住友金属工業新日本製鐵・神戸製鋼所との三社資本提携
株価四十円まで売られた住友金属工業は、なぜ「大JFE」ではなく競合の出資を選んだか
- 概要
- 2003年1月、住友金属工業が新日本製鐵・神戸製鋼所と住友グループ各社を引受先とする第三者割当増資を実施し、二度の信用不安を断った経営判断。下妻博社長が神戸製鋼所の水越浩士社長を巻き込み、三社の資本提携を新日鉄へ提案する形で成立した。
- 背景
- 1999年度末の有利子負債は1兆8,833億円に膨らみ、2001年末には株価が40円割れ寸前まで下落した。市場には「危ない会社リスト」が出回り、2002年秋には金融庁筋が作成したという「四〇社リスト」が二度目の危機を呼んだ。
- 内容
- 2001年12月、新日鉄との包括提携交渉を発表して一度目の危機を越えた。この時点の提携は生産・技術に限られ資本を含まない。2002年11月14日の新中期経営計画で新日鉄・神戸製鋼との相互出資を掲げ、2003年1月に増資を実施した。
- 含意
- 旧川崎製鉄の江本寛治社長からのラブコールに応じていれば、2002年9月に発足するJFEへ住金も加わっていた。その「大JFE」が生まれれば新日鉄が圧倒的に不利になる。この一点を交渉材料として、出資を渋っていた新日鉄から資本提携を引き出した。独立を保つために競合の資本を入れる選択であった。
独立に付いた値段
この判断の核心は、独立を守るために競合の資本を招き入れた点にある。統合に加われば規模の問題は解決するが、住金という会社は消える。単独で耐えれば会社は残るが、市場は資金繰りを疑い続ける。下妻社長が取ったのは第三の道であった。最大手に株主になってもらい、その与信で時間を買い、その間に和歌山問題を片づけるという順序であった。資本を入れた相手は同時に競合でもあるから、対顧客では競争が続く。「上工程で三社の協力はさらに進める。だが、対顧客面ではお互いに競争していく」と下妻社長は述べている。
もっとも、この構図には値段が付いていた。2005年の三社会見で記者が防衛策の効果ばかり尋ねたのは、資本提携が実質的に買収防衛として働いていることを誰もが理解していたからである。下妻社長は「合併は最後の手段」と独自路線を強調し、新日鉄の三村社長も「合併は異常事態」と述べた。だが同じ三村は「独立したままでは、今の形がベスト」とも言っている。独立を前提から外せば、もっと良い形が作れるという含みであった。2012年10月、住友金属工業は新日本製鐵と合併する。独立を買うために借りた与信は、九年後に会社そのものと引き換えになった。
敗着だったと片づけるのは当たらない。2003年時点で統合に加わっていれば、和歌山の熱延ライン休止も鹿島の新高炉も、住金の判断としては実行されなかった可能性が高い。統合相手の設備計画に従うことになるためである。独立していた九年は、二つの製鉄所を自社の論理で組み替えるために使われた。その作業を終えた会社が、あらためて規模の問題に向き合ったときに選んだのが合併であった。順序を逆にすることはできなかった、と読むほうが実態に近い。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
株価四十円という退場宣告
2001年12月11日、住友金属工業の株価は一時40円まで急落した。市場には「危ない会社リスト」が出回り、そのなかに同社の名前もあった。1999年3月期と2000年3月期の経常赤字はそれぞれ649億円、637億円で、1999年度末の有利子負債は1兆8,833億円に膨らんでいる。額面割れは市場から退出しなさいというプレアナウンスのようなものだと、下妻博社長は受け止めた。会社の実力ではなく、資金繰りへの疑いが株価を押し下げていた。信用不安は自己増殖する。取引先が支払条件を厳しくすれば、疑いはそのまま現実になる[1][2]。
