上場企業の経営論点>事業モデル転換

祖業の転換

祖業を捨てた日本企業の多くは、自ら望んだのではなく、祖業を支えていた資源と制度が先に消えた。エネルギー革命が石炭を無用にし、UBEは1957年に石炭鉱業から撤退して約7,000名を他部門へ移した。古河機械金属は1973年に足尾銅山を閉山し、収益源を機械部門へ移している。二百カイリ規制は漁場そのものを奪い、マルハは遠洋漁業から加工食品へ主力を入れ替えた。化学繊維の普及は蚕糸を追い詰め、片倉工業は製糸の製造業務から完全に撤退、日東紡績は綿紡績を終えてガラス繊維専業へ移った。デジタルカメラが銀塩写真の需要を消すと、富士フイルムは本業の消失を前提に置いた「VISION75」を掲げている。転換を終えた企業は社名からも祖業を外し、ニッスイは「日本水産」を返上した。祖業を守り抜いた企業ではなく、祖業を捨て切った企業が残った。

財務諸表のどこを見るか

セグメント情報を古い年度から並べ、区分名の新設と消滅を拾う。祖業は数字が細るより先に区分の名が消えるため、区分の系譜だけで転換の年が特定できる。次に特別損失の事業構造改善費用・減損損失・固定資産除却損を見て、退出にいくら払ったかを確かめる。設備の状況では主要な設備から工場が落ちた年を、従業員の状況ではセグメント別人員がどこへ移ったかを読む。最後に定款の事業目的と商号の変更を照合すると、会社が自らをどう定義し直したかが分かる。

2020年代

2026年 トクヤマ 太平洋セメントへ販売譲渡 セメント・固化材の国内販売からの退出と、製造停止の検討着手 2026年 ホンダ 脱エンジン宣言の撤回 2040年目標の事実上の取り下げと、上場来初の最終赤字 2025年 グンゼ アパレル事業の構造改革 主力事業の作り替えと、機能ソリューション・メディカルへの中核の移行 2025年 ENEOS HD JX金属の分離上場 石油元売りが抱えた半導体材料の切り出し 2025年 フジクラ AI・データセンターへ集中 需要の伸びる領域への資源の寄せ集めと、電線大手という自己規定の作り替え 2024年 三井松島HD リデル炭鉱終掘で石炭撤退 連続M&Aによる脱石炭転換と、111年続いた石炭事業からの撤退 2024年 豊田通商 台数依存からの構造転換 台数依存からの脱却と、売上10兆円規模の商社化 2023年 トヨタ自動車 佐藤恒治氏への社長交代 14年続いた豊田章男氏体制を非創業家の技術者へ渡し、BEVの台数目標を積み上げる 2023年 TOPPAN(凸版印刷) TOPPANHDへ改称 創業123年で掲げてきた「凸版印刷」の看板を外す持株会社化 2022年 ニッスイ ニッスイへ商号変更 「日本水産」を捨てた業態転換 — 水産卒業・食品と養殖の双翼へ 2022年 円谷フィールズHD 円谷フィールズHDへ改称 持株会社体制への移行と、商号を改めたグループ再編 2022年 UBE UBEへ改称 祖業セメントの連結除外と、社名の書き換えを揃えた事業構成の転換 2022年 ENEOS HD 和歌山製油所を閉鎖 製油所としての役割を終えた拠点の次世代燃料拠点への転換 2022年 三菱重工業 泉澤清次の防衛事業拡大 防衛事業の急拡大——縮小産業を国策の成長事業へ 2021年 JSR ENEOSへエラストマー譲渡 素材事業の切り出しによる半導体材料・ライフサイエンスへの集中 2021年 日本ガイシ 半導体セラミックスへ転換 製造装置用部材を柱に据えたデジタル社会領域への事業構成の組み替え 2021年 JVCケンウッド モビリティ事業へ転換 民生AV主体からの脱却と、業務用無線を含む事業ポートフォリオの組み替え 2021年 三井E&S 常石造船へ株式譲渡 造船事業からの撤退と、舶用エンジン・港湾クレーンへの集約 2021年 ホンダ 脱エンジン宣言 2040年までに四輪をEV・FCVへ全面転換する目標の設定 2020年 タイミー コロナで物流求人へ転換 求人主力の飲食から物流への転換と、倉庫内軽作業の開拓 2020年 デンカ コロナ検査キットの量産化 デンカ生研の本体統合による検査試薬の内製化 2020年 日立製作所 ABBパワーグリッド買収 送配電の世界最大手を買い、エネルギーの柱を火力から入れ替える

