兼松 の歴史

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創業 1889年
創業者 兼松房治郎
創業地 兵庫県神戸市
創業
1889年8月、兼松房治郎氏が神戸で豪州貿易兼松房治郎商店を開設し、外国商館を通さない日豪間の直貿易を始めた。当時の日本の貿易は9割近くを横浜・神戸の外国商館が握っており、翌1890年にシドニーへ支店を置いて羊毛を自ら仕入れる経路を作っている。1922年4月にシドニー支店を現地法人へ改組し、1943年2月に商号を兼松株式会社へ改めた。1961年10月に大阪証券取引所第二部へ上場したものの、従業員持株制度の名残で株式の外部流通が乏しく、東京証券取引所第一部の基準は満たせないままだった。1967年4月、東京銀行の仲介で経営難に陥った同業の江商を合併し、兼松江商が発足する。商号を兼松へ戻したのは1990年1月である。
決断
合併で総合商社になり、再建で専門商社へ戻った。1967年の合併で機械・鉄鋼・食料・化学品を取り込んで繊維一本の事業構成を崩し、株主分布も広がって1973年4月に東京・名古屋両証券取引所の第一部へ上場した。総合商社十社の一角に数えられた一方、バブル期に積んだ不動産と株式の含み損は、1998年の格付け引き下げで資金繰りへ直結する。1999年5月、約1,500億円の債権放棄と引き換えに総合商社の看板を下ろし、337億円の減資と本体人員の約3分の1削減を同時に実施した。祖業の繊維を分社化し、紙パルプ・不動産から撤退して食料・IT・鉄鋼・ライフサイエンスの4部門へ絞っている。復配は2013年9月まで15年を要し、その間の投資判断は銀行出身の役員が握った。
現況
売上が最も大きい食料ではなく、その3分の1の規模しかないICTが最も高い利益を上げている。2026年3月期の連結売上高は1兆676億円、営業利益487億円、親会社株主に帰属する当期純利益325億円。売上の内訳は食料3,589億円、電子・デバイス3,070億円、鉄鋼・素材・プラント1,694億円、車両・航空1,199億円、ICTソリューション1,118億円である。一方でセグメント利益は電子・デバイス161億円、ICTソリューション151億円、食料88億円の順で、売上の順位とは並びが違う。2023年5月には、1987年の上場以来36年続いた兼松エレクトロニクスとの親子上場をTOBで解消し、商社本体の約2万社の顧客へ子会社のIT商材を売り込めるようにした。
競合
十大商社と呼ばれた各社のうち、法人を残したまま看板だけを下ろしたのは兼松である。1977年に安宅産業は伊藤忠商事へ吸収されて消滅し、日商岩井は1999年4月に6,000億円の協調融資枠を受け入れて有利子負債を圧縮したものの、2003年にニチメンとの統合で双日へ移った。兼松は同じ1999年に銀行団の債権放棄を受けたが、合併も法人格の移転も選ばず、事業の範囲を縮小して単独で残っている。売上高1兆676億円は伊藤忠商事14兆8,230億円の14分の1で、規模の比較はもはや成り立たない。1999年に商社事業の半分から撤退したことが、電子・デバイスとICTの2分野でセグメント利益の3分の2を稼ぐ現在の構成を生んだ。
兼松:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 神戸発・日豪直貿易から戦後の総合商社化 (1889年〜)

兼松房治郎氏が踏み開いた日豪羊毛直貿易の起点

1889年、兼松房治郎氏は44歳で神戸[1]に『豪州貿易兼松房治郎商店』を開いた[2]。前々年の1887年に初めてシドニーを[3]訪れ現地の交易構造を直接確認したうえでの開業で、外国商館を介さずに豪州産羊毛・牛脂・牛皮を日本に積み出す『日豪直貿易』を事業の根幹に据えた。明治中期の日本貿易は横浜・神戸の外国商館が握り、日本人商社が直接海外仕入れを担う例は森村組と三井物産など2〜3社にとどまった。『貿易商権を日本人の手に』[引用元]という創業者の理想は、当時の貿易構造に対する直接の挑戦でもあった。翌1890年にはシドニーに支店を開設し[4]、創業時点から本国と海外拠点を一対で運営する形を取った。

  • 兼松株式会社 公式沿革「兼松の歩み」
    • [1]1889年 兼松房治郎氏(44歳)が神戸に「豪州貿易兼松房治郎商店」を開いた
    • [2]創業者の氏名は兼松房治郎
    • [3]1887年に初めてシドニーを訪問
    • [4]1890年にシドニー支店を開設

