決断
生糸の出荷に資金を供給することで成長した銀行である。創立期の2行は資金量が少なく、製糸への融資は購繭資金の貸付ではなく生糸荷為替の取組が主体だった。第十九国立銀行は1881年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設し、製糸家への原料資金の貸出がやや本格化したのは明治20年代である。1890年の金融梗塞では、黒沢鷹次郎頭取が横浜の生糸商が引き受けた為替手形を買い取り、日本銀行に再割引を依頼する方式を考案した。1897年には2行とも国立銀行の営業満期を待たずに株式会社へ転じ、製糸金融を続けた。
生糸の出荷に資金を供給することで成長した銀行である。創立期の2行は資金量が少なく、製糸への融資は購繭資金の貸付ではなく生糸荷為替の取組が主体だった。第十九国立銀行は1881年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設し、製糸家への原料資金の貸出がやや本格化したのは明治20年代である。1890年の金融梗塞では、黒沢鷹次郎頭取が横浜の生糸商が引き受けた為替手形を買い取り、日本銀行に再割引を依頼する方式を考案した。1897年には2行とも国立銀行の営業満期を待たずに株式会社へ転じ、製糸金融を続けた。
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