汽車製造の決断社史:経営の意思決定を振り返る

更新:

決断

この会社の受注量を決めたのは市場ではなく、国鉄の発注計画である。1906年の鉄道国有法で主な顧客だった民営鉄道が消え、1949年には国鉄の電化方針で蒸気機関車の製造が止まり、創業以来の主力製品を失った。大阪製作所はボイラ技術を化工機・冷凍機・ごみ焼却炉などへ広げ、1962年10月には鉄道を斜陽産業と見て滋賀製作所を操業させた。車両の国鉄依存は1959年の受注80%から1964年の40%へ下がったものの、1968年度から続いた発注減を埋める利益は、依存を下げた先の事業からは出なかった。

免責事項およびポリシー