- 創業
- 1853年に幕命で隅田川口に置かれた造船所を、1876年に平野富二氏が引き受けて日本初の民営造船所とし、1889年には渋沢栄一氏らと有限責任石川島造船所を興した。1893年の株式会社化で渋沢栄一氏が初代会長に就いている。財閥の傘に入らなかった代わりに世襲はなく、渋沢栄一氏を最後に両家からトップは出ていない。
- 登用
- 直近20年の社長は釡和明氏・斎藤保氏・満岡次郎氏・井手博氏の4人で、いずれも新卒で入った生え抜きである。入社から就任までは36年から37年とほぼそろい、外から招いた社長は1948年以降の名簿に確認できない。財務部長か事業領域長を務めた者が順に上がる型に見える。
- 任期
- 石川島重工業を立て直して播磨造船所との合併を決めた土光敏夫氏の約14年、「2.5次産業型企業」を掲げた稲葉興作氏の約12年が長期政権にあたる。直近は斎藤保氏・満岡次郎氏がそろって4年、井手博氏は2020年6月から6年を超えた。赤字と不正が続く局面で任期が延びていると思われる。
- 含意
- 2007年の有価証券報告書虚偽記載、2019年の航空エンジン整備不正、2024年の子会社データ改ざんと数字の不正が三度あったが、社長は交代していない。退いたのは2008年1月に代表権を返し取締役も辞した当時会長の伊藤源嗣氏だけである。取締役11名のうち6名が社外で議長も社外だが、後継を諮る委員会には社長本人が座る。
1947〜1948年・2年/生え抜き
1949〜1963年・15年/生え抜き
1964〜1970年・7年/生え抜き
1971〜1977年・7年/生え抜き
1978〜1981年・4年
1982〜1993年・12年/生え抜き
1994〜1999年・6年/生え抜き
2000〜2005年・6年/生え抜き
2006〜2010年・5年/生え抜き
2011〜2014年・4年/生え抜き
2015〜2018年・4年/生え抜き
井手博現任
2019年〜現在・8年/生え抜き
井手博
いで ひろし
生え抜き(1983年入社)。シンガポールのJurong Engineering社長を経て、資源・エネルギー・環境事業領域長から社長へ
満岡次郎
みつおか つぎお
生え抜き(1980年入社)。航空宇宙事業本部長・取締役を経て社長へ
斎藤保
さいとう たもつ
生え抜き(1975年入社)。航空宇宙事業本部長から副社長を経て社長へ
釡和明
かま かずあき
生え抜き(1971年入社)。財務部長から執行役員・取締役を歴任した財務畑の出身
伊藤源嗣
いとう もとつぐ
生え抜き(1959年石川島重工業入社)。航空機エンジンの開発部門が長い技術者で、1993年取締役、常務・専務を経て社長へ
武井俊文
たけい としふみ
生え抜き(1953年石川島重工業入社)。営業畑一筋で取締役・常務・副社長を経て社長へ
稲葉興作
いなば こうさく
生え抜き(1946年石川島芝浦タービン入社)。1962年に石川島播磨重工業へ転籍し、汎用機事業部長・常務・副社長を経て社長へ
生方泰二
うぶかた たいじ
真藤恒
しんとう ひさし
生え抜き(1934年播磨造船所入社)。ナショナル・バルク・キャリアーズを経て1960年の合併で石川島播磨の常務、副社長から社長へ
田口連三
たぐち れんぞう
生え抜き(1929年石川島造船所入社)。副社長を経て社長へ
土光敏夫
どこう としお
生え抜き(1920年入社)。系列の石川島芝浦タービン社長から本社へ呼び戻されて社長に就いた
下島勝次
しもじま かつじ
生え抜き。公職追放令で旧首脳が退いた1948年、宮島利雄副社長・田口連三常務とともに若い経営陣として社長に就いた