2010年代

2019年 第一三共 アストラゼネカと提携 提携相手と組んだエンハーツの世界展開と、がん事業への転換 2019年 NTT One NTT体制の構築 海外システム構築事業の統合による国際事業の一本化と指揮系統の集約 2019年 中部電力 東京電力との合弁JERA設立 国内火力発電事業の全面移管による発電資産の切り出し 2018年 ANYCOLOR にじさんじの運営に転換 アプリ事業から所属ライバーの運営へ——創業1年での主力事業の入れ替え 2018年 TOYOTIRE 三菱商事と資本業務提携 総合商社を筆頭株主に迎える資本の受け入れと、TOYO TIREへの改称 2018年 ソシオネクスト 「ソリューションSoC」転換 汎用ASSPの切り捨てと、顧客ごとのカスタム設計専業への絞り込み 2017年 宝HD 宝酒造インターナショナル設立 海外日本食材卸事業を成長の主軸に据える戦略転換 2017年 コニカミノルタ 米アンブリー・ジェネティクス買収 巨額の買収を対価として得た、がん遺伝子診断への本格進出 2017年 ソフトバンクG ビジョン・ファンドの組成 巨大ファンドによる投資会社への転身 2016年 横浜ゴム YOHTを連続買収 オフハイウェイタイヤ事業への連続M&Aによる事業構成の転換 2016年 FPG 谷村尚永の小口化商品開始 信託機能を用いた不動産小口化商品の提供開始と、国内不動産ファンド事業の主力化 2016年 キヤノン 東芝メディカルの買収 6655億円を投じた買収と、医療事業への本格的な参入 2016年 NISSHA グラフィックコントロールズの買収 メディカルへの事業転換 — Graphic Controls 買収に始まるCDMOシフト 2015年 第一三共 ランバクシー子会社化解消 複眼経営を捨て、がんに絞る——中山讓治氏の選択と集中 2015年 東京海上HD 米HCCの買収 898,012百万円を現金で投じ、成長の場を国内損保から米国のスペシャルティ保険へ移した 2015年 東京電力HD 火力発電をJERAへ移管 燃料調達まで含めて中部電力との合弁へ委ねた発電資産の切り出し 2014年 MIXI モンストへ資源集中 単一タイトルに社運を託した1本足経営と65億円の公募増資 2014年 オリックス リーマン後の事業投資転換 リース・融資という金融の型を捨て、自己資金を投じる側への立ち位置の移行 2012年 クリエイトSDHD 医薬品と食品の併売店へ転換 創業家によらない外部プロ経営者への継承と、店舗の型の作り替え 2012年 マネーフォワード "マネーブック"から家計簿へ転換 初代サービスを数か月で畳んだうえでの資産管理への作り直し 2012年 ジャストシステム タブレット教育スマイルゼミ投入 売り切りのソフト販売から家庭向け通信教育への事業の組み替え 2011年 帝人 フェブリクの創製発売 化合物の創製から発売までを自社で手がける開発体制の確立 2011年 LINE 「LINE」の投入 検索・ゲームからメッセンジャーアプリへの主力の移し替え 2010年 円谷フィールズHD 円谷プロダクションの子会社化 映像コンテンツ版権元の取り込みによる、遊技機の外への収益源の広がり 2010年 ANAHD JAL破綻機に国際線拡大 競合の破綻を機とした、国内線中心の収益構造からの転換と路線網の組み替え

