安宅産業支援の全額償却(1977年・住友銀行の決断)更新:2026/07/29住友銀行:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所救済で背負った1132億円を先送りせず一度に処理する道の選択1977年、住友銀行は総合商社 安宅産業の救済で負担した1132億円を、1977年9月期決算で全額償却した。数期に分けて処理する方針を選ばず、1期で落としきった判断にあたる。何をなぜ決めたか:救済で背負った1132億円を先送りせず一度に処理する道の選択概要1977年、住友銀行は総合商社 安宅産業の救済で負担した1132億円を、1977年9月期決算で全額償却した。数期に分けて処理する方針を選ばず、1期で落としきった判断にあたる。背景第一次石油ショックの傷が残る1975年12月、年商2兆円・負債総額1兆円の安宅産業の経営危機が表面化した。住友銀行は協和銀行とともに処理にあたり、約2000億円の救済融資のうち1132億円を負担した。内容安宅産業は1976年12月29日の合併覚書調印を経て1977年10月に伊藤忠商事へ吸収合併され、住友銀行は引き受けた1132億円を同年9月期決算で一括償却した。当時の経常利益の2期分にあたる損失を、1期の決算で消している。含意損失を繰り越さず先に出し切ったことで、翌期以降の決算は取引先の破綻と切り離して読めるようになった。1982年3月期の経常利益は1051億円と、償却額に並ぶ水準まで戻っている。いつ何が起きたか7件筆者考察考察考察:損失を確定できるのは、確定に耐える体力がある側である1132億円は、当時の住友銀行の2期分の経常利益に相当する。住友銀行はそれを1977年9月期の1期で落としきり、損失の大きさをそのまま決算に載せた。翌期以降の数字からは、取引先の破綻が切り離される。回収を見込んで資産に残す選択肢も、数期に分けて薄く落とす選択肢もあった。どちらを選んでも当座の決算は整うが、帳簿と実態の差は残り続ける。磯田一郎頭取が2年半後に『まぁ、すてたんです』と一言で振り返れたのは、その差を残さなかったからである。ただ、この処理が成り立ったのは、1期分の損益が崩れても耐えられる体力が住友銀行にあったからでもある。同じ判断は、安宅産業の側から見れば、年商2兆円の商社が商号ごと消える過程の一部であった。1132億円を1期で捨てられる銀行と、捨てられて消える商社は、一つの処理の両側にいる。損失をいつ確定するかは、確定に耐える体力を先に持っているかどうかで決まる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考日経ビジネス 1978年3月13日号日経ビジネス 1980年2月25日号日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「自動車-国際化の幕開け」日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「銀行・生損保-銀行再編成の時代」会社年鑑(1976年版)/会社年鑑(1986年版)次に読む決断住友銀行の意思決定1986年住友銀行住友銀行平和相互銀行を吸収合併同業行の吸収合併によって一挙に獲得した首都圏の店舗網1986年1995年住友銀行住友銀行8000億円の不良債権償却1995年3月期での一括処理に踏み切った結果としての、都市銀行初の経常赤字の計上1995年同じ問い:救済型の買収1998年富士銀行富士銀行第一勧業富士信託に譲渡会社分割による財産管理3部門の切り出しと、その営業譲渡1998年1992年三和銀行三和銀行東洋信用金庫の救済合併拒み続けた救済の、債権放棄と他行の資金支援を条件にした引受け1992年1998年アスキーアスキーCSKからの出資受け入れCSKの資本参加と、興銀主導の再建からグループ傘下への転換1998年1948年日東電工日東電工日立との資本提携解消全額出資を受け入れていた関係の清算と独立経営への回帰1948年1980年ジェイテクトジェイテクトトヨタ自動車工業へ支援要請巨額赤字を背景にした第三者割当増資による資本関係の深化1980年×出所