IHI原動機の燃費データ改ざんと「技術を欺いた」不正の露見

約40年、現場で受け継がれた改ざんを、技術の会社はなぜ止められなかったか

更新:

時期 2024年4月
意思決定者 井手博 社長
論点 品質データの信頼と現場の統治
概要
2024年、IHIの子会社IHI原動機が舶用エンジン等の燃料消費率データを長年改ざんしていた事実が社員の申告で表面化した。1980年代後半から約40年にわたり口頭で継承された不正で、井手博社長は「技術の会社が技術を欺いてしまった」と謝罪した。
背景
燃料消費率は顧客との契約仕様と国際的なNOx規制の適合を左右する数値であった。IHI原動機の新潟内燃機工場と太田工場では、その試運転データを実測値と異なる値へ書き換える処理が、文書化されないまま口頭の慣行として続いていた。
内容
2024年2月の社内申告で調査が始まり、2003年以降に出荷した舶用エンジンの約九割にあたる4,215台で改ざんが判明した。国内向け1,938台のうち1,594台でデータが書き換えられ、796台は実測値が仕様値に届いていなかった。
含意
2007年の有価証券報告書虚偽記載に続く二度目の数字をめぐる不正であり、「技術のIHI」の信用を損なった。舶用大型エンジン事業の三井E&Sへの譲渡と重なり、原動機分野からの後退を加速させた。
筆者の見解

数字を扱う会社の、数字への信頼

この不正の重さは、金額の大小よりも、それが約40年にわたり現場の慣行として受け継がれてきた点にあるとみられる。文書化されないまま口頭で継承されたという経緯は、個人の逸脱というより、数値を良く見せることを許してきた組織の空気の問題を示している。井手社長の「技術の会社が技術を欺いてしまった」という言葉は、技術を誇る会社ほど、その技術を裏づける数値の正しさに縛られるという逆説を突いているとみることができる。

IHIは航空エンジンへの集中を進め、防衛や脱炭素を次の柱に育てようとしている。だが、いずれの分野も、計測された数値が契約と安全と規制を支える点では舶用エンジンと変わらない。事業をどこに集中するかという戦略の議論の傍らで、その事業が生む数値をどう統治するかという問いが、二度の不正を経たこの会社にあらためて突きつけられている。集中の巧拙とは別の次元で、失った信頼をどう作り直すかが、次の再建の重い前提になっているとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

舶用エンジンを担うIHI原動機

IHI原動機は、IHIグループで舶用・陸用のディーゼルエンジンを手がける子会社である。その事業は、2003年に会社更生手続きに入った新潟鐵工所から原動機関連事業を継承した流れを源流の一つとし、船舶や発電設備に据えるエンジンを国内外へ供給してきた。舶用エンジンは船の動力の中核をなすと同時に、その燃料消費率が契約仕様や環境規制の適合を左右する、数値そのものが価値を担う製品であった[1]

とりわけ燃料消費率は、船主が運航コストを見積もる基準であり、同時に国際的な窒素酸化物(NOx)規制への適合を確かめる根拠でもある。工場での試運転で計測し、成績書に記して顧客と規制当局へ示すこの数値は、造船・海運の取引と環境規制の双方を支える土台にあたる。数字の正しさが製品の信頼を裏づける構造のなかで、IHI原動機の現場はその数値を扱っていた[2]

現場に根づいた改ざんの慣行

この燃料消費率の試験データを、IHI原動機の現場は長年にわたり書き換えていた。実測値を顧客との仕様値に近づけて良く見せたり、データのばらつきが小さかったように装ったりするため、成績書の数値を実際とは異なる値へ修正していた。文書化されたマニュアルは無く、こうした処理は口頭で引き継がれ、「悪しき習慣」として世代を越えて受け渡されていた[3]