手はほとんど残っていなかった。翌日に予定していた記者会見を前倒しするくらいしかない。急な予定変更で新日鉄の都合がつかず、下妻社長は一人で記者の前に立った。発表したのは新日本製鐵とステンレス事業を統合するなど広範な提携である。「会社が生き残れるなら、俺がピエロになってもいい、という気持ちだった」。社員のなかには「社長に恥をかかせた」と男泣きする者もいたという。この時点の提携は生産と技術に限られ、資本提携を含んでいない。市場に見せたのは、最大手が住金と組むという事実そのものであった[3][4]。
二つの陣営とキャスティングボート
当時の業界は二つの陣営に割れつつあった。神戸製鋼所は新日鉄とソフトな提携を発表し、NKK・川崎製鉄連合には加わらないという意思を示していた。そのなかで住金の粗鋼1,100万トンは、どちらへ付くかで勢力図を変える重みを持つ。下妻社長は「その中で住金の一一〇〇万トンはキャスティングボートを握るが、どちらか(につくか)ハッキリしたほうが業界秩序にはいいと考えた」と、新日鉄連合に入った背景を語っている。曖昧なまま漂うことは、住金にとっても業界にとっても得にならないという判断であった[5]。
決断
「大JFE」に加わる道を選ばなかった
住金には別の選択肢が示されていた。旧川崎製鉄の江本寛治社長からラブコールを受けていた。もし応じていれば、2002年9月に川崎製鉄とNKKの経営統合で誕生するJFEに、住金も参加していた。規模の不安は一挙に解消し、世界プレーヤーの条件とされる粗鋼2,000万トンにも手が届く。財務の後ろ盾も得られる。統合を選ぶ合理性は十分にあった。それでも下妻社長は応じなかった。川鉄、NKK、住金の「大JFE」が誕生すれば、新日鉄とJFEが竜虎の関係になると読んだためである[6][7]。
読みは二段構えであった。大JFEが生まれれば新日鉄は圧倒的に不利となり、フラストレーションがたまってパニックを起こす可能性がある。裏を返せば、その事態を避けるためなら新日鉄は一歩踏み込んだ決断もするかもしれない。2002年秋、金融庁筋が作成したという「四〇社リスト」が二度目の危機を呼ぶと、下妻社長は知己の間柄だった神戸製鋼所の水越浩士社長を巻き込み、三社の資本提携を新日鉄へ提案した。出資を渋っていた新日鉄が了承した背景には、大JFEの影があったと見られている。競合に出資させる交渉材料は、競合が最も避けたい未来であった[8]。
結果
信用不安の一掃と財務の前倒し再建
2002年11月14日、新日鉄・神戸製鋼所との相互出資と台湾・中国鋼鉄との提携を柱とする新中期経営計画を発表した。2003年1月、新日鉄と神鋼に加えて住友グループ各社からも第三者割当増資の出資を受け、住金は信用不安を一掃した。時間を稼いだ会社は資産圧縮を進め、2005年度末には有利子負債7,800億円、D/Eレシオも1.5倍割れまで改善する見通しとなった[10]。2003年3月期の連結売上高は1兆2,246億円、経常利益413億円、当期純利益171億円である[11]。翌々2004年度には連結営業利益1,828億円と過去最高を記録した[9]。
提携は資本にとどまらず運用面へ広がった。2005年3月30日、新日鉄の三村明夫社長、住金の下妻社長、神戸製鋼の犬伏泰夫社長が揃って会見し、住金の鉄源を三社で共同利用して鋼材不足に対応すると発表した。ところが記者団の質問は、敵対的買収に対する防衛策としての効果に集中する。当時はミタル・スチールの誕生など世界的な再編の渦中にあり、粗鋼1,287万トンの住金は次の買収対象と絶えず噂されていた[13]。2006年4月には三社が共同の買収防衛策で覚書を結んでいる[12]。
- 週刊東洋経済 2005年5月21日号「住友金属 2度の信用不安から生還」
- 週刊東洋経済 2002年5月18日号「経営分析 住友金属工業」
- 日経ビジネス 2004年10月18日号「捨て身の和歌山再建 住友金属工業」
- 有価証券報告書(2006年3月期)