兼松商店は十余年で羊毛輸入の4〜5割を占める実績を築き[5]、繊維紡績の急拡大とともに地盤を広げた。1913年に創業者の兼松房治郎氏が68[6]歳で没した後も日豪貿易の主軸は維持され、1918年には資本金200万円で株式会社兼松商店へ改組し[7]、近代企業としての体裁を整えた。第一次大戦の好況で取扱規模を拡張する一方、戦後反動の損失を吸収しながら、戦間期には欧州・北米・中国の貿易ネットワークも整備した。1922年4月にはシドニー支店をF.Kanematsu[8] (Australia) Ltd.として現地法人化し、戦前期において南半球の現地法人化に踏み込んだ商社は同社を含めて少数だった。日豪直貿易を軸にする経営スタイルが、戦時統制と戦後復興を通じても同社の輪郭を規定する基層となった。

  • 兼松株式会社 公式沿革「兼松の歩み」
    • [5]創業期に羊毛輸入の4〜5割を占める実績を築いた
    • [6]1913年に創業者 兼松房治郎氏が68歳で没した
    • [7]1918年に資本金200万円で株式会社兼松商店へ改組
  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1922年4月にシドニー支店をF.Kanematsu (Australia) Ltd.として現地法人化
  • 兼松株式会社 公式沿革「兼松の歩み」
    • [1]1889年 兼松房治郎氏(44歳)が神戸に「豪州貿易兼松房治郎商店」を開いた
    • [2]創業者の氏名は兼松房治郎
    • [3]1887年に初めてシドニーを訪問
    • [4]1890年にシドニー支店を開設
    • [5]創業期に羊毛輸入の4〜5割を占める実績を築いた
    • [6]1913年に創業者 兼松房治郎氏が68歳で没した
    • [7]1918年に資本金200万円で株式会社兼松商店へ改組
  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1922年4月にシドニー支店をF.Kanematsu (Australia) Ltd.として現地法人化

戦時統制と戦後再出発、「兼松」復号と海外網再建

太平洋戦争下では政府の貿易統制で民間商社の活動余地が縮小し、1943年2月に商号を『兼松株式会社』と改めた[9]。終戦後の財閥解体は商社業界にとくに厳しく、三井物産・三菱商事は1947年7月に過度経済力集中排除法により200余社に分割解体された。兼松は財閥系ではなく繊維商社として相対的に小規模だったため、解体・再分割は免れたが、敗戦直後の輸出入禁止と GHQ の貿易管理下で営業基盤は一旦失われた。1949年12月の貿易再開後、最初に挑んだのは断絶した海外網の再構築で、戦前の取引相手との関係修復から再出発した。

  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1943年2月に商号を「兼松株式会社」と改めた

1951年4月、サンフランシスコ講和条約調印を待たずに Kanematsu New York Inc.(現 Kanematsu USA Inc.)を設立し[10]、戦後の総合商社で初めてニューヨーク現地法人を立ち上げた。1952年4月には本部機構を神戸から大阪へ移し[11]、戦後の商業の重心が関西大都市へ移った時期に経営の重心を合わせた。続いて1957年6月に F.Kanematsu & Co., GmbH(現 Kanematsu GmbH)を西独に設立し[12]、欧州市場への足場を築いた。1961年10月の大阪証券取引所第二部上場(1963[13]年に第一部指定)で資本市場からの資金調達経路も整い、戦後復興期の経営基盤を一通り組み直した。神戸・大阪の関西二都市を発祥地とし、戦前の海外網を戦後に独力で再建する経路は、後年の総合商社化を支える土台となった。

  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1951年4月にKanematsu New York Inc.(現 Kanematsu USA Inc.)を設立
    • [11]1952年4月に本部機構を神戸から大阪へ移した
    • [12]1957年6月にF.Kanematsu & Co., GmbH(現 Kanematsu GmbH)を西独に設立
    • [13]1961年10月に大阪証券取引所第二部に上場(1963年に第一部指定)
  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1943年2月に商号を「兼松株式会社」と改めた
    • [10]1951年4月にKanematsu New York Inc.(現 Kanematsu USA Inc.)を設立
    • [11]1952年4月に本部機構を神戸から大阪へ移した
    • [12]1957年6月にF.Kanematsu & Co., GmbH(現 Kanematsu GmbH)を西独に設立
    • [13]1961年10月に大阪証券取引所第二部に上場(1963年に第一部指定)

1967年江商合併、関西五綿「兼松江商」誕生

1960年代の日本商社業界は、繊維中心の関西五綿(伊藤忠・丸紅・東洋綿花・日綿実業・江商)が総合商社化を競う再編期に入った。合成繊維の急拡大で天然繊維の比重が下がるなか、繊維単一品種への依存はリスクと業界が共通認識し、商品多角化と規模拡大が業界共通の経営課題となった。同じ関西五綿の一角を占めた江商株式会社(1891年に北川与平氏が『北川商店』として大阪で創業)は[14]、戦後に多角化と海外取引拡大を目指したが収益化に遅れ、1960年代半ばには経営危機が表面化した。両社の主取引銀行であった東京銀行(後の東京三菱銀行)の仲介により、兼松が存続会社、江商が消滅会社となる合併(合併比率1:5)が成立した。

