帝人 フェブリクの創製発売 化合物の創製から発売までを自社で手がける開発体制の確立

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時期 2011年5月
当時の社長 大八木成男
論点 創薬テーマへの資源配分と事業構造の転換
何をなぜ決めたか
概要

2011年5月、帝人ファーマは高尿酸血症・痛風治療剤"フェブリク(フェブキソスタット)"を国内発売した。1988年に着手した尿酸降下薬の創薬は、当初わずか1名の研究者で始まった優先度の低いテーマであり、1991年の化合物合成から発売までに20年以上を要した。世界初の非プリン型選択的キサンチンオキシダーゼ阻害剤として約40年ぶりの新機序薬となり、繊維に代わる帝人の収益源へ育った経営判断である。

背景

高尿酸血症・痛風は患者数が多い一方、有効な尿酸降下薬は1960年代のアロプリノールなど古い薬に限られ、約40年にわたり新機序の新薬が現れていなかった。既存薬が長く使われ競合も開発動機も乏しいこの領域は、帝人ファーマ社内でも研究の優先順位が高いテーマではなかった。

内容

帝人は1988年に尿酸降下薬の創薬研究へ着手した。当初のプロジェクトメンバーはわずか1名で、有効な候補が得られず開発断念も検討されたが、テーマを支持する研究者が自主的に協力し、1991年にフェブキソスタットの合成に成功。1996年に臨床試験へ進み、開始から約8年で承認取得を目指すプロセスが本格化した。2011年1月に国内承認、5月に発売した。

含意

日本発の新薬として1999年の米タップ社を皮切りに海外導出が進み、フェブリクは帝人の医薬品事業における最大製品(国内ピーク約390億円)へ育った。わずか1名から始まった創薬が繊維に代わる主力事業へ転化した一方、特許切れ後の後発品参入で収益は急減し、単一大型品への依存とパイプライン不足という次の課題を残した。

いつ何が起きたか 9件
筆者の見解
筆者の見解

「1名の創薬」が示した粘りと、その裏側

この判断の核心は、優先度が低く採算の見えないテーマを、わずか1名という最小の体制のまま打ち切らずに走らせ続けた点にある。撤退基準を欠いた1970年代の未来事業本部が50を超える新規事業へ資源を散らして失敗したのとは対照的に、フェブリクは資源を絞り込んだまま20年以上をかけて一つの成果へ結実した。繊維で培った有機合成の技術と、辛抱強い長期投資の文化が、約40年ぶりの新機序薬という果実を生んだ。この発明は2015年に全国発明表彰の内閣総理大臣発明賞を、2018年に大河内記念賞を受けている。

もっとも、単一の大型品に医薬事業の収益を託した構図は、特許切れという時限装置を抱えていた。物質特許の満了と後発品の参入でフェブリクの国内売上は急減し、帝人は武田薬品からの製品購入という守りの投資で穴を埋めざるを得なかった。1名の粘りが生んだ収益源は、次の柱を欠いたまま崖へ向かう。創薬の成功譚は、パイプラインを継ぎ続ける難しさという製薬事業の宿命を、同時に映している。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
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参考文献
出典・参考
  • 帝人ファーマ プロジェクトストーリー「痛風・高尿酸血症の治療に新たな選択肢を——帝人ファーマの創薬」
  • 帝人ファーマ プレスリリース(2011年5月13日)「高尿酸血症治療剤『フェブリク錠』の日本における発売について」
  • タケダ(Takeda Pharmaceuticals)プレスリリース(2009年2月)「FDA Approves ULORIC (febuxostat)」
  • 帝人 有価証券報告書(連結)

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