1957年6月、ニッポン放送と文化放送の2社に東宝・松竹・大映の映画3社が加わり、『富士テレビジョン』の名でテレビ免許を申請した[1]。翌7月には予備免許が交付され、チャンネルは8ch、呼出符号はJOCXと決まる[2]。11月、東京都千代田区有楽町一丁目7番地に資本金6億円で株式会社富士テレビジョンが設立され[3]、1958年12月に商号を株式会社フジテレビジョンへ改めた。1959年1月に郵政省から本免許の交付を受け[4]、同じ月に新宿区市ヶ谷河田町の本社ビルが完成する。開局は同年3月、関東地域で4番目の民間テレビ放送局[5]として、映像出力10kw[6]で放送を始めた。
出資者の顔ぶれは、この会社が何を売る事業として構想されたかを示している。ラジオ2社は電波と広告営業の実務を、映画3社は撮影設備と俳優・監督の供給網を持ち込んだ。番組を自前で作れる放送局という設計は、のちに映画・ビデオ・配信へ同じ素材を二次利用する素地になる。もっとも、この構図はフジテレビジョンに限った特徴ではない。開局期の在京民放はいずれも新聞社や映画会社の出資を受けて立ち上がっており、資本連合そのものは当時の標準だった。特異なのは、その資本関係が半世紀を超えて残ったことにある。2026年3月末の大株主名簿では東宝が12.77%で筆頭、文化放送が5.36%、関西テレビ放送が4.23%を保有している。
開局から3か月後の1959年6月、フジテレビジョンは基幹4局とのネット協定に調印し、FNS(フジネットワークシステム)の基礎[7]を固めた。1960年1月には映像出力を50kwへ増力し、1964年9月にカラー本放送[8]を始める。そして1970年10月、第2次UHF開局によってFNSは27局体制[9]となり、全国ネットワークが完成した。日枝久社長は上場直後の1997年に、この27局が『他系列を上回るネットワーク』だった[10]と振り返っている。免許は国が与えるが、系列局の数は各局が個別に積み上げるほかなく、ここでの先行は制度ではなく営業の産物にあたる。
全国ネットは、全国規模の広告主に一括して時間を売るための条件だった。系列局の数はそのまま到達世帯数の差となり、番組提供の単価を左右する。フジテレビジョンが1983年以降14年にわたって放送業界の売上高首位[11]を保った背景には、1970年までに整えたこの到達範囲がある。ただし到達範囲だけで首位は説明できない。編成の判断、自前の制作力、そして高度成長期からの広告市況の拡大が同じ時期に噛み合った結果であり、どれか一つを欠いても同じ順位にはならなかった。免許・ネットワーク・制作・営業のうち、他局が模倣しにくかったのは後ろの二つだったろう。
この時期に社内で起きていたのは、編成局の方針を中心に営業・技術・人事が一体で動く運営である。当時の編成局長が日枝久氏であり、1983年6月に取締役編成局長、1986年6月に常務取締役を経て、1988年6月に代表取締役社長へ就いた[12]。番組表を決める部署に予算と人事の判断が集まる形は、のちに2017年の立て直しでもう一度呼び戻される。
番組が当たると、放送以外の収入も伸びた。映画の公開、ビデオの制作販売、イベント、関連商品の販売がそれにあたる。ただし1997年3月期の時点でも、これら放送外の売上高は240億円と総売上高の8%[13]にすぎない。放送事業を核として周辺事業を多面的に広げる形は当時から会社の特質として説明されていたが、比率で見れば主従は動いていなかった。この数字が示すのは、当時のフジテレビジョンが放送外へ多角化した会社ではなく、放送で稼いだ利益を放送外の実験に回せる会社だったことである。放送収入という一本の柱に支えられた構造は、その柱が太いあいだは強みとして働き、細くなった2010年代に制約へ変わった。
1992年、フジサンケイグループの議長だった鹿内宏明氏が議長を退き[14]、経営権は創業家の手を離れた。フジサンケイグループはニッポン放送・フジテレビジョン・産業経済新聞社を軸に、出版や音楽ソフトまで抱える連合体であり、その頂点にあったのが持株の受け皿となるグループ本社である。1995年4月、フジテレビジョンは経営体質の強化を理由にこのフジサンケイグループ本社を吸収合併した[15]。司令塔を放送局本体に取り込んだことで、以後のグループ運営はフジテレビジョンの取締役会が担う。
この時期の組織づくりで、放送以外の会社も相次いで立ち上がっている。1979年7月に情報システム開発のフジミック、1982年3月に番組制作の共同テレビジョンの子会社化、1989年8月に美術部門を分離したフジテレビ美術センター、1991年3月に通信販売のフジサンケイリビングサービス、1995年10月に番組制作子会社を統合したフジクリエイティブコーポレーション[16]。並べると、番組を作る工程の内製化と、番組で得た顧客接点の商売化という二つの方向が読み取れる。前者は制作費の管理に、後者はのちの通販事業につながった。
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|---|---|---|---|---|
| 1957〜1970年ラジオ2社と映画3社が持ち寄った免許申請から、全国27局のネットワーク完成まで | 富士テレビジョンを設立(有楽町一丁目7番地) | ★ | ||