  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
    • [14]江商株式会社は北川与平氏が1891年に「北川商店」として大阪で創業

1967年4月、兼松と江商は合併し『兼松江商株式会社(Kanematsu-Gosho LTD.)』[引用元]が発足した。新資本金は28億円で、合併に伴って機械・鉄鋼・食料・化学品を含む江商の事業ポートフォリオを取り込み、繊維単一品種の構造から多角型商社へ性格を転換した。1967年6月にはファインクロダサービスを黒田精工から取得し、商号を兼松江商工作機械販売[15](現 兼松ケージーケイ)に改称して機械販売の足場を作り、1968年7月には兼松電子サービス[16](現 兼松エレクトロニクス)を設立して後の『電子・デバイス』事業の源流を生んだ。1970年12月には鉄鋼販売子会社(現 兼松トレーディング)を設立[17]、東京支社を本社化し、1973年4月には東京・名古屋両証券取引所第一部に上場[18]して合併後の総合商社化が資本市場側にも認知された。

  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1967年6月にファインクロダサービスを黒田精工から取得し商号を兼松江商工作機械販売(現 兼松ケージーケイ)に改称
    • [16]1968年7月に兼松電子サービス(現 兼松エレクトロニクス)を設立
    • [17]1970年12月に鉄鋼販売子会社(現 兼松トレーディング)を設立し東京支社を本社化
    • [18]1973年4月に東京・名古屋両証券取引所第一部に上場
  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
    • [14]江商株式会社は北川与平氏が1891年に「北川商店」として大阪で創業
    • [15]1967年6月にファインクロダサービスを黒田精工から取得し商号を兼松江商工作機械販売(現 兼松ケージーケイ)に改称
    • [16]1968年7月に兼松電子サービス(現 兼松エレクトロニクス)を設立
    • [17]1970年12月に鉄鋼販売子会社(現 兼松トレーディング)を設立し東京支社を本社化
    • [18]1973年4月に東京・名古屋両証券取引所第一部に上場

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兼松の沿革1922〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1889〜1966年神戸発・日豪直貿易から戦後の総合商社化シドニー支店をF.Kanematsu (Australia) Ltd.に改組
大阪支店を開設
商号を「兼松」に商号変更
Kanematsu New York Inc.を設立
本部機構を神戸から大阪に移管
F.Kanematsu & Co.,GmbHを設立
大阪証券取引所市場第二部に上場
1967〜2003年バブル期の不動産投資と1999年「1,500億円債権放棄」の代償兼松・江商合併と「兼松江商」の発足

1967年4月、経営危機に陥った江商を、主取引銀行の東京銀行仲介のもとで兼松が合併し、『兼松江商株式会社』が発足した経営判断。繊維単一品種構造からの脱却と、東京証券取引所第一部上場という2つの課題を合併という一手で同時に解いた。

詳細を読む
★★★
兼松江商に商号変更
黒田精工からファインクロダサービスの経営権を取得
兼松電子サービスを設立★★
東京支社を本社に
兼松江商鉄鋼販売を設立(2025年4月に全株式を譲渡)
東京証券取引所市場第一部に上場
兼松コンピューターシステムを設立
Kanematsu-Gosho (Hong Kong) Ltd.(現 Kanematsu (Hong Kong) Ltd.)を設立
兼松エレクトロニクスが東京証券取引所市場第二部に上場
商号を「兼松」に商号変更
東京本社を港区芝浦に移転
兼松「構造改革計画」― 1,500億円債権放棄と総合商社からの撤退

1999年5月、経営破綻寸前に陥った兼松が、主取引銀行団による約1,500億円の債権放棄と337億円の減資を柱とする『構造改革計画』を発表し、自ら『第二の創業』と称して総合商社の看板を下ろした経営判断。

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★★★
三輪徳泰兼松石油販売に産業用LPガス事業を統合
三輪徳泰兼松石油販売を兼松ペトロに商号変更
2004年〜専門商社復活からデジタル商社・ソリューションプロバイダーへの転換(2004〜現在)三輪徳泰新東亜交易の株式の過半数を取得
下嶋政幸兼松日産農林の株式の過半数を取得
下嶋政幸兼松テレコム・インベストメントがダイヤモンドテレコムを吸収合併
下嶋政幸兼松テレコム・インベストメントをダイヤモンドテレコムに商号変更
下嶋政幸兼松コミュニケーションズがダイヤモンドテレコムを吸収合併
宮部佳也東京本社を現在の千代田区丸の内に移転
宮部佳也兼松エレクトロニクスを完全子会社化★★
宮部佳也兼松サステックを完全子会社化
出典・参考
  • 兼松 有価証券報告書【沿革】
  • 兼松株式会社 決算説明会・integration 1.0 発表資料
  • 兼松株式会社 公式沿革「兼松の歩み」
  • 財界オンライン(2024年12月11日)
  • 兼松株式会社 公式(future 135 発表資料)

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