- 創業
- 1878年に川崎正蔵氏が東京築地で造船業を始めたが、1896年の株式会社化で初代社長に就いたのは正蔵氏ではなく、松方正義氏の三男である松方幸次郎氏だった。川崎正蔵氏は顧問へ退いている。松方幸次郎氏は1928年に辞任するまで32年トップを務め、株式会社となって130年、川崎家から社長は出ていない。
- 登用
- 直近20年の社長5人はいずれも新卒入社の生え抜きで、車両・ガスタービン・航空宇宙・鉄道車両・ロボットと、事業カンパニーのプレジデントを務めてから社長へ上がっている。入社から就任までは36年から40年。この20年、外から招いた社長も創業家の社長も出ていない。
- 任期
- 戦後の再建を担った手塚敏雄氏の11年、坂出工場の建設と3社合併を進めた砂野仁氏の8年、大庭浩氏の10年に対し、1997年以降は3年から5年で回してきた。直近3代は村山滋氏が3年、金花芳則氏が4年、橋本康彦氏が6年で、2024年に防衛事業の不正が表面化したあとも交代していない。
- 含意
- 2013年6月、三井造船との統合交渉のさなかに取締役会が10対3で長谷川聰氏ら3人を解職した。トップを止めたのは社内の反対派である。いまも後継を審議する指名諮問委員会は任意の機関で、議長は社外だが社長と副社長が委員に入り、責務は答申にとどまる。人事は社内で決まり、社内で覆る会社であろう。
1950〜1960年・11年/生え抜き
1961〜1968年・8年/生え抜き
1969〜1975年・7年/生え抜き
1976〜1979年・4年/生え抜き
1980〜1985年・6年/生え抜き
1986〜1995年・10年/生え抜き
1996〜1998年・3年/生え抜き
1999〜2004年・6年/生え抜き
2005〜2007年・3年/生え抜き
2008〜2011年・4年/生え抜き
2012〜2014年・3年/生え抜き
2015〜2018年・4年/生え抜き
橋本康彦現任
2019年〜現在・8年/生え抜き
橋本康彦
はしもと やすひこ
生え抜き(1981年入社)。ロボット部門で半導体製造装置向け事業などを立ち上げ、精密機械・ロボットカンパニープレジデントを経てロボット部門出身として初の17代社長へ
金花芳則
かねはな よしのり
生え抜き(1976年入社)。車両カンパニープレジデントなど鉄道車両畑を歩み、副社長を経て16代社長へ
村山滋
むらやま しげる
生え抜き(1974年入社)。航空宇宙部門でヘリコプター設計に従事し、常務取締役を経て15代社長へ
長谷川聰
はせがわ さとし
生え抜き(1972年入社)。ガスタービン・機械カンパニープレジデント、常務取締役、副社長を経て14代社長へ
大橋忠晴
おおはし ただはる
生え抜き(1969年入社)。車両カンパニープレジデント・常務取締役を経て副社長から13代社長へ
田崎雅元
たざき まさもと
生え抜き(1958年川崎航空機工業入社)。二輪車部門と米国現地法人を歩み、汎用機事業本部長・専務を経てオートバイ事業出身として初の12代社長へ
亀井俊郎
かめい としお
生え抜き(1955年川崎重工業入社)。造船工作部を振り出しに造船畑を歩み、専務を経て11代社長へ
大庭浩
おおば ひろし
生え抜き(1948年川崎重工業入社)。鉄構・破砕機・エネルギープラント・単車の各事業を歩み、専務・副社長を経て10代社長へ
長谷川謙浩
はせがわ けんこう
生え抜き(1942年川崎重工業入社)。船舶の設計と営業を歩み、1980年6月副社長を経て9代社長へ
梅田善司
うめだ ぜんじ
生え抜き(1939年川崎造船所入社)。取締役・常務・専務を経て1976年11月に副社長、翌年8代社長へ
四本潔
よつもと きよし
生え抜き(1932年に川崎汽船へ入社)。川崎航空機工業の社長を経て川崎重工業副社長となり、1969年の3社合併後に7代社長へ
砂野仁
いさの まさし
生え抜き(1927年川崎造船所入社)。労務畑を歩み川崎航空機の副社長として同社再建にあたったのち本体へ復帰し、副社長を経て6代社長へ
手塚敏雄
てづか としお
生え抜き(1917年川崎造船所入社)。職工課長・艦船工場総務部長など労務・管理畑を歩み、戦後の再建整備を経て5代社長へ