全国保証民間金融機関の住宅ローン保証への参入と、公的融資保証からの主力転換

公的融資の外周にとどまるか、民間の住宅ローンへ出るか——系列に属さない立場を何に使うか

時期 1997年7月
意思決定者(推定) 全国保証 取締役会
論点 主力事業の置き場所
概要
1997年7月、全国保証が民間金融機関の住宅ローン保証業務を開始した経営判断。1981年の設立から16年、厚生年金転貸住宅融資や住宅供給公社といった公的融資制度に付随する保証を業務の中心としてきた会社が、競争のある民間住宅ローンの保証へ主力を移した。
背景
1994年度の住宅ローン新規貸出額は公庫が44.6%を占めていたが、1990年代半ばから国内銀行が公庫を上回る年が現れた。民間金融機関が住宅ローンを増やす一方、系列の保証会社を持たない信用金庫・信用組合・農協には外部の保証会社を求める需要があった。
内容
どの金融機関グループにも属さない独立系という立場を、業態を越えて幅広い金融機関と並列に保証基本契約を結ぶ営業に使った。保証料は保証開始時に原則一括で受け取り、保証期間に応じて収益計上する。連帯保証人の役割を代替する対価として受け取る仕組みである。
含意
保証債務残高は1998年5月に1兆円、2007年3月に5兆円へ伸び、2012年3月末には7兆6,371億円に達した。うち民間金融機関の住宅ローン保証が7兆3,254億円を占め、業態別では信用金庫が4兆6,146億円と銀行の1兆7,030億円を上回った。
筆者の見解

系列に属さないという一点

1997年7月に民間へ出た時点で、この会社が売り物にできたものは多くない。設立から16年の実績は公的融資制度に付随する保証に限られ、資本金は5,000万円のまま、支店も大阪・横浜・札幌を数えるだけであった。持っていたのは、どの金融機関グループにも属していないという一点である。系列保証会社を抱える銀行から見れば競合でも、受け皿を持たない信用金庫や信用組合、農協から見れば、業態を越えて同じ条件で組める相手であった。2012年3月末の残高で信用金庫の4兆6,146億円が銀行の1兆7,030億円を上回っていた事実は、参入時に手を伸ばした先がどこであったかを示している。

とはいえ、公庫の後退を読み切ったうえでの参入であったとまでは言いにくい。1997年度の新規貸出額でも公庫はなお33.5%を占めており、2.2%まで落ちるのは8年後の2005年度である。参入の時点で見えていたのは、民間金融機関の比率が上がってきたという事実までであったとみられる。加えて、残高の積み上がりは将来の代位弁済の積み上がりでもあった。2012年3月期には188億円を代位弁済し、回収できたのは109億円にとどまる。先に受け取った保証料を後から取り崩す商売である以上、この事業の成否は参入の判断ではなく、その後15年の審査と債権管理の積み重ねで決まったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

公的融資制度の外周で過ごした16年

全国保証は1981年2月、東京都千代田区大手町に、厚生年金転貸住宅資金融資制度の信用保証を目的とする会社として設立された。資本金は5,000万円である。同年4月に厚生年金転貸住宅融資の保証を始め、1992年12月に横浜市住宅供給公社、1994年12月に住宅供給公社の保証へ広げた。手がけていたのは、いずれも公的な融資制度に付随する保証であった[1]

公的融資の周辺にいることは、当時の住宅金融の本流の近くにいることでもあった。1994年度の住宅ローン新規貸出額14兆6,898億円のうち、住宅金融公庫が44.6%を占め、国内銀行の32.8%を上回っていた。個人が家を買うときにまず頼る資金は公庫であり、その制度の外側で保証を引き受ける仕事には、営業をかけずとも一定の量が回ってきていた[2]

民間へ移りはじめた住宅ローン

その構図は1990年代半ばに崩れ始めた。1995年度には国内銀行が48.6%を占めて公庫の29.6%を上回り、1996年度は銀行41.3%と公庫37.1%、1997年度は銀行44.5%と公庫33.5%となった。年度ごとの振れは大きいものの、住宅資金の出し手が公的機関から民間金融機関へ移りつつあることは、この時期の数字にすでに表れていた[3]

