決断
士族の救済から始め、港の商業金融へ本店ごと移って残った銀行である。1876年の国立銀行条例改正で金禄公債を紙幣発行の抵当にできるようになり、県の士族総代は毛利家と協議して銀行を興した。しかし山口だけを拠点にすれば官公金に依存する士族救済の融資に追われると経営陣はみた。そこで1879年9月に赤間関支店を開設し、1880年1月11日の株主総会で本店の赤間関への移転を決議した。1898年には営業満期に際して発券から離れ、普通銀行の百十銀行へ改組する。1901年の筑豊の炭鉱不況も毛利家の支援で乗り切り、百十銀行は1944年の5行合併で山口銀行の核となった。