963〜1963年・1年/生え抜き
1964〜1967年・4年/生え抜き
1968〜1970年・3年/生え抜き
1971〜1971年・1年/生え抜き
1972〜1975年・4年/生え抜き
1976〜1979年・4年/生え抜き
1980〜1983年・4年/生え抜き
1984〜1987年・4年/生え抜き
1988〜1993年・6年/生え抜き
1994〜1997年・4年/生え抜き
1998〜2001年・4年/生え抜き
2002〜2006年・5年/生え抜き
2007〜2011年・5年/生え抜き
2012〜2017年・6年/生え抜き
2018〜2023年・6年/生え抜き
伊藤栄作現任
2024年〜現在・3年/生え抜き
伊藤栄作
いとう えいさく
生え抜き(1987年入社)。高砂研究所で発電用ガスタービンの研究開発に30年従事し、CTOから社長へ
泉澤清次
いずみさわ せいじ
生え抜き(1981年入社)。国際宇宙ステーション「きぼう」の開発に携わり、三菱自動車常務を経て社長へ
宮永俊一
みやなが しゅんいち
生え抜き(1972年入社)。三菱日立製鉄機械社長を経て本社に戻り、機械・鉄構事業本部長から社長へ
大宮英明
おおみや ひであき
生え抜き(1969年入社)。名古屋航空宇宙システム製作所など航空機部門30年ののち冷熱事業を再建し社長へ
佃和夫
つくだ かずお
生え抜き(1968年入社)。高砂製作所・名古屋機器製作所を経て産業機器畑から、常務取締役として初めて社長へ抜擢
西岡喬
にしおか たかし
生え抜き(1959年新三菱重工業入社)。名古屋航空宇宙システム製作所長など航空機部門一筋で、“傍流”から社長へ
増田信行
ますだ のぶゆき
生え抜き(1957年三菱造船入社)。1994年に副社長・機械事業本部長を経て社長へ
相川賢太郎
あいかわ けんたろう
生え抜き(1951年西日本重工業入社)。原動機畑で1988年に副社長、翌年社長へ
飯田庸太郎
いいだ ようたろう
生え抜き(1943年入社)。原動機第一技術部長を経た原動機畑
末永聡一郎
すえなが そういちろう
生え抜き(1937年入社)。長崎造船所長から原動機事業本部長を経て、副社長から社長へ
金森政雄
かなもり まさお
生え抜き(1935年入社)。1971年に技術本部長を務めた技術畑
守屋学治
もりや がくじ
生え抜き(1930年三菱航空機入社)。新三菱重工業の京都製作所長・本社自動車部長を経て、副社長から社長へ
古賀繁一
こが しげいち
生え抜き(1926年三菱造船入社)。戦艦「武蔵」の設計に携わった造船技術者で、1964年に専務。前任の急逝を受けて社長へ
牧田與一郎
まきた よいちろう
1925年三菱商事入社、1938年に三菱重工業へ移籍した事務系。1971年12月に社長在任のまま死去
河野文彦
こうの ふみひこ
生え抜き(1921年三菱内燃機製造入社)。機械技術者の畑から社長へ
藤井深造
ふじい しんぞう
生え抜き(1918年三菱合資会社長崎造船所入社)。中日本重工業・新三菱重工業の社長を経て、1964年の3社合併で発足した三菱重工業の初代社長