1994年の再建策は、三洋証券の再建計画というより、大蔵省の約束に値段を付けた取引だったとみられる。免許を与える官庁が倒産させないと請け合う相手に、銀行・大株主・生保が資金を出さない理由は見つけにくい。支援する会社が見ていたのは系列ノンバンクの処理の道筋ではなく、約束が守られるかどうかだった。だからこそ、増資の160億円がほとんど銀行への利払いに消えても、枠組みは三年半もった。
もっとも、約束が延ばしたのは時間であって、構図ではない。ノンバンクの借入金の半分を本体が保証する限り、本体を厚くした資金はノンバンクの利払いへ流れ出る。1991年に一族の資産で穴を埋めた手法を、1994年には外部の資金で繰り返したことになる。野村證券が求めた資金流出の遮断に誰も手をつけられなかった以上、生保が延長を留保した時点で終わるのは決まっていたのだろう。