| フジテレビジョン開局。映像出力10kw | ★ | |||
| 映像出力を50kwに増力 | ★ | |||
| 本店所在地を変更 | ★ | |||
| カラー本放送を開始 | ★ | |||
| 第2次UHF開局によりFNS27局体制が確立 | ★ | |||
| 全国ネットワークが完成 | ★ | |||
| 1971〜1996年視聴率三冠12年と売上高首位、そして創業家からの経営権の移動 | 音声多重放送の本放送を開始 | ★ | ||
| 情報システム開発会社のフジミックを設立 | ★ | |||
| 番組制作会社の共同テレビジョンを子会社化 | ★ | |||
| 文字多重放送の本放送を開始 | ★ | |||
| 日枝久 | 第一世代クリアビジョン放送を開始 | ★ | ||
| 日枝久 | 美術部門の一部を独立させ、フジテレビ美術センターを設立 | ★ | ||
| 日枝久 | 通信販売会社のフジサンケイリビングサービスを設立 | ★ | ||
| 日枝久 | フジサンケイグループ本社を吸収合併 | ★★ | ||
| 1997〜2011年台場移転と株式上場、ライブドアとの攻防を経た認定放送持株会社への移行 | 日枝久 | 新本社ビルが竣工 | ★ | |
| 日枝久 | 東京証券取引所市場第1部に株式を上場 | ★ | ||
| 日枝久 | BSデジタル放送会社のビーエスフジを設立 | ★ | ||
| 村上光一 | 地上デジタル放送の本放送を開始 | ★ | ||
| 村上光一 | ライブドアによるニッポン放送株買収への対抗と、ニッポン放送の完全子会社化 2005年2月、ライブドアがニッポン放送株の35%を取得したと発表した。子会社ニッポン放送がフジテレビジョンの筆頭株主という逆転した資本構造を、ライブドアの堀江貴文社長が突いた事件であった。フジテレビジョンは新株予約権と株式貸借で支配権の連鎖を断ち、2005年9月に簡易株式交換でニッポン放送を完全子会社化、2006年4月に吸収合併して資本の順序を正した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 豊田皓 | 認定放送持株会社体制への移行と、フジ・メディア・ホールディングスの発足 2008年10月、フジテレビジョンは認定放送持株会社体制へ移行し、商号を株式会社フジ・メディア・ホールディングスへ変更した。同時に会社分割で放送免許を持つ株式会社フジテレビジョンを新設し、番組を送り出す事業会社と、資本を配分する持株会社の二層に組み替えた組織再編である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 豊田皓 | フジ・メディア・HDに商号変更 | ★★ | ||
| 豊田皓 | 株式公開買付けにより通信販売会社のセシールを子会社化 | ★★ | ||
| 豊田皓 | 地上デジタル放送へ完全移行 | ★ | ||
| 2012〜2026年視聴率の失速で始まった構造改革と、都市開発を第二の柱に据えた事業構造の組み替え | 豊田皓 | サンケイビルの子会社化と、都市開発・観光を第二の柱とする事業ポートフォリオ再編 2012年3月、フジ・メディア・ホールディングスは株式公開買付で不動産中堅のサンケイビルを連結子会社化し、都市開発事業を新設した。放送収入の頭打ちを背景に、2015年にはグランビスタ ホテル&リゾートを取り込んで観光へ広げ、2018年5月の中期経営計画で事業区分をメディア・コンテンツと都市開発・観光の2本柱へ再編した。太田英昭社長のサンケイビル子会社化に始まり、宮内正喜社長が2本柱として明文化した多角化であった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 太田英昭 | ディノスがセシール・フジ・ダイレクト・マーケティングを吸収合併 | ★ | ||
| サンケイビルによる株式取得により、グランビスタホテル&リゾートを子会社化 | ★ | |||
| 嘉納修治 | 株式の追加取得により、FNS系列局の仙台放送を子会社化 | ★ | ||
| 金光修 | ディノス・セシールがグループ外にセシール事業を譲渡 | ★★ | ||
| 金光修 | 第三者委員会の調査報告書を公表 | ★★ | ||
| 金光修 | 性加害問題を受けた取締役の総入れ替えと、コンテンツを軸とする事業への転換 2025年、元タレントの性加害問題と10時間超の記者会見で存亡の危機に陥ったフジ・メディア・ホールディングスは、清水賢治社長以外の取締役を全員入れ替える異例のガバナンス改革に踏み切った。あわせて、放送枠を埋める発想からコンテンツを軸に据える発想への事業転換を掲げ、グループビジョン2026-2030として資本効率の改善と成長投資を打ち出した。改革は本稿の時点で現在進行中である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 清水賢治 | フジテレビの放送インフラ機能をFMHへ統合する方針を表明 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(フジ・メディア・ホールディングス)