砂野仁
川崎重工業・元取締役社長
社長就任 1961年
生年月日 —
学歴 京都帝国大学経済学部
出自 —
社長就任までの出自
出自
1926年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1927年4月に川崎造船所へ入社した。京都府与謝郡の出身である。1954年3月に川崎航空機工業の取締役副社長へ出て同社の経営にあたり、1959年12月に本体へ戻って専務取締役に就任した。造船一本になった本体と、分離していた航空機会社の双方を内側から見た経歴を持つ。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1957年4月のスエズ運河再開を境に海運市況が悪化し、新造船の受注が細ると、川崎重工業は陸上部門の多角化と規模の拡大へ向かった。1961年11月に造船・機械・精機・鉄構の4事業部制を敷いた翌12月、専務取締役だった砂野氏が手塚敏雄氏の後任として6代社長に就任している。川崎航空機工業の副社長として系列会社を率いた経歴を持ち、本体復帰から2年での就任だった。
在任中の主な施策
施策
就任の前後に播磨造船所・名古屋造船・浦賀船渠との合併を試み、三度続けて不調に終わった。規模の拡大は自前の設備でとり、1964年末に香川県番ノ州への進出を決めて1967年1月に坂出工場を開設し、建造ドック35万トン・修繕ドック50万トンを備えた。1966年の訪欧で企業の巨大化が要ると見た砂野氏は、1968年1月に川崎航空機工業の四本潔氏、川崎車輌の上田将雄氏と1時間の話し合いで合併を内定させ、1969年4月に2社を吸収合併した。 American Kawasaki設立
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1961〜1969年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件
- 日本企業要覧 1963年版
- 日本企業要覧 1970年版
- 私の履歴書 経済人12「砂野仁」(日本経済新聞社, 1980年)