八十二長野銀行:第十九国立銀行と第六十三国立銀行の設立
1877年〜上田の第十九国立銀行と、松代の第六十三国立銀行
第十九国立銀行は1877年10月、早川重右衛門氏ら10名を発起人として設立し、本店を上田町に置いた。県内では同年7月に松本の商人が第十四国立銀行を設立しており、第十九国立銀行はこれに続いた。発起人の母体は、佐久の地主の早川重右衛門氏や生糸商の黒沢鷹次郎氏らが1876年6月に長野町で結成した彰真社である。結成の契機は、1874年11月に県の為替方だった小野組が倒産し、製糸業者と生糸商が資金の調達先を失ったこと。上田町は1857年に藩が産物会所を設けて以降、生糸を横浜へ出荷する東信の集散地で、株主も佐久の地主と商人が主体だった。この第十九国立銀行が、1931年8月に六十三銀行と合併して八十二銀行となる第十九銀行の源流である。
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「国立銀行の創立と経緯」
- [1]第十九国立銀行は明治10年10月、彰真社社員の早川重右衛門ら10名が発起し上田町に本店を置き設立。第十四国立銀行(松本)は明治10年7月設立で県下最初
- [2]第十九国立銀行は明治10年10月、彰真社社員の早川重右衛門ら10名が発起し上田町に本店を置き設立。第十四国立銀行(松本)は明治10年7月設立で県下最初
- [5]上田町は安政4年に藩が産物会所を設けて以来生糸を横浜へ出荷する東信の中心地。第十九国立銀行の株主のうち士族は29名・163株(8.2%)で、佐久の地主・商人が主体。営業は生糸荷為替が中心
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「明治初期の県下金融機関」
- [3]小野組は明治7年11月倒産。製糸業者・生糸商が金融の便を失い、早川重右衛門(地主)・黒沢鷹次郎(地主・生糸商)らが明治9年6月長野町に彰真社を設立し県為替方を担当
- [4]小野組は明治7年11月倒産。製糸業者・生糸商が金融の便を失い、早川重右衛門(地主)・黒沢鷹次郎(地主・生糸商)らが明治9年6月長野町に彰真社を設立し県為替方を担当
- 会社銀行八十年史 1955「八十二銀行」
- [6]第十九銀行(明治10年11月創立)と六十三銀行(明治11年10月創立)が昭和6年8月に合併し八十二銀行を設立
第六十三国立銀行は1878年10月、真田家10万石の城下町で士族の多い松代町に設立した。廃藩後の松代では、士族の授産として蚕糸業の振興が一層求められた。士族の大里忠一郎氏らの六工社は小野組の援助で1874年8月に繰糸を始め、3か月足らずで小野組の破綻に遭い資金難に陥った。これを受けて吉池文之助氏と士族の八田知道氏ら8名が発起人となり、初代頭取には吉池文之助氏が就任し、士族からも2名が役員に加わった。株主数の94%を士族が占め、設立の経緯から六工社をはじめ製糸工場へ積極的に融資した。こうして県内には、のちに合併して八十二銀行となる2行の前身が東信と北信に並んだ。
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「国立銀行の創立と経緯」
- [7]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- [8]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- [9]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- [10]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- [11]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- 会社銀行八十年史 1955「八十二銀行」
- [12]長野県下の二大銀行である第十九銀行と六十三銀行(明治11年10月創立)が昭和6年8月に合併し八十二銀行を設立
参考文献[1]-[12]
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「国立銀行の創立と経緯」
- [1]第十九国立銀行は明治10年10月、彰真社社員の早川重右衛門ら10名が発起し上田町に本店を置き設立。第十四国立銀行(松本)は明治10年7月設立で県下最初
- [2]第十九国立銀行は明治10年10月、彰真社社員の早川重右衛門ら10名が発起し上田町に本店を置き設立。第十四国立銀行(松本)は明治10年7月設立で県下最初
- [5]上田町は安政4年に藩が産物会所を設けて以来生糸を横浜へ出荷する東信の中心地。第十九国立銀行の株主のうち士族は29名・163株(8.2%)で、佐久の地主・商人が主体。営業は生糸荷為替が中心
- [7]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- [8]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- [9]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- [10]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- [11]第六十三国立銀行は明治11年10月松代町に設立。六工社(士族大里忠一郎ら創設)が小野組の援助で明治7年8月に繰糸開始、3か月足らずで小野組破綻により資金難。吉池文之助・八田知道ら8名が発起、初代頭取吉池文之助、士族から役員2名、株主数の94%が士族、六工社など製糸工場へ融資
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「明治初期の県下金融機関」
- [3]小野組は明治7年11月倒産。製糸業者・生糸商が金融の便を失い、早川重右衛門(地主)・黒沢鷹次郎(地主・生糸商)らが明治9年6月長野町に彰真社を設立し県為替方を担当
