アスキー の歴史

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創業 1977年
創業者 西和彦
創業地 東京都港区南青山
創業
1977年、西和彦氏・郡司明郎氏・塚本慶一郎氏の3人が、東京・南青山のマンションの一室でアスキー出版を設立した。技術誌『I/O』を出していた4人のうち、残る星正明氏と対立して編集部を離れた独立である。創刊した月刊誌『アスキー』が売れ、1978年3月期に0.4億円だった売上高は5年後の1982年3月期に16億円へ伸びた。ほどなく米マイクロソフトの極東代理店としてアスキーマイクロソフトを設立し、雑誌で得た読者へソフトを売る事業を重ねている。出版とソフトを同時に持ったことが、規格の主導権を狙える位置と、それを失う理由の両方を用意した。
決断
会社の資金の行き先を、最後まで創業者ひとりが決めた。1983年6月、アスキーはパソコンの統一規格「MSX」を提唱した。マイクロソフトのBASICを載せた共通仕様で機種ごとの分断を解こうとしたが、代理店として稼ぐ場所へ自らの規格を立てたことが開発元の不満を招き、1986年3月に極東総代理店契約は解消された。1989年の株式店頭公開で西氏は、2000年までに東証一部へ上場して売上高1,120億円とし、うち400億円から500億円を新規事業で得ると掲げている。1991年7月の臨時役員会は本業に絞る案と映画・地域開発へ広げる案を採決に掛け、西氏の拡大路線が通って創業メンバー2名が退任した。態度未定の役員を個別に説得して通した路線が、翌1992年の転換社債の発行停止と銀行団の管理下入りへ行き着いた。
現況
アスキーという法人は現在残っておらず、名前が出版ブランドとして続いている。売上高は1997年3月期の524億円を頂に、1998年3月期は475億円へ減り、経常損益は50億円の赤字へ転じた。1998年1月、CSKグループから95億円の第三者割当増資を受け入れた。ところが出資の4カ月後に特別損失は455億円へ膨らみ、132億円の債務超過となって西和彦氏は社長を退任している。2002年、90%の減資とユニゾン・キャピタルへの第三者割当増資により株式は上場廃止となった。2008年にはメディアワークスと合併してアスキー・メディアワークスとなり、法人としては角川グループの内側へ消えている。25年で失われたのは会社であって、雑誌の題号ではなかった。
競合
同じ市場を見ていた孫正義氏は、雑誌ではなく流通を選んだ。1981年にパソコンソフトの卸売から創業した日本ソフトバンクは、ソフトの卸売から入って店頭の棚を押さえ、のちに雑誌も併営した。アスキーは逆に雑誌から入り、そこで得た読者と広告主を足場にソフト販売と規格へ広げている。MSXでは孫氏らの対抗案を退けたものの、規格はゲーム用途にとどまり、代わりに極東総代理店という最大の収益源を失った。パソコン産業で最後に残ったのは規格を持つ側でも雑誌を持つ側でもなく、基本ソフトと部品を握った側であった。
アスキー:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円
1978年3月期1998年3月期
アスキーにおける経営の転換点(その1) Q なぜ1977年に技術誌の編集者3人はアスキーを興したのか
A アスキーは、技術誌『I/O』を出していた4人のうち西和彦氏と星正明氏が対立し、西氏、郡司明郎氏、塚本慶一郎氏の3人が編集部を飛び出し、1977年に東京・南青山のマンションで設立した会社である。早稲田大学に在学していた西氏は創業の年に21歳を迎えた。月刊誌『アスキー』の刊行を皮切りに、出版からソフトウェア開発、LSI設計、通信ネットワークの構築へと事業を広げ、以後20年にわたって日本のパソコン産業の中心に位置した
アスキーにおける経営の転換点(その2) Q なぜ1991年に創業メンバーと決裂してまで拡大路線を選んだのか
A 1989年の株式店頭公開で掲げた目標が、新規事業を前提にしていたためである。西社長は西暦2000年までに東京証券取引所第一部へ上場して売上高1,120億円とする計画を示し、うち400億円から500億円は新規事業で得たいと語っていた。1991年7月1日の臨時役員会では映画などへ投資する拡大路線と本業に絞る堅実路線が争われ、西氏が採決直前の多数派工作の末に押し切り、郡司明郎氏と塚本慶一郎氏が退任した
アスキーにおける経営の転換点(その3) Q なぜ2002年に株式市場から退場したのか
A 1998年にCSKグループの出資を受けたのち債務超過を解消できず、2001年に大川功氏が死去してCSKが追加支援を打ち切ったことによる。CSKは保有する51.7%の株式をアスキーへ無償で譲渡し、アスキーはこれを消却したうえで90%の減資を実施した。ユニゾン・キャピタルが2度の増資を引き受けて持株比率はおよそ95%に達し、1977年に3人で興した会社は創業から25年で株式市場から退場した。

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アスキーの沿革1977〜2002年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1977〜1986年技術誌の編集者3人が興した会社とパソコン産業の草創期(1977〜1986)西和彦氏ら3名がアスキー出版を設立★★★
パソコン統一規格「MSX」の提唱と国産メーカーの結集

1983年6月、アスキーは各社ばらばらだった国内のパソコン仕様を統一する規格として『MSX』を提唱し、松下電器産業をはじめとする国産メーカーを結集させた。提唱者の西和彦氏はまだ20代後半だった。

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★★★
日本初のパソコン通信網「アスキーネット」を開始★★
マイクロソフトとの極東総代理店契約を解消★★
1987〜1991年株式公開で得た資金と、拡大路線をめぐる創業者の訣別(1987〜1991)西和彦氏が社長に就任★★
川崎に研究開発拠点用地2,000坪を12億円で取得
株式を店頭公開
映画・地域開発を含む拡大路線の採用と、創業メンバー2名の退任

1991年7月1日の臨時役員会で、アスキーは映画などマルチメディアへ積極的に投資する拡大路線と、本業の出版・ソフトに投資を絞る堅実路線のどちらを取るかを採決した。西和彦社長の拡大路線案が通り、対案を出した郡司明郎氏と塚本慶一郎氏は退任した。

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転換社債の発行停止に伴い銀行団の協調融資を受け実質的な管理下に★★
マイクロソフトと和解
経営体制をめぐる対立により役員が大量に退社★★
事業単位ごとに権限を委ねるカンパニー制を導入
創立20周年記念事業として一般誌『週刊アスキー』を創刊★★
債務超過の責任を負い西和彦氏が社長を退任★★
借入金のうち200億円を無担保転換社債へ振り替え
CSKグループからの95億円の第三者割当増資の受け入れ

1997年12月24日のトップ会談を経て、アスキーは1998年1月に95億円の第三者割当増資をCSK側に引き受けてもらった。CSKとセガ、大川功会長が株式の45%を握り、アスキーはCSKグループに入った。

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★★★
特別損失455億円を計上し132億円の債務超過に転落★★
西和彦氏が取締役を退任し特別顧問に就任★★
ユニゾン・キャピタルへの経営権譲渡で基本合意★★
90パーセント減資とユニゾン・キャピタルへの第三者割当増資により上場廃止★★★
出典・参考

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