大日本スクリーン製造のウエハ洗浄装置への集中と半導体装置への転換
1992年実施半導体前工程のどの工程に賭けるか——印刷の会社が洗浄に主力を定め、電子工業向けへ転じるまで
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- 概要
- 1975年に半導体装置へ参入した大日本スクリーン製造が、石田明社長のもとで半導体前工程の数ある工程のうちウエハ洗浄を主戦場に定め、200ミリウエハ用のバッチ式ウェットステーションWS-820Lなどを投入して洗浄装置に資源を集めた事業選択。1994〜95年に半導体装置で世界トップ10入りし、電子工業向け機器が祖業の印刷関連機器を売上で上回った。
- 背景
- 写真製版・印刷機器を祖業とする同社は、1975年のウエハ腐食機を皮切りに半導体前工程の装置をそろえ、1985年に洛西工場を新設した。半導体製造は500〜1000工程に及び、その3〜4割を占める洗浄が歩留りを左右する要所だった。
- 内容
- 1989年就任の石田明社長は、露光や成膜ではなく洗浄を主戦場に選び、枚葉式スクラバーやバッチ式ウェットステーションWS-820Lを投入した。半導体市況が悪化し1993〜94年に相次いで最終赤字へ落ち込むなかでも投資を緩めず、1997年に300ミリ対応のFC-3000を発表した。
- 含意
- 洗浄への集中は同社を洗浄装置で世界首位へ押し上げ、印刷から半導体装置への業態転換を実らせた。一方、2009年に60%だったシェアが2015年に45%を割るなど、一つの工程への集中は振れの大きさもはらむ。
勝てる工程を見定めて資源を集める
この決断が示すのは、半導体の数百に及ぶ工程のなかで、どこに資源を寄せるかという選択の重さである。大日本スクリーン製造は、装置メーカーとして目立つ露光や成膜ではなく、地味だが歩留りを左右する洗浄を主戦場に選んだ。写真製版で磨いた表面処理や液体の扱いという技術が、そのまま半導体の洗浄で生きる——祖業との連続性が、この一点への集中を支えていた。あれもこれもと工程を広げず、勝てる領域を見定めて資源を寄せた点に、この選択の性格がうかがえる。
もっとも、一つの工程に深く賭ける戦い方は、その工程の景気や競争に業績が強く左右される裏返しでもある。洗浄で世界の首位に立った同社が、その後にシェアを落とした事実は、集中の強さと危うさを同時に示す。それでも、印刷の会社が半導体の洗浄で稼ぐ会社へと姿を変えたこの転換は、自社の技術がどこで生きるかを見極め、そこへ資源を集める判断が企業の輪郭を作り替えることを伝える。半導体装置のどの工程に賭けるか——それは各社が今なお向き合う論点である。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
印刷の会社が半導体装置へ
大日本スクリーン製造は、写真製版用スクリーンの製法を発明した石田家を源流とし、長く印刷・製版機器を主力としてきた。半導体製造装置に足を踏み入れたのは1975年で、シリコンウエハを腐食させる「ウエハー腐食機EMW-322/411」を開発した。製版で磨いた位置決め・塗布・表面処理の技術は、半導体前工程の加工と本質を同じくする。印刷で得た利益を新分野の開発へ回しながら、同社は電子工業向けの装置を少しずつ育てていった[1]。
参入から十年ほどのあいだに、大日本スクリーン製造は半導体前工程の装置を次々にそろえた。1978年にはフォトレジストを塗るスピンナーシリーズを開発して半導体分野へ本格参入し、1982年には米国系の大手半導体メーカー向けにウエットステーションを手がけた。1985年には洛西工場を新設して半導体製造装置の生産を強化し、1988年には完全モジュール構造のウエットステーションを発売した。祖業の印刷機器とは別に、電子工業向けの柱が形をとりはじめた[2]。
洗浄という工程の重み
半導体の前工程は数多くの工程からなり、そのなかで洗浄が占める比重は大きい。製造プロセスは500から1000の工程に及び、その3割から4割を洗浄工程が占める。回路を微細に刻むほど、わずかな異物や汚染が歩留りを左右する。半導体技術者の湯之上隆氏は、半導体がこれほど普及した背景に洗浄技術の存在があると記す。装置メーカーにとって洗浄は、地味ながら製品の良否を決める要所であった[3]。
決断
石田明社長と洗浄への集中
1989年、創業家の石田明氏が三代目社長に就いた。石田氏のもとで大日本スクリーン製造は、半導体前工程の数ある工程のうち、露光や成膜ではなく洗浄を主戦場と定めていく。社長交代の年には枚葉式の両面スクラバー「RSW-612A」を発売し、洗浄装置の品ぞろえを広げた。あれもこれもと工程を手がけるのではなく、自社の技術が生きる洗浄に資源を寄せる選び方であった[4]。
1990年代に入ると、ウエハの主流は口径200ミリへ移り、洗浄装置にも新しい世代が求められた。大日本スクリーン製造は200ミリウエハに対応するバッチ式ウェットステーション「WS-820L」を投入する。処理槽を最大13槽まで並べ、搬送ロボットを最大6台積んで多数のウエハをまとめて洗う装置で、減圧乾燥によってウォータマークの発生を抑えた。キャリアを使わない搬送方式を採り、量産ラインでの洗浄をねらった製品であった[5]。
不況下の投資継続
洗浄への集中は、追い風のなかで進んだわけではない。1992年3月期に単体売上高1415億円のピークをつけた同社は、半導体市況の悪化と平成不況が重なり、1993年3月期に117億円、1994年3月期に148億円の最終赤字へ落ち込んだ。それでも石田氏は洗浄装置への投資を緩めず、1997年には300ミリウエハに対応するバッチ式洗浄装置「FC-3000」を発表した。不況期にこそ次世代機を仕込む判断が、のちの立場を分けていく[6][7]。
結果
業態転換と、洗浄でのトップシェア
洗浄を中心にすえた半導体装置事業は、1990年代半ばに世界水準へ届いた。大日本スクリーン製造は1994年に半導体製造装置の顧客満足度で世界トップ10入りを果たし、翌1995年には売上高でもトップ10へ入った。この前後に電子工業向け機器の売上は祖業の印刷関連機器を上回り、会社の主力が印刷から半導体装置へと移っていった。写真製版の技術から出発した会社が、半導体の洗浄で稼ぐ会社へと姿を変えていった[8]。
洗浄への集中は、長い目で見れば同社を世界の首位へ押し上げた。SCREENの洗浄装置は、枚葉式で約3分の1、バッチ式とスピンスクラバーで過半を占める世界トップの座を得た。もっとも、集中は強みであると同時に振れの大きさもはらむ。同社のウエハ洗浄のシェアは2009年に60%でピークをつけたのち、2015年には45%を切るまで下がった。一つの工程に賭ける戦い方は、その工程の浮沈をそのまま業績に映す[9][10]。
- SCREENホールディングス公式サイト「SCREENの歴史:1973〜1988」
- SCREENホールディングス公式サイト「SCREENの歴史:1989〜2004」
- SCREENセミコンダクターソリューションズ「ウェットステーション WS-620C/WS-820C/WS-820L」製品情報
- JBpress(2016年12月2日)湯之上隆「半導体がこれほど普及したのは洗浄技術があったから ウエハ洗浄装置メーカー『スクリーン』の苦境と活路(前編)」
- 半導体業界ドットコム(2023年9月12日)「【半導体関連企業研究】洗浄装置大手のSCREENの歴史や事業・年収を徹底解説」
- 会社年鑑(大日本スクリーン製造・単体決算)