石川島造船所の歴史は、幕府の官営造船所から個人経営を経て株式会社へと組織形態が進化した過程として捉えることができる。転換点は渋沢栄一氏の経営参画であり、個人経営では調達困難な巨額資本を第一銀行からの融資で確保し、設備拡張を可能にした。造船業が要求する重厚長大な資本投下に対して、銀…
石川島播磨重工業の合併は、両社が抱える課題の相互補完によって成立した。石川島は大型船建造に必要なドックを持たず、播磨は造船依存の事業構成から脱却できずにいた。石川島が播磨の大型ドックを、播磨が石川島の陸上部門を獲得するという構図は、設備と事業ポートフォリオの交換に等しい。土光敏夫…
石川島播磨と川崎重工の造船統合は、円高下の国際競争力低下という合理的な動機に基づいていたが、基本合意からわずか5ヶ月で白紙撤回された。撤回理由は非開示だが、川崎重工では後年にも造船分離をめぐる社長解任が発生しており、造船部門の統合・分離は社内の強い抵抗を伴うテーマであった。経営判…
IHIによる豊洲再開発は、造船業の縮小に伴う遊休資産を高収益の不動産事業に転換した事例である。有楽町線の延伸により駅前一等地となった立地条件を活かし、自社主導で再開発を実施。分譲マンションの販売とオフィス賃貸により、2008年3月期には営業利益123億円を計上した。重工メーカーが…