LINEメッセンジャーアプリ「LINE」の投入と、検索・ゲームからの主力転換

育てかけの検索を守るか、2か月で書き上げたアプリに人を移すか——NHN Japan とネイバージャパンの選択

時期 2011年6月
意思決定者(推定) 森川亮(ネイバージャパン 代表取締役)・慎ジュンホ 検索事業責任者
論点 主力事業の転換と経営資源の再配置
概要
2011年6月23日、韓国NHN(現NAVER)の日本法人であるNHN Japan傘下のネイバージャパンが、モバイルメッセンジャー「LINE」を公開した。本格開発の開始は4月末で、開発期間は2か月弱であった。
背景
NHN Japanはオンラインゲーム「Hangame」で稼ぎ、別会社のネイバージャパンが検索サービス「NAVER」を運営していた。検索は日本で二度目の挑戦にあたり、新規事業の検討は2010年末から始まっていた。
内容
東日本大震災の直後、開発中だった写真共有アプリを後回しにしてメッセンジャーへ切り替えた。検索事業を率いていた慎ジュンホ氏が自らの部隊の開発者を投入し、6月23日に公開した。
含意
公開から約6か月で1,000万ダウンロード、約19か月で世界1億ユーザーに達した。会社は2013年4月にLINE株式会社へ商号を変えてゲーム事業を分離し、同年11月には国内の検索サービスも終えた。
筆者の見解

賭けたのは資金より、検索に張りついていた人と時間

慎ジュンホ氏は検索のために2008年に来日し、第2次ネイバージャパンの検索事業を任された人物である。その本人が「今しかない」「もしダメだったら、責任をとろう」と言って、自分の部隊の開発者をメッセンジャーへ移した。新規事業が既存事業と人手を奪い合って立ち消える例は珍しくない。ここでは奪う側と奪われる側の責任者が同一人物であり、しかも韓国本社の指示ではなく日本法人の独自企画であった。その二つが重なったからこそ、4月末から2か月弱という日程が通ったとみられる。

ただし、震災から始まったという物語は後から整えられた面がある。6月27日のリリースは電話番号を登録キーにするという市場論だけで書かれており、震災には触れていない。速度の代金も安くはなかった。1,000万ダウンロードの翌期にあたる2012年12月期は経常損失、2013年12月期は税引前損失83億円で、広告宣伝と海外での費用が先に出ている。着想の早さだけでは、この日程は通らなかった。育てかけの検索から人を剥がせたこと、赤字を数年抱える判断ができたこと、その両方が揃っている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

ゲームと検索で立つ日本法人

登記上の出発点は2000年9月にさかのぼる。韓国のNHN Corporation(現NAVER)が東京都渋谷区桜ヶ丘に設立したハンゲームジャパン株式会社である。同年11月にインターネットゲーム・ポータル「Hangame」を開き、2003年8月にはネイバー株式会社と合併してNHN Japan株式会社へ商号を変えた。オンラインゲームで稼ぐ韓国資本の日本法人という性格は、2011年に入っても変わっていない。同年12月期の単体売上高は151億円、従業員は547名であった[1][2]

柱はもう一本あった。検索である。NHN Japanは2007年11月、検索サービス「NAVER」を扱うネイバージャパン株式会社を別に設け、2009年7月1日に「探しあう検索」を掲げて日本でのサービスを始めている。2011年3月末の月間総アクセス数は約2.9億ページビュー、月間利用者数は約1,500万人にのぼった。NAVERにとって、日本の検索は二度目の挑戦にあたる。2008年6月に来日した慎ジュンホ氏が任されたのも、この第2次ネイバージャパンの検索事業であった[3][4]

検索の責任者と、震災前に動いていた新規事業

慎ジュンホ氏は韓国で名の通った開発者であった。2005年6月に検索サイト「1NooN(チョッヌン)」の創業メンバーとして最高技術責任者を務め、2006年6月にNHN(現NAVER)が同社を約350億ウォン(約32億円)で買収したのに伴って入社している。2008年6月に来日し、日本の検索事業の責任者となった。後年、舛田淳氏はこの人物について「慎なくしてLINEを語ることはできない。そして、LINEが誕生することもなかった[6]」と述べている[5]

新規事業の検討そのものは、震災より前に始まっていた。稲垣あゆみ氏は「プロジェクトがスタートしたのは2010年の年末でした」と述べており、チームが先にチームはまず写真共有アプリに手をつけていた。そこへ2011年3月11日の東日本大震災が起きる。稲垣氏は「地震でメッセージングのアプリが日本で求められていると判断し、メッセージングアプリの開発を4月末から本格始動しました」と振り返っている。作りかけの企画を後ろへ回す判断が、まず先にあった[7]

