複眼経営を捨て、がんに絞る——中山讓治の選択と集中

新薬・後発薬・OTC・ワクチンの4本柱を畳み、海外後発薬から退いて自社ADCへ賭け直した2015年の転換

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時期 2015年5月
意思決定者 中山讓治 第一三共 社長兼CEO
論点 事業ポートフォリオの選択と集中
概要
2015年、第一三共は複眼経営の看板だった海外後発薬事業から完全に退き、新薬、なかでもがん領域へ経営資源を絞り込む方針へ転換した。3月にインドのサン・ファーマシューティカル株を全売却してランバクシーとの縁を断ち、同年、中山讓治社長兼CEOが新薬回帰を明言、年末には「がんに強い会社」への転身を打ち出した。
背景
2008年のランバクシー買収は品質問題と巨額減損で躓き、複眼経営(新薬・後発薬・OTC・ワクチンの4本柱)は行き詰まっていた。加えて年約3000億円を売り上げる主力の降圧薬オルメサルタンが2016年に米国で特許切れを控え、後発薬撤退と大型新薬の減収が同時に迫っていた。
内容
中山社長はグローバル後発薬と新薬の二正面作戦を断念し、従来得意としてきた新薬に特化する結論を下した。サン・ファーマ株の売却で得た約4000億円のキャッシュを成長投資に回し、社内で温めてきた抗体薬物複合体(ADC)の研究へ資源を集中させ、がん領域への転身を宣言した。
含意
自社創製のADC「エンハーツ」が2020年に上市し、2024年3月期には売上1兆6000億円の約3割を稼ぐ主力へ育った。がんの経験がほぼなかった会社が海外大手も注目する存在へ変わり、ランバクシーで刻んだ赤字は自前の新薬で埋め戻された。
筆者の見解

筆者見解

この転換の要点は、新しい領域へ打って出た積極性よりも、広げた事業をどこまで手放せるかという撤退の徹底にあったとみることができる。ランバクシーで嫌ったはずの単品依存や巨額投資のリスクは、後発薬を続けても新薬に絞っても形を変えて残った。中山社長は、勝ち目の薄い二正面作戦を畳み、得意領域へ資源を寄せる道を選んだ。四つの柱を掲げて広げた経営を自ら巻き戻す判断は、掲げるより畳むほうが難しいという経営の機微を示しているようにもみえる。

もっとも、絞り込んだ先ががんであった必然を、当時の材料だけから読み取るのは難しい。社内で細々と続いていたADC研究が世界的な大型薬へ育ったのは、技術の筋のよさに加え、少なからぬ幸運も働いた結果だったとみられる。選択と集中は、外れれば単なる退却として記憶されたはずで、エンハーツの成功があってはじめて先見の一手として語られている面は否めない。理想の是非より、退く決断と育てる技術がたまたま噛み合った巡り合わせこそが、この転換の実相に近いのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

行き詰まった複眼経営

2010年に社長へ就いた中山讓治氏は、当初は新薬、OTC医薬品、ワクチン、後発医薬品という四つの事業分野を束ねる複眼経営を掲げていた。その柱の一つが、2008年に約5000億円を投じて子会社化したインド最大手の後発薬メーカー、ランバクシー・ラボラトリーズであった。だが買収直後にインド工場の品質問題が発覚し、2009年3月期には約3500億円の減損処理を迫られた。新興国と後発薬を新たな成長領域に据える構想は、入口でつまずいていた[1][2]

後発薬事業をめぐる環境そのものも、買収当時から様変わりしていた。主要な化学物質はおおむね後発薬へ切り替わり、価格・規模・コストの競争が激しさを増していた。品質管理問題の解決には多くの人員を送り込んだものの、言葉も習慣も異なる現地での課題解決には限界があった。勝ち残るには継続的な巨額投資が避けられず、新薬開発と後発薬事業の双方に資金を割き続ける二正面作戦は、次第に会社の体力を圧迫する構図になっていた[3]

