20代後半の西氏が松下電器産業を動かして共通仕様をまとめた事実は、当時の力量として際立っている。ただし、その規格が乗ろうとした場所は、自社が代理店として稼いでいた場所と同じであった。マイクロソフトのBASICを売る会社が、そのBASICを載せた規格を自ら主導すれば、開発元から見れば代理店が自分の商圏で別の商売を始めたことになる。両立させるには開発元の同意が要ったはずで、そこが十分に揃わないまま規格を先に立てたことが、1986年の決別を招いたと推察される。
MSXがゲーム用途にとどまった以上、失ったものと得たものは釣り合っていない。総代理店という最大の収益源を失い、代わりに残ったのは普及しきらなかった規格だった。もっとも、機種ごとにソフトを作り直す非効率を規格で解こうとした見立て自体は、のちのパソコン産業が実際に共通仕様へ収れんした事実に照らせば的を外していない。誤算があったとすれば、その通り道を自社が押さえられると考えた点にあり、規格を持つ者と部品を持つ者のどちらが強いかは、後年に決着することになる。