決断
産地での直接買付を足場に、綿花輸入の2割を押さえた会社である。発足時に旧部員の役職を1〜2階級引き上げ、利潤を従業員へ還元する給与に改めたうえで、インド・中国・米国南部に支店と出張所を置いて綿花を産地で買い付けた。1927年には児玉一造氏みずからインドを回り、現地の紡績事業が利益を生まない原因を探っている。その結果、1935年の綿花輸入取扱高は日本全体の21.5%に達した。一方で終戦により海外資産1億400万円余りをすべて失い、戦後は三井物産との取扱品目の協定が消えたことで、機械や食品へ品目を広げた。