角川書店の編集部長だった見城徹氏は、同社の最年少取締役に抜擢されるなど、編集者として実績を残していた。その一方で、角川書店の経営が杜撰だった(創業家がコカインを密輸)ことや、自分自身が「腐り始めている」と感じて、周囲の反対を押し切って独立を決意した。
1993年に東京都新宿区に「幻冬舎」を設立し、起業家に転身した。
なお、リスクをとった背景には、見城徹氏のリスク選好な思考がある。1つは、生来、難しいことにチャレンジすることが好きだったこと、もう一つは学生運動の経験による。
前者の実例としては、見城氏は学生時代の受験において、配点が高く難しい問題から挑戦していたという話がある。
後者に関しては、資本主義の疑念があり、大学時代に学生運動に身を投じつつも、周囲の同業が絶命する中(奥平剛士が小銃を乱射して自殺した事件)で、自分の命が惜しいと感じて足を洗った「挫折経験」があった。
このため、命をかけた学生運動に比べて、会社倒産は「リスクではない」と考えており、幻冬舎の経営を「リスクを顧みない」方向に進めていく原動力となった。