2000年代

2009年 SHIFT ソフトウェアテスト専業化 製造業向けコンサルティングからの撤退を伴う業態転換 2009年 MTG ReFaの発売開始 美容ローラーを起点としたブランド開発企業への業態転換 2008年 ツムラ ツムラライフサイエンス売却 家庭用品事業からの撤退と、子会社を切り出す形での事業整理 2008年 ノーリツ鋼機 西本博嗣の投資会社化 創業家2代目の動議による経営陣刷新 2008年 野村HD リーマン・ブラザーズ承継 アジア太平洋・欧州中東部門の引き受けによるグローバル投資銀行への転身 2007年 北の達人コーポレーション カイテキオリゴ軸のD2C転換 わけあり物産ECからの撤退と、自社開発品を売るメーカー型への移行 2007年 ゆうちょ銀行 郵政民営化でのゆうちょ銀行開業 国営の郵便貯金事業を条件付きの銀行免許で民間銀行へ移した選択 2006年 三菱レイヨン MMA基軸へ経営資源集中 初の非繊維出身社長の起用と、繊維以外へ軸足を移す判断 2006年 新日本石油 石油化学製品へ生産転換 ガソリン依存からの脱却と、10年2000億円を投じる製油所改造 2006年 DOWA 持株会社制へ移行 5事業会社への分割と、原料を鉱石からリサイクルへ切り替える転換 2006年 住友電工 住友電装を完全子会社化 独ワイヤーハーネスメーカーの買収と併せた自動車配線事業の囲い込み 2006年 東芝 米ウェスチングハウス買収 約54億ドルを投じた世界一の原子力事業の構築 2005年 オープンアップG トラスト・テック買収 障害者雇用の特例子会社から、技術者派遣を本業に据える転換 2005年 富士紡HD 富士紡HDへ商号変更 持株会社化と研磨材事業への経営資源集中——中野光雄社長体制と中期経営計画「変身06-10」 2005年 日清紡HD 新日本無線の子会社化 公開買付による株式取得と、連結子会社としての取り込み 2005年 ミスミG本社 駿河精機の取り込み 持株会社移行による流通専業からの転換 2004年 富士フイルム 「VISION75」で第二の創業 本業の消失を前提に据えた構造改革と、事業の組み替え 2004年 ベイカレント SIerから上流コンサルへ転換 発案者が自ら事業を立ち上げる社内独立の風土づくりと、事業構造の作り替え 2004年 三井不動産 不動産保有から運用受託へ転換 所有不動産に頼らない、開発と運営を担って収益を得る事業構造 2004年 吉野家HD 米国産牛肉で牛丼販売休止 輸入停止を受けても代替調達に踏み切らず、主力商品を店頭から下げた選択 2003年 セーレン 川田達男の一貫生産転換 下請け染色からの脱却と、自動車内装材・一貫生産への業態転換 2003年 電通総研 GE事業を閉じ電通単独に 祖業の閉鎖を伴う資本と事業の整理と、単独親会社体制への移行 2003年 アンリツ モバイル計測に先行投資 携帯通信の世代交代を先取りした、需要が立つ前からの資源投入 2002年 ABCマート ITCからABCマートへ改称 祖業である卸売を畳んでの小売専業への一本化と、業態そのものの転換 2002年 大塚HD エビリファイ米国事業のBMS提携 自社単独での米国販売を採らず、BMS社との共同商業化で収益の柱を国内消費財から海外医薬品へ移した重点の移し替え 2002年 ライブドア オン・ザ・エッヂのライブドア取得 破綻した無料プロバイダーの事業取得と、その名を冠した社名への変更 2002年 アマノ オムロンから駐車場事業譲受 営業権の譲り受けという形での駐車場設備事業への進出 2002年 カナデビア ユニバーサル造船へ譲渡 祖業・造船の分社化と環境企業への転身 2001年 ニチロ そばめしで冷凍食品へ集中 家庭用・業務用の調理冷凍食品への集中と、ライン直結の商品開発体制への移行 2001年 オープンハウスG 創建ビルド取得で自社開発へ 仲介専業から自社土地仕入・建物建築への転換 2001年 クラレ クラリアントから事業取得 祖業レーヨンの生産停止と、ポバール・PVB事業への軸足の移し替え 2001年 三井金属 神岡鉱山を止め電子材料へ 鉱山の段階的縮小と、銅箔・TABを柱とする事業への転換 2001年 古河電工 米ルーセントの光ファイバ買収 ケーブル部門の取り込みによる世界シェア2位への浮上 2001年 住友電工 ジェイ・パワーシステムズへの電力ケーブル譲渡 創業以来の高圧電力ケーブルを日立電線との折半会社へ移した祖業の切り出し 2001年 セガサミーHD ドリームキャスト製造中止 セガの家庭用ゲーム機ハード事業からの撤退とソフトメーカーへの転身 2001年 伊藤忠エネクス 伊藤忠エネクスへ改称 改称に合わせた、燃料商社からエネルギー商社への転換 2000年 日本ゼオン 新第一塩ビへ事業移管 水島工場での塩化ビニル生産の打ち切りによる祖業からの撤退 2000年 IHI 日産自動車の宇宙航空事業取得 他社事業の取り込みを通じた航空・宇宙への軸足の移動