オルメサルタン特許切れという時限装置

複眼経営の綻びと並行して、新薬側にも時限装置が仕込まれていた。年約3000億円を売り上げる最主力の降圧薬オルメサルタンが、2016年10月に米国で特許切れを迎え、2017年2月には日本と欧州でも失効する見通しであった。米国では特許切れから1年で8〜9割が後発薬に置き換わるのが通例で、大幅な減収は避けられなかった。後発薬事業から退けば新興国の成長市場を逃し、留まれば投資がかさむ。そのうえ足元では主力新薬の収益基盤が崩れかけていた[4]

決断

海外後発薬の断念と新薬回帰

2014年4月、第一三共はかねて打診を受けていたサン・ファーマシューティカルによるランバクシー吸収合併に合意し、同社株の少数株主として残る道を選んだ。しかし2015年3月、モディ政権への期待を背景とした株高でサン・ファーマ株が上昇したのを機に、保有株をすべて売却して海外後発薬メーカーとの縁を断った。2015年3月期には約3600億円の合併差益を計上し、約4000億円のキャッシュを手にした。買収から7年近くを費やした新興国後発薬の戦線から、同社は正式に離脱した[5][6]

撤退は消極的な後退にとどまらず、事業構造の組み替えを伴っていた。中山社長は、グローバル後発薬と新薬の双方を続けるのは難しいと判断し、従来得意としてきた新薬に特化して勝負する結論に至った。オルメサルタンの穴は、抗凝固薬エドキサバンをはじめ国内で育ちつつある新薬群で埋める算段を立てた。サン・ファーマ株の売却で得た資金は成長のために使うと明言し、無駄な投資を避けて強い製品に絞る方針を鮮明にした。四つの事業へ手を広げた経営から、勝てる領域へ絞り込む経営への転換であった[7]

がん領域への集中という賭け

絞り込む先として中山社長が定めたのが、がん領域であった。2015年末、同社は「がんに強い会社」への転身を打ち出す。当時の第一三共はがんの薬を一つも扱っておらず、自社開発の経験もなかったため、宣言には投資家やメディアだけでなく社員でさえ半信半疑であったという。それでも、研究段階で成功も失敗も重ねた中から強みになりそうな技術に集中して育てる方針が取られ、社内で温めてきた抗体薬物複合体(ADC)の開発へ資源が寄せられていった[8][9]

結果

エンハーツによる反転

賭けは数年で形になった。がん領域への集中を決めてから、自社ADCの技術は英アストラゼネカや米メルクといった海外大手の目に留まり、複数の抗がん剤の共同開発へつながった。自社創製のADC「エンハーツ」は2020年に上市し、2024年3月期には売上1兆6000億円のうち約3割にあたる約4500億円を稼ぐ主力へ育った。生活習慣病薬に依存し、売上が1兆円前後で停滞していたジリ貧の会社が、がんに強い企業として海外大手も注目する存在へと姿を変えた[10]

選択と集中を決めた2015年3月期は、売上9193億円、営業利益744億円と、規模の面ではむしろ縮んでいた。当期利益3221億円もサン・ファーマ株売却益で嵩上げされた一過性の数字で、事業の実力を映すものではなかった。だが、後発薬という広げた棚を畳んで得た資金と時間を自前の新薬に注いだ判断が、5年後のエンハーツ上市へつながった。海外の市場を金で買う路線から、社内の技術を育てて世界へ出す路線への静かな組み替えが、この時期に起きていた[11][12]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2010年6月26日号「TOP INTERVIEW 第一三共次期社長 中山讓治 有力新薬を相次ぎ投入し国内ナンバーワン目指す」
  • 週刊東洋経済 2015年5月8日号「核心リポート05 インド問題終結でも第一三共に次なる試練」
  • 週刊東洋経済 2015年7月10日号「クスリ最前線 PART2 INTERVIEW もう一度新薬で勝負する 第一三共 社長兼CEO 中山讓治」
  • 週刊東洋経済 2020年12月19日号「製薬 大リストラ Part2 自社開発の大型新薬に期待 第一三共がん新薬で反転攻勢」
  • 週刊東洋経済 2024年10月5日号「製薬サバイバル Part2 第一三共 特大ヒット薬はたった4人のチームから生まれた」
  • 第一三共 有価証券報告書(2015年3月期・連結)

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