コロナ禍での過去最大級の公募増資と事業構造改革による自力再建

破綻したJALと同じ道をとらず、片野坂真哉社長はなぜ3,321億円の増資と雇用への切り込みを選んだか

更新:

時期 2020年11月
意思決定者 片野坂真哉 社長
論点 存亡の危機に立った際の資本増強と事業構造改革
概要
2020年11月27日、ANAホールディングスが、公募増資などで最大約3,321億円を調達すると発表した経営判断。片野坂真哉社長のもとで、新型コロナウイルスによる旅客需要の蒸発を受け、発行済株式総数の約4割にあたる最大1億4,000万株を新規発行した。これに先立つ10月には劣後ローン4,000億円を借り入れ、事業構造改革と希望退職の募集にも踏み込んだ。
背景
ANAはJALの経営破綻後に国際線を成長軸へ据え、自社便を増やして4期連続の最高益を重ね、2019年3月期には売上高が初めて2兆円を超えた。半面、コードシェアを抑えて機材を自前で抱えたぶん固定費が重く、旅客需要が消えると赤字が膨らみやすい構造を抱えていた。
内容
10月に機材を309機から276機へ約1割減らし、2021年新卒の採用を中止、社員の年収を前年比3割減とし、労組へ希望退職の募集を打診した。11月の公募増資で調達した資金は契約済み機材の導入と有利子負債の返済にあて、財務の健全性を保ったまま構造改革を進める原資とした。
含意
「雇用を守る」としてきた方針を転換し希望退職に踏み込む一方、片野坂社長はJAL破綻時の債権放棄や公的資金注入のような措置は想定しないと述べ、自力再建の立場を明確にした。破綻したJALと明暗が分かれた10年後、ANAは市場からの資本調達で危機を乗り切ろうとした。
筆者の見解

自力再建という選択の重さ

この判断の中心にあったのは、10年前に破綻したJALと同じ道をとらないという一点であった。債権放棄も公的資金も仰がず、市場からの増資と社員への痛みで危機を乗り切る——その選択は、成長のために自社便を厚く抱えてきたANAが、その重さの代償を自ら払う場面でもあった。「雇用を守る」と繰り返してきた会社が希望退職に踏み込んだ事実には、拡大の裏で膨らんだ固定費の重さがにじんでいるとみることができる。

もっとも、増資で厚くした自己資本と、縮めたコスト構造は、需要が戻ったときの回復を早める備えにもなった。2024年3月期にコロナ前を上回る利益へ戻した推移を見れば、危機の底で財務を守り抜いた判断には相応の合理性があったといえる。ただ、発行済株式の約4割という希薄化を株主に求め、社員の年収を3割削って手にした立て直しでもある。危機の資本政策が誰にどれだけの負担を配ったのかは、業績が回復した今こそ問い直す価値があるように思われる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

JAL破綻後の拡大と自社便偏重

ANAは、2010年に経営破綻した日本航空を尻目に国際線を成長軸へ据え、羽田で日本発着需要を、成田でアジアと米国を結ぶ乗り継ぎ需要を取り込んで運航規模を広げてきた。破綻したJALは3,500億円の公的資金と引き換えに新規路線の開設を制限され、その間にANAは羽田発着枠の傾斜配分を受けた。2017年3月期には国際線の旅客数でJALを追い抜き、2019年3月期には売上高が初めて2兆円を超え、営業利益1,650億円と4期連続の最高益を重ねた[1]

拡大を支えたのは、提携先の便を売り合うコードシェアに頼らず、自社便を飛ばして収益を丸取りする戦い方であった。直近2年間でJALが海外エアライン12社とコードシェアを始めたのに対し、ANAは2社にとどまり、機材など固定資産の増加額は年間3,500億円超とJALの2,000億円台前半を上回った。市場が伸びる間は有効な戦い方であったが、抱えた機材と人員は固定費として重く残り、需要が消えれば赤字が膨らみやすい体質でもあった[2]

コロナ禍による旅客需要の蒸発

2020年に入って新型コロナウイルスが広がると、この体質が裏目に出た。2020年4〜9月期の売上高は前年同期比72.4%減の2,918億円、営業損益は2,809億円の赤字に沈んだ。売上の約7割を占める旅客事業が直撃を受け、4〜9月累計の旅客数は国際線で前年同期比96.3%減の19万人、国内線で79.8%減の467万人まで落ち込んだ。四半期ごとに1,000億円規模の最終赤字が積み上がる状況であった[3]