1990年代

1999年 トリドールHD 「とりどーる」へ転換 洋風居酒屋から和風焼き鳥ファミリーダイニングへの業態転換 1999年 三菱ケミカルG 四日市エチレン停止 赤字事業の撲滅を通じた「脱・総合」への路線の切り替え 1999年 デンソー トヨタ系列下で自立模索 親会社の支配力強化と、系列見直しのなかでの独自路線の模索 1999年 兼松 総合商社からの撤退 1,500億円の債権放棄を伴う「構造改革計画」 1998年 ディップ IBMとの提携で人材事業開始 端末は相手方、中身は自社という分担で始めた人材情報事業の立ち上げ 1998年 日東紡績 泊工場の綿紡績終了 祖業の綿紡績からの撤退と、ガラス繊維専業への転換 1998年 電通G 組織改革と上場布石 3つの構造変化に直面した営業局の組み替えと、株式公開・海外展開への備え 1998年 芝浦メカトロニクス 東芝メカトロニクスと合併 液晶製造装置への参入と、芝浦メカトロニクスへの社名変更 1998年 カチタス 桐生市で中古住宅再生に参入 改正民事執行法を機に競売物件の中古住宅再生事業を立ち上げ 1998年 ファーストリテイリング ファミクロ撤退と店舗別運営への転換 本部による集中管理をやめ、店舗ごとの判断に委ねる運営への切り替え 1997年 シップヘルスケアHD SPD主体へ転換 医療コンサルと写真フィルム販売から、院内物流代行を主軸とする体制への転換 1997年 三共 ノスカールの国際展開 糖尿病薬の海外展開が新たな収益源に育たず終わった戦略の挫折 1997年 全国保証 住宅ローン保証事業に参入 公的融資保証から民間金融機関向けへの主力の移し替え 1996年 マツキヨココカラ&カンパニー マツキヨへ薬粧専門転換 複合小売からの脱却と、都心駅前への集中によるブランドの確立 1996年 横浜FG 26エリア戦略の導入 都銀に対抗する地理情報システムを用いた営業網の組み替え 1994年 クラレ 非繊維事業への構造転換 繊維に依存しない収益源を広げ、不況に揺るがない体質をつくる事業構成の組み替え 1994年 IDOM 羽鳥兼市の買取専業創業 中古車「買取専業」モデルの確立と最短記録での株式上場 1993年 JSR フォトレジストへ集中投資 合成ゴム事業のリストラによる投資原資の捻出と、光・電子材料への集中投資 1992年 すかいらーくHD 「ガスト」へ全店転換 客単価760円の新業態への全店転換と、原点ブランド「すかいらーく」の廃止 1992年 SCREEN HD ウエハ洗浄装置への集中 一分野への的の絞り込みによる半導体装置メーカーへの転身 1992年 朝日インテック PCIガイドワイヤーの国産化 極細ステンレスワイヤー販売から医療カテーテル製造業への転換 1991年 パーク24 タイムズ運営への転換 駐車場機器の販売代理店から無人時間貸駐車場の運営者への転身 1990年 東京エレクトロンデバイス テル管理サービスの転換 建物保守管理業務のグループ他社への移管と、外国製半導体販売への業態転換

