重要な意思決定
豊洲2丁目土地区画整理事業を開始
背景
造船所の閉鎖と豊洲の立地価値
2000年9月に石川島播磨重工業は、東京第一工場(江東区豊洲)において最後の建造船「護衛艦あけぼの」の進水式を実施した。造船所としての役割を終え、2001年4月に東京第一工場を閉鎖した。同工場は戦前の1939年から土地を取得して稼働しており、約60年にわたって石川島の造船拠点として機能してきた。 1988年に東京メトロ有楽町線が豊洲駅まで延伸開業したことで、東京第一工場の跡地は豊洲駅前の一等地となっていた。豊洲から銀座一丁目までは有楽町線で6分の距離であり、都心へのアクセスが良好な大規模用地として高い不動産価値を有していた。造船業の構造的な縮小が進むなかで、この立地を造船以外の用途に転換する機運が高まった。
決断
IHI主導による跡地再開発
IHIは東京第一工場跡地を「オフィスビル・商業施設・大学・マンション」として再開発する方針を決定した。一部の敷地は売却したものの、IHIが再開発全体を主導する形で事業を推進。2006年までに豊洲IHIビルなど一部施設を完成させ、オフィス賃貸による安定的な不動産収入を確保した。 さらに、2008年までに三井不動産と共同で総戸数1,476戸の分譲マンション「パークシティ豊洲」を完成。2008年3月期にIHIは不動産事業において売上高407億円・営業利益123億円を計上した。造船所の跡地を高収益の不動産事業に転換したことで、重工メーカーとしては異例の不動産収益を確保し、本業の業績変動を補う事業ポートフォリオの一角を形成した。