- [4]小野組は明治7年11月倒産。製糸業者・生糸商が金融の便を失い、早川重右衛門(地主)・黒沢鷹次郎(地主・生糸商)らが明治9年6月長野町に彰真社を設立し県為替方を担当
- 会社銀行八十年史 1955「八十二銀行」
- [6]第十九銀行(明治10年11月創立)と六十三銀行(明治11年10月創立)が昭和6年8月に合併し八十二銀行を設立
- [12]長野県下の二大銀行である第十九銀行と六十三銀行(明治11年10月創立)が昭和6年8月に合併し八十二銀行を設立
1879年〜生糸荷為替と、株式会社第十九銀行・六十三銀行
創立期の2行が製糸に資金を供給した主な手段は、購繭資金の貸付でなく生糸荷為替の取組だった。第十九国立銀行は地元生糸問屋の荷為替を最大の融資対象とし、1881年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設した。製糸家への原料資金の貸出がやや本格化したのは、取引条件が改善した明治20年代である。繭は6月から10月初旬の約4か月に現金で一括して仕入れるため、製糸金融に求められたのは、短期に巨額の季節資金。1890年の金融梗塞では、黒沢鷹次郎頭取が問屋引受の為替手形を買い取り、日本銀行に再割引を依頼する方式を考案した。季節の購繭資金の貸出は、1955年時点でも八十二銀行の貸出の特徴として挙げられた。
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「県下銀行の製糸金融」
- [13]県下銀行は設立早々で資金量が少なく、第六十三国立銀行の六工社向け貸出を除き生糸荷為替が製糸関係融資の主体。第十九国立銀行も地元生糸問屋の荷為替が最大の融資対象で、明治14年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設。原料購入資金の本格放出は明治20年代から
- [14]県下銀行は設立早々で資金量が少なく、第六十三国立銀行の六工社向け貸出を除き生糸荷為替が製糸関係融資の主体。第十九国立銀行も地元生糸問屋の荷為替が最大の融資対象で、明治14年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設。原料購入資金の本格放出は明治20年代から
- [15]県下銀行は設立早々で資金量が少なく、第六十三国立銀行の六工社向け貸出を除き生糸荷為替が製糸関係融資の主体。第十九国立銀行も地元生糸問屋の荷為替が最大の融資対象で、明治14年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設。原料購入資金の本格放出は明治20年代から
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「製糸金融の特異性」
- [16]製糸資金は原料繭の購入資金で典型的な季節資金。生繭は6月から10月初旬の約4か月間に現金取引で年間所要分を買い入れる
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「問屋引受手形の考案」
- [17]明治23年の金融梗塞時、黒沢頭取が片倉兼太郎(開明社)に横浜の生糸商小野商店引受の為替手形を振り出させて買い取り、日本銀行に再割引を依頼。問屋引受手形の嚆矢とされる
- 会社銀行八十年史 1955「八十二銀行」
- [18]八十二銀行は養蚕製糸の生産県に立脚し、貸出は季節的な購繭資金の融資のほか特産工業の中小企業融資に積極的(1955年時点)
国立銀行の営業満期を開業許可から満20年と定めたのは、1883年の国立銀行条例改正である。1896年には満期前特別処分法なども公布され、満期前の私立銀行への移行が大勢となった。第十九国立銀行の営業期限は1897年10月9日で、1896年11月1日の臨時株主総会で私立銀行として営業を続けることを決めた。1897年3月1日に株式会社第十九銀行として発足し、資本金を20万円から60万円に増やして4月1日に岡谷支店を開設した。第六十三国立銀行は存立期限の1898年10月27日を待たず、1897年7月1日に株式会社六十三銀行へ移った。1931年8月、2行は合併比率1対0.75で合併し、株式会社八十二銀行を設立。紙幣発行の特権を失った2行は、製糸地への融資を収益の中心に据えて次の時代に臨んだと推察される。
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「私立銀行として営業継続」
- [19]明治16年の条例改正で国立銀行は開業許可から満20年で満期、紙幣償却を義務付け。明治29年に満期前特別処分法など公布。第十九国立銀行は営業期限明治30年10月9日、29年11月1日臨時総会で私立銀行として営業継続を決議、30年3月1日株式会社第十九銀行として発足し資本金20万円を60万円に増資。30年4月1日岡谷支店開設
- [20]明治16年の条例改正で国立銀行は開業許可から満20年で満期、紙幣償却を義務付け。明治29年に満期前特別処分法など公布。第十九国立銀行は営業期限明治30年10月9日、29年11月1日臨時総会で私立銀行として営業継続を決議、30年3月1日株式会社第十九銀行として発足し資本金20万円を60万円に増資。30年4月1日岡谷支店開設
- [21]明治16年の条例改正で国立銀行は開業許可から満20年で満期、紙幣償却を義務付け。明治29年に満期前特別処分法など公布。第十九国立銀行は営業期限明治30年10月9日、29年11月1日臨時総会で私立銀行として営業継続を決議、30年3月1日株式会社第十九銀行として発足し資本金20万円を60万円に増資。30年4月1日岡谷支店開設
- [22]明治16年の条例改正で国立銀行は開業許可から満20年で満期、紙幣償却を義務付け。明治29年に満期前特別処分法など公布。第十九国立銀行は営業期限明治30年10月9日、29年11月1日臨時総会で私立銀行として営業継続を決議、30年3月1日株式会社第十九銀行として発足し資本金20万円を60万円に増資。30年4月1日岡谷支店開設