1980年代

1989年 ホクト 柳原きのこセンター設置 きのこ栽培資材の供給から自社量産への転換と、消費地への生産センター開設 1989年 三共 メバロチンの発売 青かびの一株から18年をかけて実らせた自社創薬の事業化 1989年 ブラザー工業 安井義博の情報機器転換 ミシン・タイプライターから情報通信機器への業態転換 1989年 オリックス オリックスへ改称 リース専業からの脱皮と金融サービス業への多角化 1989年 山之内製薬 筑波研究センターの開設 バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資 1988年 片倉工業 熊谷工場休止で蚕糸撤退 蚕糸事業を1製糸工場・1蚕種製造所へ集約し、製造業務から完全に撤退 1988年 日産化学 中井武夫氏の石化撤退 石油化学からの完全撤退と、農薬・機能性材料への事業転換 1988年 富士電機 富士電機冷機の上場 家電での敗北を経た自動販売機への転換と、その事業の自立 1988年 パン・パシフィック・インターナショナルHD 府中に1号店を開設 現金問屋からディスカウント小売への業態転換 1987年 古河機械金属 ユニックを買収 車載型クレーンを手がける会社の全株式取得と佐倉工場の開設 1987年 DMG森精機 伊賀工場を新設し生産方式を転換 量産方式の限界に直面した末の、一台ごとに作り込む方式への回帰 1987年 荏原製作所 藤沢工場で真空ポンプ生産 半導体製造装置分野への参入と、CMP装置の事業化 1987年 IHI 造船依存からの事業転換 造船不況の直撃を受けた事業構成の抜本的な作り替え 1987年 コニカ コニカへの商号変更 輸出ブランドを社名に据え、「写真工業」を外した商号の一新 1986年 森ビル アークヒルズの竣工 単独ビルの建設から市街地再開発事業への転換 1985年 JT 専売公社の株式会社化 公社から日本たばこ産業への衣替え 1985年 三菱瓦斯化学 BT樹脂で機能化学品へ転換 汎用化学品から機能化学品・電子材料への主力事業の転換 1985年 三井化学 浮島集約と超石化転換 エチレン生産の一極化と、汎用品からの脱却を掲げたビジョンの提示 1985年 山之内製薬 米メルクへの技術輸出 自社創製のH2ブロッカー「ガスター」の発売と、技術を海外へ売る側への転換 1984年 関電工 関電工へ商号変更 土木・空調管・原子力工事へ広げた業域と、総合設備業への転換 1983年 浜松ホトニクス 浜松ホトニクスへ改称 テレビの名を捨て、光子工学を軸に据え直した事業領域の再定義 1982年 スクウェア・エニックスHD エニックスへ商号変更 開発部門を持たない出版社型モデルの採用と、外部作者との提携 1981年 TOTO 住設機器総合へ転換 衛生陶器の単品トップからの脱却と、水まわり全体を扱う品揃えへの拡大 1981年 ニチアス アスベストを社名から除外 主原料を代替素材へ切り替える転換の宣言 1981年 FUJI CP-1で実装機へ転換 工作機械専業から電子部品実装機への主力転換 1980年 明治製菓 薬品部門への経営資源集中 不採算な菓子工場の閉鎖による食品事業の構造改善と主力の入れ替え 1980年 カルビー カルビーポテト設立で原料内製化 主原料を小麦から芋へ移した、調達までさかのぼる垂直統合

