日商と岩井産業の合併(1968年・日商岩井の決断)更新:2026/08/04日商岩井:業績の推移売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所対等合併による日商岩井の発足1968年10月1日、日商が岩井産業を合併して日商岩井が発足した。取引先の倒産が重なった岩井産業について、主力銀行の三和銀行から日商の西川政一社長へ合併の可能性が打診されたことに始まり、両社の単純合計で年商約1兆2000億円、業界第5位の商社となった。何をなぜ決めたか:対等合併による日商岩井の発足概要1968年10月1日、日商が岩井産業を合併して日商岩井が発足した。取引先の倒産が重なった岩井産業について、主力銀行の三和銀行から日商の西川政一社長へ合併の可能性が打診されたことに始まり、両社の単純合計で年商約1兆2000億円、業界第5位の商社となった。背景1964年3月の金融引締めに始まる四〇年不況で経営危機の企業が続出し、商社でも丸紅飯田と東通、江商と兼松の合併が相次いだ。日商は1963年に資本金を70億円としてもなお取扱高は第7位にとどまり、三井・三菱の財閥系商社との差は開くばかりであった。内容1968年4月27日に読売新聞が合併を一面四段抜きでスクープし、5月2日に両社社長が大阪繊維輸出会館で正式発表と仮調印を行った。10月1日、日商を存続会社として合併し、商号を日商岩井へ改めた。鈴木商店の後継会社として39人で出発した日商の創立から40年の年にあたる。いつ何が起きたか9件筆者考察考察考察:銀行が持ち込んだ縁組合併の話は、日商が岩井産業へ持ちかけたのではなく、岩井産業の主力銀行である三和銀行から西川政一社長へ持ち込まれた。サンウエーブ工業と平松商店の倒産で経営の安定を欠いた会社を、体力のある同業へ寄せる縁組である。日商がこれを機会として使えたのは、八幡製鉄と富士製鉄の合併準備という未公表の情報を握っていたからだと推察される。富士に緊密で八幡に薄い日商と、その逆の岩井産業。鉄鋼の取引関係で見れば、両社は互いの欠けを埋める組み合わせであった。ただ、合併がただちに実を結んだわけではない。指揮を執るはずの西川政一社長は発足直後に脳血栓で倒れ、1年余りで社長の座を辻良雄氏に譲っている。半期取扱高が1兆円に達するのは1972年で、仮調印から4年を要した。Yutaka Sugiura, 2026年8月参考文献参考文献参考私の商社昭和史(1987年)8章「四〇年不況と大型合併」私の商社昭和史(1987年)8章「グループの中核として」私の履歴書 経済人17「西川政一」(日本経済新聞社, 1981年)私の履歴書 経済人15「高畑誠一」(日本経済新聞社, 1981年)企業の歴史 明治百年(1968年)「日商岩井」証券 1990年3号会社銀行八十年史(1955年)「岩井産業」次に読む決断同じ問い:救済型の買収1972年汽車製造汽車製造川崎重工業への救済合併7年に及ぶ累積粉飾の発覚を受けた、単独での存続の断念1972年1977年伊藤忠商事伊藤忠商事安宅産業の救済合併「39年の恩」に応えた経営破綻企業の引き受け1977年1986年住友銀行住友銀行平和相互銀行を吸収合併同業行の吸収合併によって一挙に獲得した首都圏の店舗網1986年1967年兼松兼松江商との合併規模を求めた同業との統合と、両社名を並べた新商号での再出発1967年2002年損害保険ジャパン損害保険ジャパン日産火災海上保険・大成火災との合併料率自由化後の規模の確保と、破綻した相手を含む三社統合の完遂2002年日商岩井の意思決定1862年日商岩井日商岩井岩井文助商店の創業1862年の鈴木商店系・日商との合併による日商岩井の発足1862年1998年日商岩井日商岩井エヌ・アイ・ファイナンス整理金融子会社の清算と、特別損失1610億円の計上1998年×出所