1997年7月に民間へ出た時点で、この会社が売り物にできたものは多くない。設立から16年の実績は公的融資制度に付随する保証に限られ、資本金は5,000万円のまま、支店も大阪・横浜・札幌を数えるだけであった。持っていたのは、どの金融機関グループにも属していないという一点である。系列保証会社を抱える銀行から見れば競合でも、引受先を持たない信用金庫や信用組合、農協から見れば、業態を越えて同じ条件で組める相手であった。2012年3月末の残高で信用金庫の4兆6,146億円が銀行の1兆7,030億円を上回っていた事実は、参入時に手を伸ばした先がどこであったかを示している。
とはいえ、公庫の後退を読み切ったうえでの参入であったとまでは言いにくい。1997年度の新規貸出額でも公庫はなお33.5%を占めており、2.2%まで低下するのは8年後の2005年度である。参入の時点で見えていたのは、民間金融機関の比率が上がってきたという事実までであったのだろう。加えて、残高の積み上がりは将来の代位弁済の積み上がりでもあった。2012年3月期には188億円を代位弁済し、回収できたのは109億円にとどまる。先に受け取った保証料を後から取り崩す商売である以上、この事業の成否は参入の判断ではなく、その後15年の審査と債権管理の積み重ねで決まったといえる。