新潟鐵工所の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

事業を足すことはあっても、減らすことはなかった。1918年に英マーリース社からディーゼル機関の製造権を買収し、1924年にはスウェーデンのノベル社から2サイクル機関の製造権も取得して、石油発動機の会社を内燃機関の会社へ変えた。戦後は日本勧業銀行から迎えた倉井敏麿社長が5件の技術提携を締結し、1959年に建設機械へ参入して製品別事業部制を敷いている。1971年には資本金95億円、従業員7,000名、13工場で6事業部を抱えるまでになった。1982年3月期に経常損益が11億円の赤字へ転じても区分は減らず、1985年3月期のエンジニアリング35%・内燃機関26%・工作機械10%・産業機械10%という7区分の構成がそのまま残った。

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