JAL破綻を機とした国際線拡大と「内需依存」からの転換
国内線に依存した後発の航空会社は、JAL破綻とオープンスカイをどう成長へ変えたか
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- 概要
- 2010年1月の日本航空(JAL)破綻と日米オープンスカイ協定を機に、伊東信一郎社長のもとで全日本空輸(ANA)が国際線を成長の柱に据えた経営判断。JALが撤退した路線の引き継ぎ、羽田空港の国際化、米ユナイテッド航空などとの共同事業、B787の投入で国際線を拡大し、国内線に偏った事業構造の転換を進めた。
- 背景
- 売上の半分以上を占める国内線が新幹線との競合や人口の減少で成長を見込みにくくなる一方、後発のANAは成田で不利な発着枠しか持たず、国際線が長く不採算だった。2008年秋の金融危機で最終赤字に沈むなか、2010年に控えた首都圏空港の再拡張が転機と見込まれた。
- 内容
- JALが不採算として撤退した中国路線などを引き継ぎ、2010年10月の羽田国際化で欧米・アジア路線を開いた。2011年に米ユナイテッド航空と独占禁止法の適用除外のもとで共同事業を始め、成田で米国—アジアの乗り継ぎ需要を取り込む。燃費に優れるB787を世界で最初に発注し、中規模都市への長距離路線を通した。
- 含意
- 2012年の中期経営計画で国際線供給量を2011年度比29%増と掲げ、内需に依存しない国際航空会社への転換を進めた。連結売上高は後に2兆円を超え国際線が成長を支えた一方、固定費の重い自社便中心の拡大は、2020年からのコロナ禍で巨額の損失として跳ね返った。
後発の賭けが残したもの
この判断の中心にあるのは、国内線という安定した本業だけでは成長の絵が描けないという、後発航空会社の事情であった。長く国際線で不利な立場に置かれてきたANAは、JALの破綻と日米オープンスカイという外部の変化を、自前では届かない路線をアライアンスと共同事業で補いながら国際線を伸ばす機会に変えた。B787で中規模都市に長距離便を通した工夫も含め、限られた発着枠のなかで打てる手を積み上げた選択であったとみることができる。
もっとも、その後の展開は、成長を追う拡大が別の弱さを抱えることも示している。乗り継ぎ需要を取り込む自社便中心の国際線は、平時には強みでも、需要が消える場面では重い固定費として跳ね返った。コロナ禍の巨額損失を経て、ANAは非航空の領域やLCC、貨物へも収益の幅を広げようとしている。後発として国際線に賭けた2010年前後の選択が、次にどのような事業の形へつながるのかは、なお見定める段階にあるとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
国内線への依存と、後発ゆえの国際線の不利
全日本空輸(ANA)は売上高の半分以上を国内線が占め、その国内線は新幹線との競合や人口の減少を前に、成長を見込みにくくなっていた。海外に目を向けても、1986年に国際定期便へ参入して以来、優位な発着時間帯を先行するJALに押さえられ、成田では大型機も使える長距離用A滑走路の発着枠がJALの3分の1にも満たなかった。国際線は参入から長く不採算が続いていた[1]。
転機のひとつが、1999年のスターアライアンス加盟であった。ANAは自前で世界各地へ薄く飛ばす従来のやり方を改め、自社便を中国中心の近距離アジアに絞り、中長距離は連合各社のネットワークに接続するハブ&スポーク方式へ切り替えた。歩留まりを管理するイールドマネジメントの手法も連合を通じて学び、2005年には国際線参入19年目で初めて黒字に転換した。国際線を伸ばす足場が、この時期に整った[2]。
2009年の危機と、伊東社長の就任
2008年秋の金融危機は、国際線の旅客を2桁減らし、ANAを6期ぶりの最終赤字へ沈めた。2010年3月期の連結業績は、売上高1兆2,283億円、営業損益542億円の赤字、当期損益は573億円の赤字と、業績は底に落ち込んだ。この最中の2009年4月、伊東信一郎氏が社長に就いた。伊東社長は「アジアで一番の航空会社」を掲げ、就任の時から国際線を成長の柱に据える考えを明言していた[3][4]。