1970年代

1977年 ニチロ 北洋漁業の縮小で陸上転換 二百カイリ規制を受けた漁労依存からの脱却と、加工・畜産事業への軸足移動 1977年 マルハ 二百カイリ後の加工食品転換 遠洋漁業に依存した主力事業からの撤退と養殖への軸足移動 1976年 昭和飛行機工業 昭島の米軍返還地を賃貸 米軍返還地・約40万坪の分譲の不採用と、不動産賃貸業への進出 1976年 ヤマトHD 宅急便事業の創業 路線トラック三番手からの個人宅配市場への転換 1975年 ショーボンドHD ショーボンド化学へ分社 製造・研究を切り離しての補修専業への集中 1975年 TIS 東洋コンピュータサービス合併 合併による計算機の抱え込みと受託計算への主軸の移行 1975年 ディスコ ダイシングソーを自社開発 切断装置の自社開発と、砥石・装置・使い方を一社で担う体制への転換 1975年 サイゼリヤ 全品半額でイタリア料理転換 思い切った値下げを起点にした低価格チェーンへの業態転換 1975年 大阪ガス ブルネイLNGの導入 全供給エリアの天然ガス転換 1974年 オービック 自社開発ソフトへ転換 商号変更に合わせた会計機販売から情報処理サービスへの業態転換 1974年 三和HD 三和ドアー工業を合併 合併を機としたシャッター専業から建材総合メーカーへの脱皮 1974年 野村マイクロ・サイエンス アクアメディア社から技術導入 米GE製ろ過膜の輸入販売から超純水製造システムへの転換 1974年 ピジョン 仲田洋一の育児用品総合化 哺乳器専業からの品目入れ替えと、育児用品の総合メーカーへの転換 1974年 東京エレクトロン 久保徳雄の消費財輸出撤退 消費財輸出からの全面撤退 1973年 三井松島HD 石炭部門を池島炭鉱へ譲渡 石炭生産部門の分離と兼業会社への転換 ― 松島炭鉱から松島興産へ 1973年 片倉工業 取手ショッピングプラザ開業 製糸工場跡地を自社で商業施設へ組み替える不動産事業への転換 1973年 DCMHD カーマがホームセンターへ転換 176店舗のドラッグストアチェーン構想の撤回と、業態の切り替え 1973年 古河機械金属 足尾銅山を閉山 採掘事業の幕引きと、収益の柱の機械部門への移し替え 1973年 シャープ 液晶電卓EL-805発売 電卓の価格競争から降り、半導体と液晶という独自デバイスに賭けた転進 1973年 センコーGHD 扇興運輸からの社名変更 旧社名からセンコー株式会社への改称による社名の一新 1972年 トヨタ紡織 自動車部品メーカーへ転換 定款への製造品目追加と、紡織を本業とする会社であることの返上 1972年 太陽誘電 「脱磁器コンデンサ」方針表明 主力製品への依存を断つ方針の表明と、新製品領域への多角化 1971年 東京電力HD 福島第一原発の建設 原子力を主力電源に据える選択と、その第一号機の実現 1971年 コニカ U-Bixで事務機参入 電子複写機の投入に合わせた八王子工場のカメラからの転換 1970年 すかいらーくHD 「すかいらーく」1号店開業 食料品店からファミリーレストランへの、業態そのものの転換 1970年 野村不動産HD 野村證券から不動産部門分離 不動産部門を二社に分けた末の、野村住宅産業(現・野村不動産)の設立 1970年 象印マホービン 電子ジャーの発売 自社開発の製品を足がかりに、魔法瓶専業から家庭用電気製品部門への進出 1970年 常磐興産 常磐湯本温泉観光を吸収合併 石炭生産部門の新会社への営業譲渡と、常磐炭礦から常磐興産への商号変更

1960年代

1969年 三菱鉱業セメント 三菱高島炭砿を設立 石炭生産部門の分離と、三菱大夕張炭砿など採炭子会社への切り出し 1969年 住友重機械工業 浦賀重工業を吸収合併 造船大手の取り込みによる重工業メーカーへの転換 1969年 セイコーG 「アストロン」の特許公開 世界初のクオーツウオッチの技術を開放したことによるデファクト化 1969年 パルコ ファッションビル運営へ転換 百貨店業からの撤退と、専門店に場所を貸す商売への転換 1969年 東京海上HD 山本源左衛門の積立保険発売 掛け捨ての補償に貯蓄性を足した長期商品への踏み出し 1969年 東京ガス アラスカ産LNGの導入 15年の長期契約・東京電力との共同調達と根岸基地の建設 1968年 アリアケジャパン 畜産エキスの自社製造 アサリエキスの卸売からの離脱と、原料から作って売る側への転身 1968年 アマノ 「アレコデータ」の発売 コンピューター就業管理システム 1967年 兼松 江商との合併 規模を求めた同業との統合と、両社名を並べた新商号での再出発 1967年 青山商事 広島県府中で紳士服へ一本化 食料品・特産品部門から撤退し 1965年 ホシザキ 業務用製氷機への転換 ジュース自販機から直販販社網の構築 1964年 クラフティア 九州電工ホーム設立で総合設備化 空調・管工事と水処理工事への参入による総合設備工事会社への転換 1964年 日本電気硝子 滋賀高月にCRT工場新設 ブラウン管ガラスへの後発参入と、専用工場による生産体制の確立 1963年 横浜ゴム 新城工場建設で立て直し 首位を明け渡した後の巻き返しと、島崎敬夫社長による経営刷新 1962年 大正製薬HD リポビタンDの発売 20mlのアンプル剤から100mlのドリンク剤へ、飲み方ごとの作り替え 1962年 汽車製造 後藤悌次が主導した多角化 車両専業という立ち位置からの脱却と、事業多角化への転換 1961年 東洋水産 マルちゃんで即席麺参入 魚を商う水産商社から加工食品メーカーへの転身(1961) 1961年 SMC エア三点セット製造へ転換 焼結フィルターから空気圧補助機器の製造への転換と、主要機構の内製化 1960年 日本製鋼所 アンケル・ベルクと成形機提携 技術導入によるプラスチック射出成形機事業の立ち上げと、一般産業機械部門の拡大 1960年 クボタ 純国産トラクタT15形の発売 耕うん機から完成機体系への農業機械の組み替え 1960年 オムロン 無接点近接スイッチで転換 保護継電器メーカーから制御機器メーカーへ、世界初の製品を軸に据えた業態の組み替え 1960年 コクヨ 黒田暲之助の鋼製家具参入 鋼製家具・ファイリング用品への参入と、協力工場生産によるコクヨ商標での販売 1960年 伊藤忠商事 越後正一の非繊維部門拡充 非繊維部門の拡充——繊維専業商社から

