第1章 年〜年

山口フィナンシャルグループ:第百十国立銀行の設立と普通銀行の百十銀行への改組

1878年〜山口で興した第百十国立銀行と、赤間関へ移転した本店・20年満期で転じた百十銀行

第百十国立銀行は1878年11月25日に設立の免許を受け、翌1879年3月10日に山口米屋町で開業した。発足時の資本金は60万円、紙幣発行高は46万4000円で、全国の国立銀行で上位5行に入る規模。出資者は山口県の士族に限られ、初代頭取には士族就産所の頭取を務めた毛利藤内氏が就任した。1876年の国立銀行条例改正で金禄公債証書を紙幣発行の抵当にできるようになり、県の士族総代は旧藩主の毛利家と協議して銀行の設立を決めた。山口フィナンシャルグループは、1878年に創業したこの銀行をグループの源流に位置づけている。生計の道を失った士族の家産を守る策と、県内の殖産興業に資金を供給する策を、一つの銀行に兼ねさせた設計だったとみられる。

  • 山口銀行『目でみるやまぎん100年のあゆみ』1978年「前史・創業(第百十国立銀行の時代)」
    • [1]1878年11月25日 第百十国立銀行設立免許、1879年3月10日 山口米屋町で開業
    • [2]発足時資本金60万円・紙幣発行高46万4000円、全国の国立銀行で5指に入る規模
    • [3]出資者は全員山口県士族。初代頭取は士族就産所頭取の毛利藤内
    • [4]1876年の国立銀行条例改正で金禄公債を紙幣発行の抵当にできるようになり、士族総代が毛利家と相談して設立
  • 山口フィナンシャルグループ『統合報告書 2022』経営方針「YMFGのあゆみ」
    • [5]1878年 第百十国立銀行を創業、山口銀行の前身でYMFGの源流

第百十国立銀行は1880年、本店を山口から赤間関(現・下関市)へ移し、旧本店を山口支店とした。開業から半年後の1879年9月10日には赤間関に支店を開設しており、大蔵卿あての設置願は北国や九州の商船が集まる地であることを理由に挙げた。山口は旧藩以来の政治の中心で士族も多く住んだ一方、交通の未整備な当時の経済から見れば山間の町にとどまった。経営陣は、山口だけを拠点にすれば官公金に依存した士族救済の融資に追われ、国立銀行の趣旨に合わないと判断した。1880年1月11日の株主総会で、赤間関への本店の移転を決議。預金と為替の需要が集まる海峡の商港に本店を置き、融資の主な先を士族救済から商業金融へ移す狙いがあったと推察される。

  • 山口銀行『目でみるやまぎん100年のあゆみ』1978年「前史・創業(第百十国立銀行の時代)」
    • [6]明治13年(1880年)本店を赤間関に移転し旧本店を山口支店とする
  • 山口銀行『山口銀行史』1968年「第百十国立銀行」店舗(赤間関支店の開設・本店の移転)
    • [7]1879年6月10日に赤間関支店の設置を出願(北国・九州の商船が輻湊する地)、9月10日に赤間関町城ノ腰に開設
    • [8]山口は政治の中心だが交通未開の山間地で、官公金に依存した士族救済融資は国立銀行の趣旨に合わず、1880年1月11日の株主総会で赤間関への本店移転を決議
    • [9]山口は政治の中心だが交通未開の山間地で、官公金に依存した士族救済融資は国立銀行の趣旨に合わず、1880年1月11日の株主総会で赤間関への本店移転を決議
    • [10]山口は政治の中心だが交通未開の山間地で、官公金に依存した士族救済融資は国立銀行の趣旨に合わず、1880年1月11日の株主総会で赤間関への本店移転を決議

第百十国立銀行は1898年11月25日、国立銀行条例が定めた営業年限の満期を迎え、株式会社百十銀行に改組した。発券の権限は日本銀行の開業で失われており、発行済みの紙幣は日本銀行との約定にもとづいて毎年順に消却された。改組の前後の山口県では山陽鉄道の建設と日清戦争後の好況で銀行の設立が相次ぎ、1902年には県内に本店を置く普通銀行と貯蓄銀行が26行。資本金60万円で県内の他行を大きく上回った百十銀行も、1901年には筑豊の炭鉱不況の影響を受け、毛利家の支援で立て直した。百十銀行は1944年3月31日、宇部・華浦・大島・船城の4行と合併して発足した山口銀行の核となった。発券から預金と貸出に軸を移した普通銀行への転換が、昭和の銀行合同で県内の中心に立つ素地をつくったのだろう。