決断

検索から開発者を引き抜いた2か月弱

4月末の本格始動から公開までは2か月を切っている。日経ビジネスは、本格開発を決めてから約1か月半で完成させる日程であったと記している。日程よりも、その人手をどこから出すかが重かった。慎ジュンホ氏は「今しかない」「絶対にこのトレンドは来る。フルコミットしよう」「もしダメだったら、責任をとろう」と語り、自分が率いる検索の開発者をメッセンジャーへ移した。同記事はこのときの判断を「もはや、『検索事業』にこだわっている場合ではない」と要約している[8]

この企画は韓国本社の指示ではない。日経ビジネスは「本社が『スマートフォン向けメッセージアプリを作れ』と命じたわけではない」と書いている。名称も社内で選んだ。舛田淳氏によれば「グリーントーク」や「ネイバートーク」など複数の案が並ぶなかで、「『LINE』が挙がってきたとき、ほぼ全員のスタッフが『これだ』と」なったという。サービスは2011年6月23日に公開された[9][10]

電話番号を登録キーにする、という説明

6月27日、ネイバージャパンは代表取締役・森川亮氏の名で提供開始を発表した。リリースが挙げた理由は市場の空白である。TwitterやFacebookのような公開型・準公開型のSNSは利用者を伸ばしているが、交友関係が広がるぶん「身近な友人や家族間におけるプライベートなコミュニケーションツールとしては必ずしも利便性が高いとは言えない」。そこで「最もプライバシー性の高い『電話番号』を登録キーとする」設計を選んだ、という筋書きであった。掲げた目標は年内100万ユーザーである[11]

震災を出発点とする説明は、当事者の回想と後年の公式説明によって定着した。同時代の一次資料は、その語りを裏づけない。6月27日のリリースに震災の語は一つも出てこないし、市場の空白を突く理屈だけで最初から最後まで書かれている。会社が「震災の余波が続く中、2か月弱で開発を行い」と説明したのは、13年後の2024年であった。とはいえ、着手が4月末に決まり、開発が2か月弱で押し切られた事実は動かない。震災は動機の全部ではなく、着手の時期を早めた出来事である[12]

結果

中東からの反応と、6か月で1,000万

最初の大きな反応は、国内ではなく中東から届いた。2011年9月1日、ネイバージャパンはクウェート・サウジアラビア・アラブ首長国連邦などのApp Store無料アプリランキングで1位になったと発表している。公開2か月で50万ダウンロード、直近1週間はクウェートだけで1日約2万ダウンロードという伸びであった。舛田淳氏は、海外にはキャリアメールがなくSMSに送信料がかかること、既存のメッセージアプリが有料であることを理由に挙げている[13]

10月4日には無料通話機能を加え、スタンプを含む機能の拡充を同時に行った。11月8日に累計500万、12月25日には1,000万ダウンロードへ届く。公開から約6か月であり、会社は同じ水準に要した期間をFacebook約28か月、Twitter約26か月、mixi約39か月、GREE約61か月と並べて示した。登録者の内訳は国内が約40%、海外が約60%である。2012年3月27日に国内1,000万人・世界2,500万人、2013年1月18日には約19か月で世界1億人を超えた[14][15]

ゲームの分離と、検索の終了

会社の形も追いかけて変わった。2011年12月、NHN Japanはネイバージャパンを吸収合併し、翌2012年1月には子会社ライブドアのメディア事業を吸収分割で引き受けている。2013年4月1日には商号をLINE株式会社へ改め、同じ日に新設分割で設けたNHN Japan株式会社(現NHN PlayArt)へハンゲーム事業を承継させた。祖業のオンラインゲームは、サービス名を社名に据えた会社の外へ出たことになる[16]

検索を終えたのはその年の暮れであった。2013年11月22日、LINEは国内のNAVER検索と英語・韓国語・中国語の各辞書を12月18日で終えると発表し、「経営資源はLINEおよびNAVERまとめに再配置し」と説明している。連結売上収益は2013年12月期の395億円から2015年12月期の1,206億円へ伸びた。ただし利益は後回しである。2012年12月期は単体で経常損失4億円、2013年12月期は税引前損失83億円を計上し、届出書は広告宣伝・設備投資と海外事業展開の費用によると説明している[17][18]

出典・参考

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