重要な意思決定
20014月

船舶・海洋事業を川崎重工と統合(破談)

背景

円高と韓中メーカーの台頭による造船再編機運

1990年代を通じた円高ドル安の進行により、労働集約型の国内造船業は国際競争力を大きく損なった。為替面で相対的に優位な韓国・中国の造船メーカーが急速に台頭し、日本の造船各社は価格競争で劣勢に立たされた。国内造船業の構造的な課題を解消するために再編機運が高まり、大手メーカー間での事業統合が模索されるようになった。 2000年9月には石川島播磨重工業・川崎重工業・三井造船の大手3社が造船事業に関する業務提携を締結し、連携を深めていた。この提携が布石となり、2001年4月3日に石川島播磨重工業と川崎重工業は「船舶海洋事業の統合に関する基本合意」を締結。2002年10月に両社の船舶海洋事業を折半出資の合弁会社に統合する計画を発表した。

決断

統合計画の白紙撤回と住友重機械への方針転換

しかし、2001年9月19日に石川島播磨重工業は、川崎重工との船舶事業統合の基本合意を白紙撤回したことを発表した。撤回の理由は非開示であったが、2013年に川崎重工では造船部門の分離をめぐって社長解任を含む社内対立が発生しており、この時点でも川崎重工の社内における合意形成が難航した可能性が指摘されている。 統合計画の破談を受けて、石川島播磨重工業は船舶海洋事業について別の統合相手を模索し、住友重機械工業との統合交渉を開始した。この方針転換は、翌2002年10月のIHIマリンユナイテッドの設立へとつながり、最終的にはジャパンマリンユナイテッドの発足を経て、国内造船業の再編が進展することとなった。