FUJIモジュール型高速多機能装着機NXTの開発
十年以上会社を支えたCPシリーズを自ら置き換える装置構成への賭け
- 概要
- 2003年6月、富士機械製造がモジュール型高速多機能装着機NXTを完成した判断。装置の寸法・タクト・モジュール化する対象を先に決め、インターフェースの組み合わせで装置を構成するという、従来の装着機とは異なる設計思想を採った。
- 背景
- 1990年代後半、基板を固定したままXYロボットが部品を載せるテーブル固定型の高速機が市場に受け入れられ、ロータリー型のCPシリーズが押され始めた。連結の当期純損益は2002年3月期70億円、2003年3月期76億円、2004年3月期24億円の赤字を並べていた。
- 内容
- 従来機とコンセプトの異なる開発案には多くの反対と厳しい意見があったが、若手を中心とした技術者の熱意がそれを押しやった。CP6の成功体験を捨て、まったく違う形で首位を取りにいく設計を選んでいる。
- 含意
- 電子部品組立機事業の売上高は2005年3月期469億6,100万円から2008年3月期881億2,000万円へ、セグメント利益は35億5,200万円から241億1,400万円へ伸びた。装置需要の振幅そのものは残り、2010年3月期には連結営業損益が62億円の赤字となった。
置き換えた相手が自社の成功作だったこと
この判断が難しかったのは、置き換える相手が失敗作ではなく、十年以上会社を支えた成功作だった点にある。CPシリーズは速度で世界を取り、その成功が社内に復活への期待を残していた。小原正義社長が述べたとおり、ほかに対策は用意されておらず、反対と厳しい意見に押し切られる余地は十分にあった。押し返したのが経営の論理ではなく若手技術者の熱意だったと社史が書き残している点は、この会社の意思決定の作法を示している。
完成から二十年余りを経て、モジュールという考え方は製品系列に残った。反対を受けた設計思想が、その後の主力機の前提になっている。2026年3月期のロボットソリューション事業は売上高1,687億3,700万円・セグメント利益336億2,300万円で、NXTを完成させた2004年3月期の連結売上高611億円と比べると、装置一系列の設計思想が会社の規模をどこまで引き上げたかが読み取れる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
ロータリー型「CP」の成功が制約に変わる
1981年のCP-1以来、富士機械製造の高速装着機はロータリー型を採ってきた。回転する装着ヘッドが部品を次々に基板へ載せる構造で、速度を詰めることで市場を取っている。入社時にCP6が市場を席巻していた技術者は、世界一の製品を持つことがどれほど強いかを原体験として刷り込まれたと述べている。ところが1990年代後半、基板を固定したままXYロボットが走って部品を載せるテーブル固定型の高速機が受け入れられ始めた[1][2]。
第4代社長の小原正義社長は、主力がロータリー型のCP機であり、テーブル固定型の高速機は「QP-1」「NP-1」がわずかにあるだけでゼロに近かったと振り返っている。業界を率いてきたCPシリーズが急速に市場から追われるという予感は確かにあった一方、社内には十年以上会社を支えた商品への復活期待が残っていた。開発部門では、高速のテーブル固定機の研究が続いていた[3]。
三期続いた連結の最終赤字
数字の上でも余裕はなかった。連結売上高は2002年3月期436億円、2003年3月期427億円と伸びず、当期純損益は2002年3月期に70億円、2003年3月期に76億円、2004年3月期に24億円の赤字を並べた。ITバブル崩壊後の電子機器設備投資の落ち込みが実装機の受注を細らせ、工作機械事業もこれを補えていない。開発の原資が細るなかで、主力機の全面的な置き換えに手を付けている[4][5]。
足元の整理も同時に進んだ。同社は1992年11月に設立したリンセイシステムと1994年10月に買収したエデックを2003年4月に合併させ、エデックリンセイシステムとしている。海外では1991年のドイツ、1994年の米イリノイ、1995年のブラジルと販売・サービスの拠点を並べ終えており、売る先の網はすでにあった。置き換えるべきは拠点ではなく、その網に流す装置そのものであった[6][7]。
決断
常識を覆す開発案を通す