民間へ移った資金には、公的融資にはなかった仕事が付いてきた。住宅ローンは返済期間が20年から30年に及び、借入額も他の個人ローンより大きい。連帯保証人を立てさせれば負担が重すぎるため、金融機関は保証会社に連帯保証人の役割を求める。系列の保証会社を持つ銀行はよいが、信用金庫や信用組合、農協にはその受け皿がなく、外部の保証機関を探す必要があった[4]

決断

1997年7月、民間住宅ローンへ

1997年7月、全国保証は民間金融機関の住宅ローン保証業務を開始した。設立から16年、公的融資制度に付随する保証で食べてきた会社が、金融機関ごとに条件を競う市場へ出た判断である。翌1998年5月には保証債務残高が1兆円に達し、参入からの1年足らずで、それまで16年かけて積んだ公的保証とは桁の違う量が動き始めた[5]

参入に際して持ち出せる材料は、商品でも資本の厚みでもなく、どの系列にも属していないという一点であった。会社は自らを、特定の金融機関や業界の制限を受けない独立系の保証会社と説明している。系列に属さないため特定金融機関の経営リスクや狭い地域経済圏の影響を受けにくく、保証リスクを分散できるという理屈が、業態を越えて契約を並べる営業の裏づけとなった[6][7]

保証料を先に受け取り、代位弁済を後で払う

引き受けた商売の形はこうである。住宅ローンを借りる人は提携金融機関を通じて保証を申し込み、全国保証は属性情報と担保物件を審査して連帯保証を引き受ける。保証料は保証期間に対応する分を保証開始時に原則一括で受け取り、期間に応じて収益に計上する。受け取った保証料は将来の代位弁済に備え、預貯金や国債など低リスクの商品で運用した[8]

対価を先に受け取る代わりに、支払いは後から来る。借入人が返済不能に陥れば、全国保証は保証基本契約に基づいて金融機関へ代位弁済し、求償債権を取得して借入人に請求する。履行の原因は債務履行遅滞が6か月以上に及んだ場合などと定められていた。残高が積み上がるほど将来の代位弁済も積み上がる構造で、審査と債権の管理が損益を左右した[9]

結果

残高の積み上がりと、その内訳

残高は段を上がるように増えた。1998年5月の1兆円のあと、2003年3月に2兆円、2004年9月に3兆円、2005年9月に4兆円、2007年3月に5兆円へ達した。2012年3月末の保証債務残高は7兆6,371億円、保有契約件数は49万4,573件である。1997年に始めた民間金融機関向けの保証が、このうち7兆4,116億円を占めていた[10]

内訳を見ると、参入時に狙った層がどこであったかが分かる。2012年3月末の民間金融機関住宅ローン保証7兆3,254億円のうち、信用金庫が4兆6,146億円と最も大きく、銀行は1兆7,030億円、農協系が6,183億円、信用組合が3,664億円である。系列の保証会社を持たない業態が、残高の主要な部分を占めていた。他方、公的機関向けの保証は2,210億円まで減り、新規の受付は止まっていた[11]

公的融資のその後と、負った費用

参入の後、公的融資の後退はさらに進んだ。住宅ローン新規貸出額に占める公庫の割合は2001年度に23.8%、2005年度には2.2%まで下がる。住宅金融公庫は2007年4月1日に廃止され、民間金融機関の長期固定ローンを買い取って証券化する支援を柱とする住宅金融支援機構が発足した。公的融資保証の専業にとどまっていた場合の姿は、公的機関向け残高の推移が示している[12][13]

積み上がったのは残高だけではない。2012年3月期の代位弁済金額は188億円、求償債権の回収金額は109億円で、3か月以上の延滞金額は244億円あった。保証料を先に受け取る商売は、引き受けた住宅ローンが返せなくなる分だけ後から支払いを求められる。参入によって得た成長は、この費用を管理しきれる範囲でのみ利益になる性質を持っていた[14]

出典・参考

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