CSKからの出資受け入れ(1998年・アスキーの決断)

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アスキー:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
CSKの資本参加と、興銀主導の再建からグループ傘下への転換1997年12月、資金繰りに窮したアスキーはCSKの傘下に入った。同じ月、CSKとセガ・エンタープライゼスはアスキーへの資本参加を発表し、3社で先端技術を持ち寄りグループの事業を広げるとした。CSKは新たに株式を取得したアスキーを1998年3月期から持分法適用会社に加え、同期末の持分は24.9%となった。アスキーはCSKグループで5社目の上場会社となり、筆頭株主はCSKになった。CSKグループを創設した大川功氏は、2001年3月に亡くなるまでアスキーの取締役会長を兼ねている。日本興業銀行の主導で進んできた再建は、この出資を境に事業会社の手へ移った。

何をなぜ決めたか:CSKの資本参加と、興銀主導の再建からグループ傘下への転換

概要

1997年12月、資金繰りに窮したアスキーはCSKの傘下に入った。同じ月、CSKとセガ・エンタープライゼスはアスキーへの資本参加を発表し、3社で先端技術を持ち寄りグループの事業を広げるとした。CSKは新たに株式を取得したアスキーを1998年3月期から持分法適用会社に加え、同期末の持分は24.9%となった。アスキーはCSKグループで5社目の上場会社となり、筆頭株主はCSKになった。CSKグループを創設した大川功氏は、2001年3月に亡くなるまでアスキーの取締役会長を兼ねている。日本興業銀行の主導で進んできた再建は、この出資を境に事業会社の手へ移った。

背景

1992年、転換社債の繰り上げ償還資金120億円の調達で資金繰りが悪化し、富士銀行に代わって日本興業銀行が支援に着手した。興銀以下6行の協調融資で当面の危機は脱した。1993年3月期の有利子負債は345億円で、同じ期の売上高は370億円とほぼ並ぶ水準にまで増加していた。膨張の元は不動産・映画・ベンチャー企業などへの投資の積み重ねである。

興銀は副社長と系列のコンサルタントを送って再建を進めたが、1996年5月には若手役員3人と常務1人が退任した。1997年3月期の売上高は524億円。西和彦社長は同年2月、『予定どおり売上高540億円、利益も二十数億円上げれば、株価は戻ると思う』と回復の道筋を語っていた。

内容

大川功会長はアスキーの支援を表明した際、西和彦社長の続投を許した。見返りに求めたのは人材で、日本IBMから移った廣瀬禎彦専務が、CSK傘下で家庭用ゲーム機に苦戦するセガ・エンタープライゼスの再建に全面協力するという条件を付けた。

大川功会長は、個人に直結した通信ネットワーク網を築き、その利用を企業へ広げることをグループの次の成長の筋書きに置き、アスキーへの出資を『アスキーを事実上買収したり、セガの社長を中山隼雄氏から入交昭一郎氏に代えて家庭用ゲーム機で再挑戦するのも、すべてこの個人向けネットワーク網の構築とその利用を念頭に置いてのこと』と位置づけた。出し手のCSKも盤石ではなく、1998年3月期は海外子会社5社の清算で当期損失146.1億円に転じている。

含意

アスキーは1998年4月27日、1998年3月期の最終損失が443億円、債務超過が132億円になると発表した。6月26日の定時株主総会で西和彦社長が退任することを、大川功会長は同じ場で明らかにした。後任の社長にはCSK専務の鈴木憲一氏が就任した。西和彦氏は取締役に退き、CSK主導で人員削減が進んだ。

西和彦氏は、保有していたアスキー株を担保に入れて投資を行っており、個人としても大きな借金を負っていた。株価の回復が返済の前提とされ、会社の再建と経営者個人の債務が切り離せないまま残った。

いつ何が起きたか6件
筆者考察
考察

考察:再建の主導権が銀行から事業会社へ

この出資は救済というより、再建の主導権が銀行から事業会社へ移った出来事と読める。1992年以来、興銀は西和彦社長の続投を認めつつ人を送り込んで再建を進めてきたが、債務は拡大したままだった。大川功会長も続投を許した点では興銀と同じ選択をしたが、見返りに求めたのは廣瀬禎彦専務のセガ再建への協力であり、アスキーの人材をグループの戦略に組み込むことだった。個人向けネットワーク網の構想にアスキーを据えた発言からも、CSKにとってこの出資は再建投資というより事業の部品の取得だったとみられる。

もっとも、その筋書きは半年もたたずに崩れた。1998年3月期に443億円の最終損失と132億円の債務超過が明らかになり、西和彦氏は社長を退任してCSK専務に席を譲った。支援を表明した時点で、西氏には、大川功会長がいる限りアスキーが潰れることはないという確信があったとも伝えられており、続投を認めたのは損失の全容を確認する前の判断だったのだろう。独立を放棄して資本を受け入れても経営者の座は守れなかったことが、銀行管理の下で先送りされてきた損失の重さを物語っている。

Yutaka Sugiura, 2026年8月
参考文献

参考文献

参考

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