1950年代

1959年 トヨタ自動車 元町工場の建設 日本初の乗用車専門工場・量産体制への転換 1958年 日本光電工業 トランジスタへの転換 主要部品を真空管から置き換えることによる小型ME機器への移行 1957年 東レ 英ICIから技術導入 ポリエステル繊維技術をめぐる、同業他社と足並みを揃えた共同導入 1957年 本州製紙 釧路の段ボール原紙工場新設 第一次・第二次の合理化工事と一体で進めた生産体制の立て直し 1957年 UBE 中安閑一の石炭鉱業撤退 祖業を畳んだうえでの約7,000名の他部門への配置転換 1957年 上村工業 めっき用化学品の製造開始 本社に薬品部を置いての、自社での薬品づくりへの踏み出し 1957年 ダイフク ビューラー社と技術提携 ジャービス・ビー・ウェブ社との提携も重ねた搬送機械への転換 1957年 マキタ 電気カンナで電動工具化 特殊モーター受注生産からの脱却と、国産第一号の完成品を持つ専業化 1957年 ペンタックス アサヒペンタックスの開発 距離計連動式を採らない一眼レフカメラへの集中と、専業メーカーへの転換 1956年 味の素 協和発酵とMSG買取契約 うま味調味料の単品依存から総合食品企業への転換 1956年 はごろもフーズ 東京営業所開設で内需へ 輸出依存からの脱却と、国内市場向け自社ブランド缶詰への転換 1956年 コマツ ブルドーザーへ転換 砲弾生産への依存を断ち切る建設機械への業態転換 1956年 日亜化学工業 阿南市で蛍光体原料開発 塩化カルシウムを主原料とする蛍光灯用蛍光体原料の開発と、日亜化学工業の設立 1955年 リコー リコピーによる市場参入 複写機を足がかりに据えた事務機市場への本格的な進出 1955年 東京電力HD 火主水従への転換 水力中心の電源構成を改め、火力を基幹に据えた供給体制の組み替え 1954年 豊田自動織機 S型エンジンで農機参入 手持ち技術の転用から踏み出した多角化と、そこで味わった躓き 1953年 信越化学工業 GEとの提携でシリコーン事業化 技術提携を足がかりとした事業化と、肥料中心の売上構成の入れ替え 1953年 豊田自動織機 トヨタ向けOEM生産参入 完成車の受託生産を通じた織機会社の構造転換 1953年 東京精密 空気マイクロメータの工業化 日本初の工業化と、切削工具から精密測定機器への主力の移し替え 1953年 サンゲツ 山月堂から壁紙卸へ転換 表具師の家業から壁紙卸専業への業態転換 1952年 ダイキン 朝鮮特需で空調へ転換 砲弾でつかんだ資金を元手とする、化学と冷熱機器への業態の組み替え 1952年 ゴールドウイン 野球用品中心へ全面転換 一般メリヤス雑貨の生産をやめてのスポーツウエア専業への絞り込み 1951年 明治製糖 川崎工場復旧で復帰 倉庫業と製薬業でつないだ操業の空白と、精製糖業への復帰 1951年 ニチレイ 木村鉱二郎の総合食品化 冷蔵倉庫業から「冷力を核とする総合食品企業」への転換 1951年 東レ 米デュポンと技術提携 ナイロン技術の導入と、自社での生産に踏み出す足がかりの確保 1951年 昭和飛行機工業 昭和食料工業の設立と減資 米軍接収下での自動車修理への転換と、第二会社の設立・九割減資による資本の清算 1950年 堀場製作所 国産初のpHメータ開発 ガラス電極式の製品化を足がかりとした計測器専業への転換

1940年代

1930年代

1920年代

1910年代

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