手塚敏雄

川崎重工業・元取締役社長

Tezuka Toshio(敬称略)

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社長就任 1950年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1916年に東京帝国大学法学部を卒業し、翌1917年3月に川崎造船所へ入社した。栃木県河内郡の出身である。入社から28年を経た1945年6月に取締役へ就任し、その5年後の1950年8月に取締役社長へ上がった。1960年版の役員欄に並ぶ18名のうち7名は工学部・高等工業の出であり、手塚氏は法学部から事務・管理の側を通って社長に届いた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1946年12月に鋳谷正輔氏が社長を辞任したのち、新しい役員が合議制で再建整備計画を立てた。1949年10月に計画が認可され、残る事業は造船・造機・電機の3部門だけになる。1950年6月に資本金をいったん6,000万円へ減資し、同年8月に5億6,000万円へ増資したうえで、手塚氏が5代社長に就任した。会社を畳み直す作業が一段落した時点での就任であり、法学部出身の管理畑が充てられている。

在任中の主な施策
施策

就任と同じ1950年8月、企業再建整備計画に基づいて製鉄部門を分離し、資本金5億円の川崎製鉄を設立した。本体の事業は造船・造機・電機に絞られる。技術の立て直しは導入で進め、1951年2月にスイスのエッシャウィス社と発電用水車タービンの、1954年6月にエリコン社と発電機の製作技術援助契約を締結して水力発電機の分野へ入った。1953年には1万7,000トン浮船渠を完成させている。1961年11月に造船・機械・精機・鉄構の4事業部制を敷き、翌12月に砂野仁氏へ社長を渡した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1950〜1961年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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