祖業の転換
祖業は、その会社が選んだ事業であると同時に、外部の条件が成立を許した事業である。国内に炭層があり、ほかに燃料となる熱源がなかったから、炭鉱は産業として成立した。公海に国境がなかったから、遠洋漁業は出漁できた。養蚕農家と生糸の輸出先があったから、製糸業は工場を構えられた。技術と設備は自社のものだが、その技術への需要を生む条件は自社のものではない。したがって条件が消えるとき、失われるのは能力ではなく需要である。設備も熟練工も手元に残ったまま、買い手だけがいなくなる。
しかも条件の消失は、外部から一度に訪れた。エネルギー革命は石炭を主要な熱源の地位から退け、二百カイリ規制は漁場そのものへの立ち入りを制限し、化学繊維の普及は生糸の用途を代替した。減産や合理化で持ちこたえられる速度ではなかった。
各社は、祖業の需要が消える局面で次のように撤退した。UBEは1957年に石炭鉱業から撤退し、約7,000名を他部門へ配置転換した。古河機械金属は1973年に足尾銅山を閉山し、収益源を機械部門へ移している。マルハは遠洋漁業から加工食品へ主力事業を転換した。片倉工業は1988年に製糸の製造業務から完全に撤退し、日東紡績は綿紡績を終えてガラス繊維専業へ移行している。
これらの事例では、撤退を決めた年になってから移管先を探した会社はない。UBEには石炭以外の部門があり、古河には機械部門、マルハには加工食品、日東紡績にはガラス繊維があった。つまり祖業が消える前から収益を上げていた部門が別にあり、撤退はそこへ人員と資金を振り替えて実行された。
富士フイルムだけは順序が逆だった。デジタルカメラが銀塩写真の需要を消滅させると見て、本業の消失を前提に置いた中期経営計画を掲げている。需要が消えてから移管先の事業を探すのではなく、需要の消滅を先に計画へ組み込んだ。
転換を終えた企業には、社名から祖業を外す例もある。ニッスイは「日本水産」の社名を返上した。撤退の可否を決めたのは、祖業への執着の強弱ではない。条件が外部から消えたその年に、すでに収益を上げる部門を別に持っていたかどうかである。
財務諸表のどこを見るか
セグメント情報を古い年度から並べ、区分名の新設と消滅を拾う。祖業は数字が減少するより先に区分の名が消えるため、区分の系譜だけで転換の年が特定できる。次に特別損失の事業構造改善費用・減損損失・固定資産除却損を見て、退出にいくら払ったかを確かめる。設備の状況では主要な設備から工場が除かれた年を、従業員の状況ではセグメント別人員がどこへ移ったかを読む。最後に定款の事業目的と商号の変更を照合すると、会社が自らをどう定義し直したかが分かる。
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新技術による祖業の転換52事例
隣接領域への主力事業の移行40事例
選択と集中による祖業の転換34事例
祖業の売却25事例
祖業転換への設備投資19事例
内製化による祖業の転換17事例
ブランドを軸にした祖業の転換15事例
事業モデル転換のほかの論点
- 収益モデルの転換146
- 販路の転換96
- 事業のデジタル化40
- プラットフォームの構築67