マネーフォワード初代サービス『マネーブック』を数か月で閉じ、家計簿・資産管理へ作り直す

米国で広まった「お金のSNS」は日本で使われるか——設立半年での方向転換

時期 2012年12月
意思決定者(推定) 辻庸介 社長
論点 初代プロダクトの撤収と事業の作り直し
概要
2012年5月に設立したマネーブック株式会社が、資産を知り合い限定で共有する初代プロダクトを数か月で閉じ、同年12月に商号を株式会社マネーフォワードへ改めて自動家計簿・資産管理サービスをリリースした判断。
背景
米国で浸透していた資産共有型の仕組みをそのまま持ち込んだが、日本では資産や家計の内訳を見せ合うことへの抵抗が強く、友人などを除けば50人も使わなかった。
内容
SNSとしての要素を取り除き、金融機関の残高と明細を自動で取得して自分の家計を見える化する機能に絞り直した。社名もサービス名に合わせて変更している。
含意
捨てたのは共有という売り方であり、金融機関へ自動接続して明細を分類する仕組みは残った。この仕組みは翌2013年のクラウド会計へ転用され、のちに売上の過半を占める法人向け事業の土台となる。
筆者の見解

閉じたのは技術ではなく、その売り方であった

この判断が示しているのは、撤退の速さそのものよりも、何を捨てて何を残すかの切り分けであった。『マネーブック』が売りにしていたのは資産を見せ合うつながりであり、使われなかったのはその部分に限られる。金融機関へ自動で接続して明細を取り、費目へ振り分けるという裏側の仕組みは、ほとんど使われないまま無傷で残っていた。辻氏が閉じたのは会社が作った技術ではなく、その技術に付けた売り方であったといえる。

設立から半年での作り直しであったから、失ったものは数か月ぶんの開発と、社名に選んだ言葉だけで済んだ。同じ判断を利用者500万人の段階で下していれば、こうはいかない。マネーフォワードは2025年11月期に売上高503億円まで届き、その大半をバックオフィス向けの法人事業が占める。会社の名は残り、名の由来となったサービスだけが最初に消えている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

「貯蓄から投資へ」の手前にある家計

マネーフォワードは、2012年5月に東京都新宿区高田馬場でマネーブック株式会社として設立された。創業者の辻庸介氏は1976年生まれで、2001年に京都大学農学部を卒業してソニーに入社し、父と同じ経理畑に配属されている。2004年に出資先のマネックス証券へ出向し、同社の留学制度第1号として米ペンシルベニア大学ウォートン校に学び、2011年にMBAを修了した。起業の動機について辻氏は、政府や金融機関が「貯蓄から投資へ」と唱えても日本人にとって投資までの隔たりは大きいと述べ、その手前にある家計の悩みを解こうとした。設立時の年齢は35歳であった[1][2]

事業の着想には、母方の祖父の影響があった。祖父はシャープの2代目社長を務めた佐伯旭氏で、辻氏は月に一度の親戚の集まりで祖父が配る手書きの経済リポートを聞いて育った。アジアの工場で働く従業員の写真を見せながら、貧しい地域に雇用を生むと感謝されると語る祖父の姿から、将来は社長になって雇用を生みたいという思いを抱いたという。父は化学メーカーの経理担当として従業員2万人を超える会社の役員まで務め、母は父の給料だけで家計をやり繰りした。おカネの扱いを身近に見て育った生い立ちが、家計を扱う事業の選択に重なっている[3]

米国の型をそのまま持ち込んだ第1号プロダクト

設立時に出したサービスは、家計簿ではなかった。自分の家計管理や資産運用を知り合い限定で共有し、そのつながりを広げていく『マネーブック』で、会社は「お金版Facebook」のようなサービスと説明している。自分の資産を公開すれば他の利用者の資産を匿名で閲覧できる仕組みで、米国で浸透していた形をそのまま国内へ持ち込んだ。会社の名も、このサービスの名から採られていた[4][5]

反応は乏しかった。日本では資産や家計の内訳を見せ合うことに抵抗があり、利用者は友人などを除けば50人に届かず、1日の利用者数は10人ほどにとどまる。辻氏はのちに、提供する側の思いだけが先に立ち、使う人の気持ちを考えられていなかったと振り返っている。作り手が便利だと信じた機能と、使い手が人に見せてよいと考える範囲とが、はじめから食い違っていた[6][7][8]

決断

2〜3か月で閉じる

辻氏はこの初代プロダクトを2〜3か月で閉じる決断をしている。設立からの投資を回収する前の撤収であり、社名に冠したサービスを自ら取り下げることでもあった。辻氏は後年、失敗には仮説の検証という側面があり、仮説が間違っていたと判断したら次の仮説検証に移ればよいと述べている。使われないという結果を、機能の改良で埋める課題としてではなく、前提そのものが違っていた証拠として扱った判断であった[9][10]

残したのは、共有ではなく把握のほうであった。『マネーブック』からSNSとしての要素を取り除き、自分のお金の情報を正しくつかむことへ機能を絞る。銀行や証券会社、カード会社の残高と明細を利用者に代わって取得し、支出を住居費や食費などへ自動で分類して家計簿を組み立てる。他人と比べるための道具から、自分の家計を見るための道具へ、同じ技術の向き先だけを変えている[11][12]

社名まで含めた作り直し

2012年12月、会社は商号を株式会社マネーフォワードへ変更し、同じ月にお金の見える化サービス『マネーフォワード』(現『マネーフォワード ME』)をリリースした。設立が同年5月であるから、方向転換に要した時間は半年ほどである。看板の掛け替えを含む作り直しを、資金も人も薄い設立初年度のうちに済ませた。設立初年度の2012年11月期は売上高の記載がなく、経常損失は803万円という規模にとどまる[13][14]

新しいサービスの中核となるアカウントアグリゲーション機能は自前で開発した。2013年時点の社員は10人ほどで、そのほとんどが金融機関やシステム会社のセキュリティ担当出身であり、アルバイトは雇っていない。利用者の名前や住所、取引に必要なパスワードは預からず、データはすべて暗号化して保管する設計をとった。他人のおカネの情報をまとめて預かる以上、信用の設計がそのまま事業の設計になる。共有機能を捨てたことで、預かる情報の範囲もひとりぶんへ収まった[15]

結果

利用者数の積み上がりと、転用された仕組み

作り直したサービスは利用者を集めた。個人向けサービスの利用者数は2016年2月に350万人、2017年4月に500万人を超え、家計簿アプリの利用シェアで首位に立つ。2021年時点では1200万人以上が使うサービスとなった。一方で会社の売上高は2013年11月期が355万円、2014年11月期が7613万円という水準にすぎず、無料で使える利用者を積み上げる期間が数年続いた[16][17][18]

効き目は、個人向けの外側にも及んだ。金融機関へ自動で接続して明細を取得し、費目へ振り分ける仕組みは、2013年11月にリリースした法人向けの『マネーフォワード For BUSINESS』(現『マネーフォワード クラウド会計・確定申告』)で仕訳の自動化に転用される。共有機能を捨てて残した部分が、のちに売上の過半を占める法人向け事業の土台になった。2022年10月には『マネーフォワード クラウド』の導入法人事業者数が10万社を超えている[19][20][21]

出典・参考

免責事項およびポリシー