  • 山口銀行『目でみるやまぎん100年のあゆみ』1978年「前史・創業(第百十国立銀行の時代)」
    • [11]1898年11月25日 営業満期により株式会社百十銀行に改組
    • [12]日本銀行の誕生で国立銀行の紙幣発行権がなくなり、発行済紙幣は日本銀行との約定で毎年消却
    • [13]山陽鉄道建設と日清戦争後の好況で銀行設立が進み、1902年に県内本店の普通・貯蓄銀行26行
    • [14]資本金60万円で群を抜いた百十銀行も1901年の筑豊炭鉱不況の影響を受け、毛利家の支援で乗り切る
  • 証券 39(1)(454) 1987年(新規上場会社紹介)1.沿革
    • [15]1944年3月31日、第百十国立銀行を前身とする百十銀行を核に宇部・華浦・大島・船城の5行合併で山口銀行設立
参考文献[1]-[15]
  • 山口銀行『目でみるやまぎん100年のあゆみ』1978年「前史・創業(第百十国立銀行の時代)」
    • [1]1878年11月25日 第百十国立銀行設立免許、1879年3月10日 山口米屋町で開業
    • [2]発足時資本金60万円・紙幣発行高46万4000円、全国の国立銀行で5指に入る規模
    • [3]出資者は全員山口県士族。初代頭取は士族就産所頭取の毛利藤内
    • [4]1876年の国立銀行条例改正で金禄公債を紙幣発行の抵当にできるようになり、士族総代が毛利家と相談して設立
    • [6]明治13年(1880年)本店を赤間関に移転し旧本店を山口支店とする
    • [11]1898年11月25日 営業満期により株式会社百十銀行に改組
    • [12]日本銀行の誕生で国立銀行の紙幣発行権がなくなり、発行済紙幣は日本銀行との約定で毎年消却
    • [13]山陽鉄道建設と日清戦争後の好況で銀行設立が進み、1902年に県内本店の普通・貯蓄銀行26行
    • [14]資本金60万円で群を抜いた百十銀行も1901年の筑豊炭鉱不況の影響を受け、毛利家の支援で乗り切る
  • 山口フィナンシャルグループ『統合報告書 2022』経営方針「YMFGのあゆみ」
    • [5]1878年 第百十国立銀行を創業、山口銀行の前身でYMFGの源流
  • 山口銀行『山口銀行史』1968年「第百十国立銀行」店舗(赤間関支店の開設・本店の移転)
    • [7]1879年6月10日に赤間関支店の設置を出願(北国・九州の商船が輻湊する地)、9月10日に赤間関町城ノ腰に開設
    • [8]山口は政治の中心だが交通未開の山間地で、官公金に依存した士族救済融資は国立銀行の趣旨に合わず、1880年1月11日の株主総会で赤間関への本店移転を決議
    • [9]山口は政治の中心だが交通未開の山間地で、官公金に依存した士族救済融資は国立銀行の趣旨に合わず、1880年1月11日の株主総会で赤間関への本店移転を決議
    • [10]山口は政治の中心だが交通未開の山間地で、官公金に依存した士族救済融資は国立銀行の趣旨に合わず、1880年1月11日の株主総会で赤間関への本店移転を決議
  • 証券 39(1)(454) 1987年(新規上場会社紹介)1.沿革
    • [15]1944年3月31日、第百十国立銀行を前身とする百十銀行を核に宇部・華浦・大島・船城の5行合併で山口銀行設立

出典・参考

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出典・参考
  • 山口フィナンシャルグループ『統合報告書 2022』経営方針「YMFGのあゆみ」
  • 山口銀行『目でみるやまぎん100年のあゆみ』1978年「前史・創業(第百十国立銀行の時代)」
  • 山口銀行『山口銀行史』1968年「第百十国立銀行」店舗(赤間関支店の開設・本店の移転)
  • 証券 39(1)(454) 1987年(新規上場会社紹介)1.沿革

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