改ざんが行われていたのは新潟内燃機工場と太田工場の二拠点で、後の調査では、その始まりは1980年代後半にさかのぼるとされた。事実であれば、不正は約40年にわたって途切れることなく続いていたことになる。品質を数値で保証するという製造業の根幹が、現場の慣行として静かに崩れたまま、長く表面化しなかった[4]

決断

社員の申告による発覚と全容

事態が明るみに出たのは2024年2月であった。IHI原動機の社員による社内申告をきっかけに調査が始まり、燃料消費率データの広範な改ざんが確認されていった。長く口頭で継承されてきた慣行が、内部からの声によって初めて外へ引き出された。会社が自ら気づいて正したのではなく、現場の一人の申告が端緒であった点に、この不正の根深さがうかがえる[5]

調査で判明した規模は大きかった。2003年以降に出荷した舶用エンジンのうち約九割にあたる4,215台で改ざんが見つかり、国内向けの1,938台では1,594台でデータが書き換えられ、うち796台は実測値が顧客との仕様値を満たしていなかった。試運転記録の改ざんは体裁の調整にとどまらず、契約で約した性能に届かない製品を正規のものとして出荷していた事実を含んでいた[6][7]

規制当局の対応と社長の謝罪

国土交通省は2024年4月24日にこの事案を公表し、NOx規制に関わる規則の遵守が確認されるまでの間、IHI原動機への関連証書の交付を行わないと伝えた。環境規制の適合を証する書類が止まることは、対象エンジンの取引そのものを制約する措置にあたる。数値の改ざんが、単なる社内の品質問題を超えて、規制と市場の信認に直結する事案であることを示していた[8]

親会社IHIの社長を務める井手博氏は、2024年5月の決算説明会でこの不正を謝罪し、「あってはならないことがまた起こった」と語った。井手氏はのちの取材でも、技術を誇ってきた会社が自ら数値を偽った痛恨を、「技術の会社が技術を欺いてしまった」[10]と表現している。相次ぐ不正を前に、経営の言葉は再発防止の決意よりも先に、悔恨の色を濃くにじませていた[9]

結果

信頼失墜と原動機事業の後退

不正の発覚は、「技術のIHI」を掲げてきた会社の信用を損なった。IHIはこの前年、2023年にIHI原動機の舶用大型エンジン事業を三井E&Sへ譲渡しており、低収益事業の整理という文脈で進めていた原動機分野からの後退は、品質不正の露見と重なって色合いを変えていく。稼ぎの薄い事業を切り離す判断は、信頼を失った事業を手放す判断とも重なっていった[11]

この改ざんは、IHIにとって初めての数字をめぐる不祥事ではなかった。2007年には、プラント工事の損失計上が遅れた有価証券報告書の虚偽記載で、証券取引等監視委員会から当時最大の課徴金を科されている。財務の数字と製品の数字という違いはあれ、報告の正しさが二度にわたり損なわれた事実は、一つの現場や一つの世代に帰せない、統治の構造の問題として残った[12]

出典・参考
  • 国土交通省「株式会社IHI原動機による舶用エンジン等の燃料消費率に関するデータ改ざん事案について」(2024年4月24日) https://www.mlit.go.jp/report/press/kaiji07_hh_000318.html
  • 日経クロステック(2024年)「燃費データ改ざんを40年近く口頭で"継承"、IHIは不正の連鎖断ち切れず」 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/09234/
  • 日経クロステック(2024年)「IHI子会社で燃費の試験データ改ざん、船舶用エンジンの9割で」 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/24/00647/
  • 東洋経済オンライン(2024年)「IHI、『相次ぐ不正』にトップが吐露した痛恨の極み」 https://toyokeizai.net/articles/-/847098
  • 証券取引等監視委員会「株式会社IHIに係る有価証券報告書等の虚偽記載に係る課徴金納付命令勧告について」(2008年6月19日) https://www.fsa.go.jp/sesc/news/c_2008/2008/20080619.html
  • 株式会社IHI 有価証券報告書 第208期(2025年3月期)【沿革】
  • 株式会社IHI 有価証券報告書(連結・IFRS)