開発案として浮上したのが、のちのNXTであった。小原社長は、従来機とはコンセプトがまったく異なり技術の常識すら覆すような案には多くの反対と厳しい意見があったと述べている。それを押しやったのは若手を中心とした技術者の熱意で、ほかに対策は用意しておらず、道は一つで後戻りはできない状況だったと振り返る。2003年6月、モジュール型高速多機能装着機NXTが完成した[8][9]。
NXTの核はモジュールコンセプトにあった。顧客の現場を観察して打ち出したこの構想では、装置の寸法・タクト・モジュール化する対象が先に決まっており、それをどう実現するかを設計する順序で開発が進んだ。実現できるかどうかではなく完成させるしかないという前提のもと、メカ・制御・ソフトの設計者が同時に動いている。インターフェースを決めて組み合わせで装置を構成するという、機械としては異例の考え方を採った[10][11]。
成功体験を捨てるという条件
モジュール化は、顧客の生産ラインの側の事情に合わせる選択でもあった。生産する品目の切り替えやラインの構成変更に、モジュールの入れ替えで応じられる。家電のライフサイクルが短くなり、多品種少量の実装が増えるなかで、一台あたりの速度だけを競う装置では要求に届かなくなっていた。同社の主流がCPのような大型ロータリー機からXYロボットの装置へ変わるなかで、NXTの開発は小型化とモジュール化にこだわって始まっている[12]。
開発にあたって同社が引き受けた条件は、CP6の成功体験を捨てることであった。技術者は、必ず首位を目指すという考えを具現化するためにCP6での成功体験を捨て、まったく違う形で首位を目指したのがNXTだったと述べ、その振り幅を認めている。設計手法も入れ替わった。NXT IIで高速と高精度を追う段階では、メカ設計の後にモーション制御を検討する順序に限界があり、メカと制御を統合して設計する手法を新たに導入し、仮想空間での模擬と実機での確認を繰り返して性能と精度を詰めた[13][14]。
結果
2008年3月期までの急伸と、残った振幅
NXT系列は業績に表れた。電子部品組立機事業の売上高は2005年3月期の469億6,100万円から2008年3月期に881億2,000万円へ、セグメント利益は35億5,200万円から241億1,400万円へ伸びている。連結でも売上高は2005年3月期701億円から2008年3月期1,067億円となり、2004年3月期に24億円の赤字だった最終損益は、2006年3月期に113億円の黒字へ戻った[15][16]。
一方で、装置の需要そのものの振れは残った。2008年9月以降の電子機器設備投資の急減により連結売上高は2010年3月期に417億円まで落ち、営業損益は62億円の赤字となっている。翌2011年3月期には売上高929億円・営業利益207億円へ戻り、電子部品組立機事業だけで861億5,300万円を売って247億9,800万円を稼いだ。NXTは同社を実装機の首位級に押し上げたが、業績の振幅までは平らにしなかった[17][18]。
NXT、NXT II、NXT III、そしてNXTR
モジュールという考え方は、一機種で終わらなかった。NXTはNXT IIで高速と高精度を追い、NXT IIIを経てNXTRへ改良された。2024年度には岡崎工場の新棟稼働により、現行機種NXT IIIの月産1,000台体制に加えて新機種NXTRの月産500台体制が整い、FUJIは2025年度にNXTRを月産1,000台へ倍増する計画を示している。NXTRはスマートフォンや半導体パッケージのように難易度の高い分野で顧客の設備導入認証を取得した[19]。
会社の看板も、この製品系列に沿って掛け替えられた。2016年3月期からセグメントの呼称は電子部品組立機からロボットソリューションへ改まり、装着機一台の販売から実装ライン全体の提案へと売る単位が広がっている。2013年6月には東京証券取引所市場第一部へ上場した。CPシリーズが速度を売った会社は、NXT以降、ラインの組み替えやすさを売る会社になった[20][21]。
- 富士機械製造五十年の歩み(富士機械製造, 2009)
- FUJI 統合報告書2025
- FUJI 有価証券報告書【沿革】
- FUJI 有価証券報告書【セグメント情報】
- FUJI 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】