収入の急減は、財務にそのまま響いた。2020年3月末に1兆688億円あった純資産は、巨額の赤字で9月末には8,902億円まで減り、自己資本比率は32.3%へ下がった。会社は2021年3月期の営業損益を5,050億円の赤字と見込んでおり、このまま最終赤字が積み上がれば純資産は5,700億円ほどまで細る計算であった。資本の目減りをどう食い止めるかが、経営の最大の課題になっていた[4]

決断

「雇用を守る」からの転換

2020年10月7日、全日本空輸は退職金を割り増した希望退職の募集を労働組合へ打診した。7月末の決算会見で福澤一郎常務が「雇用を守りながらこの危機を乗り越える」と述べていた基本方針は、需要回復の見通しが立たないまま転換された。今冬の一時金をゼロとし、一般社員の月給も減らす提案とあわせ、社員の年収は前年比で3割減る見込みとなった。全日本空輸は2020年3月末で1万4,830人を抱えており、固定費として重い人件費への切り込みであった[5]

10月27日の決算会見で、片野坂真哉社長は「感染症の再来にも耐えられる強靭なANAグループに生まれ変わりたい」と述べ、事業構造改革を打ち出した。ANAブランドの運航規模を縮め、グループの機材数を2021年3月末までに309機から276機へ約1割減らし、2021年新卒の採用を中止する。あわせて固定費を中心に2021年3月期で約1,500億円、2022年3月期で約2,500億円のコスト削減を掲げた。同じ日、JALの赤坂祐二社長は人員削減について「まったくそういう考えはない」と述べ、両社の対応は分かれた[6][7]

過去最大3,321億円の公募増資

2020年11月27日、ANAは公募増資などで最大約3,321億円を調達すると発表した。新たに発行する株式は最大1億4,000万株で、当時の発行済株式総数の約4割に相当した。調達した資金は契約済み機材の導入と有利子負債の返済にあてる計画で、中堀公博グループ経理・財務室長は「財務の健全性を保ったまま、スピード感を持って事業構造改革を推進するうえでは、この規模の資本調達が適正」と説明した。これに先立つ10月30日には、調達額の半分を格付け上の資本に組み入れられる劣後ローン4,000億円も借り入れていた[8]

この資本調達には、破綻したJALと同じ道はとらないという意思が込められていた。片野坂社長は、JAL破綻時に実施された債権放棄や公的資金注入のような「10年前のものを想定していない」と述べ、市場からの調達で危機を乗り切る立場を貫いた。財務の格差は明らかで、2020年6月末のANAの有利子負債は1兆3,589億円、自己資本比率33.9%だったのに対し、破綻後に5,215億円の債務免除を受けたJALは5,046億円、45.9%であった。同じ危機でも、身軽なJALと重いANAでは打てる手が違った[9][10]

結果

過去最大の赤字と、その先の回復

2021年3月期のANAホールディングスは、売上高が前期比63%減の7,286億円、営業損益は4,648億円の赤字、当期純損益は4,046億円の赤字と、いずれも過去最大の赤字を計上した。旅客需要の回復は見通しより遅れ、当初見込んだ5,050億円の営業赤字こそ下回ったものの、傷は深かった。それでも公募増資と劣後ローンで自己資本を厚くしたことで、債務超過には陥らず、翌期以降へ立て直しの時間を残すことができた[11]

赤字は2022年3月期まで続いたが、水際対策の緩和と旅行需要の戻りとともに業績は回復へ向かった。2023年3月期に営業損益は1,200億円の黒字へ転じ、2024年3月期には売上高が2兆559億円まで戻り、営業利益2,079億円とコロナ前の2019年3月期(1,650億円)を上回った。危機の底で厚めに積んだ自己資本と、縮めた機材・人員のコスト構造が、需要が戻ったときの利益を押し上げた[12]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2020年10月3日号「王道歩んだANAの大誤算」
  • 週刊東洋経済 2020年10月24日号「ANAが希望退職実施へ 雇用維持貫くJALとの差」
  • 週刊東洋経済 2020年12月12日号「正念場のANAとJAL」
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2021年3月期・連結)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2024年3月期・連結)