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「私立銀行への衣更え」
- [23]第六十三国立銀行の存立期限は明治31年10月27日。満期前特別処分法に基づき明治30年7月1日から株式会社六十三銀行として営業継続、資本金20万円
- 証券 23(10) 1971
- [24]昭和6年8月1日、株式会社第十九銀行と株式会社六十三銀行が合併し株式会社八十二銀行を設立(合併比率1:0.75)
参考文献[13]-[24]
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「県下銀行の製糸金融」
- [13]県下銀行は設立早々で資金量が少なく、第六十三国立銀行の六工社向け貸出を除き生糸荷為替が製糸関係融資の主体。第十九国立銀行も地元生糸問屋の荷為替が最大の融資対象で、明治14年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設。原料購入資金の本格放出は明治20年代から
- [14]県下銀行は設立早々で資金量が少なく、第六十三国立銀行の六工社向け貸出を除き生糸荷為替が製糸関係融資の主体。第十九国立銀行も地元生糸問屋の荷為替が最大の融資対象で、明治14年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設。原料購入資金の本格放出は明治20年代から
- [15]県下銀行は設立早々で資金量が少なく、第六十三国立銀行の六工社向け貸出を除き生糸荷為替が製糸関係融資の主体。第十九国立銀行も地元生糸問屋の荷為替が最大の融資対象で、明治14年8月に諏訪地方へ季節出張所を開設。原料購入資金の本格放出は明治20年代から
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「製糸金融の特異性」
- [16]製糸資金は原料繭の購入資金で典型的な季節資金。生繭は6月から10月初旬の約4か月間に現金取引で年間所要分を買い入れる
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「問屋引受手形の考案」
- [17]明治23年の金融梗塞時、黒沢頭取が片倉兼太郎(開明社)に横浜の生糸商小野商店引受の為替手形を振り出させて買い取り、日本銀行に再割引を依頼。問屋引受手形の嚆矢とされる
- 会社銀行八十年史 1955「八十二銀行」
- [18]八十二銀行は養蚕製糸の生産県に立脚し、貸出は季節的な購繭資金の融資のほか特産工業の中小企業融資に積極的(1955年時点)
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「私立銀行として営業継続」
- [19]明治16年の条例改正で国立銀行は開業許可から満20年で満期、紙幣償却を義務付け。明治29年に満期前特別処分法など公布。第十九国立銀行は営業期限明治30年10月9日、29年11月1日臨時総会で私立銀行として営業継続を決議、30年3月1日株式会社第十九銀行として発足し資本金20万円を60万円に増資。30年4月1日岡谷支店開設
- [20]明治16年の条例改正で国立銀行は開業許可から満20年で満期、紙幣償却を義務付け。明治29年に満期前特別処分法など公布。第十九国立銀行は営業期限明治30年10月9日、29年11月1日臨時総会で私立銀行として営業継続を決議、30年3月1日株式会社第十九銀行として発足し資本金20万円を60万円に増資。30年4月1日岡谷支店開設
- [21]明治16年の条例改正で国立銀行は開業許可から満20年で満期、紙幣償却を義務付け。明治29年に満期前特別処分法など公布。第十九国立銀行は営業期限明治30年10月9日、29年11月1日臨時総会で私立銀行として営業継続を決議、30年3月1日株式会社第十九銀行として発足し資本金20万円を60万円に増資。30年4月1日岡谷支店開設
- [22]明治16年の条例改正で国立銀行は開業許可から満20年で満期、紙幣償却を義務付け。明治29年に満期前特別処分法など公布。第十九国立銀行は営業期限明治30年10月9日、29年11月1日臨時総会で私立銀行として営業継続を決議、30年3月1日株式会社第十九銀行として発足し資本金20万円を60万円に増資。30年4月1日岡谷支店開設
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「私立銀行への衣更え」
- [23]第六十三国立銀行の存立期限は明治31年10月27日。満期前特別処分法に基づき明治30年7月1日から株式会社六十三銀行として営業継続、資本金20万円
- 証券 23(10) 1971
- [24]昭和6年8月1日、株式会社第十九銀行と株式会社六十三銀行が合併し株式会社八十二銀行を設立(合併比率1:0.75)
出典・参考
9件
- 会社銀行八十年史 1955「八十二銀行」
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「国立銀行の創立と経緯」
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「明治初期の県下金融機関」
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「県下銀行の製糸金融」
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「製糸金融の特異性」
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「問屋引受手形の考案」
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「私立銀行として営業継続」
- 八十二銀行『八十二銀行史』1968年「私立銀行への衣更え」
- 証券 23(10) 1971