住友銀行 平和相互銀行を吸収合併 同業行の吸収合併によって一挙に手に入れた首都圏の店舗網
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1986年10月、住友銀行が首都圏に約100店舗を持つ平和相互銀行を吸収合併した経営判断。新資本金は約1266億円、預金は約24兆円となり、預金量で国内2位に立った。
- 背景
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1985年9月のプラザ合意後の超低金利で銀行に預金が流れ込み、貸出先の拡大が急がれていた。一方で出店規制があり、大阪に本店を置く住友銀行が首都圏に店舗を積み増す道は制度に閉ざされていた。
- 内容
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創業家の内紛で動いた平和相互銀行の株式を仲介者を介して取得し、相互銀行という別業態を吸収合併する形で首都圏の店舗網をまとめて得た。同じ1986年1月には米ゴールドマン・サックスへ出資している。
- 含意
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店舗網の取得という目的は達したが、その速度はバブル期の融資競争と重なった。
いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
筆者の見解
制度が作った稀少性を、制度が変わる前に買う
首都圏の100店舗という数字が、この合併の理由をほぼ説明している。出店規制のもとでは支店の免許そのものが価値を持ち、店を一つ増やすより銀行を一つ引き受けるほうが早いという計算が成り立っていた。しかも住友銀行は交渉で相手を選んだのではなく、創業家の内紛で動いた株式を仲介者から引き受ける形で、大阪の銀行に欠けていた東京の窓口を一度に手に入れている。制度が作った稀少性を、制度が変わる前に買った判断である。
ただし、手に入れた店舗で何を売るかまでを、この判断は決めていない。1989年に住友銀行が土地所有層への融資を広げたのも、その延長にある。店舗網を買う判断と、その店舗網で融資を倍に伸ばす判断は本来別物であったが、当時は同じ勢いのなかで続けて下された。この合併の評価が後年まで揺れるのは、二つを分けて論じてこなかったからであろう。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
同じ問いに直面した会社
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参考文献
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「創造的革新に挑む」年表
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「銀行・生損保-バブル発生と崩壊の主役」
- 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「銀行・生損保-銀行再編成の時代」
- 日経ビジネス 1986年10月13日号
- 日経ビジネス 1989年8月14日号
- 日経ビジネス 1990年8月27日号
- 住友銀行 会社年鑑(1986年版・単体業績)
- 日本経済新聞 1987年11月21日