伊東社長が転機と見込んだのは、2010年に控えた首都圏空港の再拡張であった。「特に国際線が今後の成長戦略のカギを握る」と語り、燃費が2割優れる中型機B787でネットワークを厚くする構想を描いた。国際線を2地点間で飛ばすだけでなく、その先をスターアライアンスの各社網へつなぐ——後発ゆえに単独では届かない路線を、連合の力で補う考えであった[5]。
決断
JAL破綻を好機とした国際線拡大
2010年1月19日、日本航空(JAL)が経営破綻した。公的支援と引き換えに路線を大幅に縮小するJALの後退を、ANAは好機と捉えた。伊東社長は破綻の直後から「日本の国際線を担う意思は十分ある」と言明し、JALが不採算として撤退した成田発の中国路線などを引き継いだ。2010年10月には羽田空港の4本目の滑走路が完成し、深夜早朝の欧米路線や台北への新規就航が解禁され、この年の国際線の便数は全体で約15%増える計算となった[6]。
拡大の構想は、社内で「777計画」と呼ばれていた。売上高7,000億円規模の国内旅客を保ちつつ、国際旅客を倍以上、貨物を7倍に引き上げ、3事業をそれぞれ7,000億円で釣り合わせる——国内線に偏った事業構造を、国際と貨物を伸ばして組み替える狙いであった。もはや見つめる先はJALではなく、シンガポール航空やキャセイパシフィック航空といったアジアの強豪であり、社員に向けた言葉も「アジアナンバーワン」で統一されていた[7]。
共同事業とB787による長距離網
国際線拡大のもう一本の柱が、欧米大手との共同事業であった。2009年末の日米オープンスカイ協定を受け、2011年4月、ANAは米ユナイテッド航空と独占禁止法の適用除外のもとで共同事業を始め、後にルフトハンザドイツ航空とも同じ枠組みを結んだ。ダイヤや運賃を共同で設定し、両社の発着枠を共有のように使うことで、成田で米国とアジアを結ぶ乗り継ぎ需要を取り込んだ。開始から1年でユナイテッドが売ったANA便の旅客は、成田—バンコク線などで約3倍に伸びた[8]。
機材の面でこの戦略を支えたのが、ボーイング787であった。ANAは同機を世界で最初に発注し、燃費が2割優れる中型機ながら大型機並みの航続距離を得た。250席級の大型機では埋めきれなかった中規模都市に、158席のB787なら採算をとって長距離を飛ばせる。ANAはこの機材でシアトルやサンノゼといった新しい都市へ路線を開いた。2012年2月の新中期経営計画では、2013年度の国際線供給量を2011年度比で29%増やす目標を掲げ、国内線の8%増と対照をなした[9][10]。
結果
内需に依存しない構造への転換と、その後
内需に依存しない国際航空会社への転換は、その後の数字に表れた。2013年4月にANAは持株会社ANAホールディングスへ移り、国際線を伸ばす体制を整えた。連結売上高は、底であった2010年3月期の1兆2,283億円から拡大を続け、2019年3月期には2兆583億円と2兆円を超えた。親会社株主に帰属する当期純利益も2018年3月期に1,438億円と過去最高を更新し、国際線が成長を支える柱に育った[11]。
ただし、この拡大は自社便を厚くする形で進み、そのぶん固定費を重くした。乗り継ぎ需要をつかむための集中離発着は、ピークに合わせて人員や設備をそろえる必要があり、構造としてコストが高くなる。2020年からの新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で国際線の需要が消えると、2021年3月期の連結業績は営業損益4,648億円の赤字、当期損益は4,046億円の赤字と、過去最大の損失に沈んだ。内需に依存しない体制を築いたことが、国際線の急減という同じ理由で最も深い痛手となって返った[12][13]。
- 週刊東洋経済 2009年4月11日号「国際線が成長のカギ握る、アライアンスで路線拡充」
- 週刊東洋経済 2010年2月13日号「膨れ上がるANAの野望」
- 週刊東洋経済 2012年4月2日号「脱『内需依存』でアジアに舵」
- 全日本空輸 有価証券報告書(2010年3月期・連結)
- ANAホールディングス 有価証券報告書(2019年3月期・連結)
- ANAホールディングス 有価証券報告書(2021年3月期・連結)