日本取引所グループ の歴史

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創業 1878年
母体 東京証券取引所グループ+大阪証券取引所
創業地 東京
創業
1878年5月、東京株式取引所が設立免許を取得し、翌6月に大阪株式取引所も免許を受けた。両者は近代日本の資本市場の出発点として別々に歩み、戦時の証券市場統制を経て、1949年4月に会員組織の東京証券取引所・大阪証券取引所として再設立された。同年5月に株券の売買が再開され、1961年10月に市場第二部、1969年7月に東京証券取引所株価指数の算出が始まった。2001年4月に大阪証券取引所、同年11月に東京証券取引所が会員組織から株式会社へ組織変更し、2007年8月には単独株式移転で東京証券取引所グループを設立した。2013年1月の合併で商号は日本取引所グループへ改まり、法的な存続会社は大阪証券取引所である。
決断
東西の並走を、片方を閉じるのではなく機能を分けて終わらせた。2011年11月、東京証券取引所グループと大阪証券取引所の経営統合が発表された。2012年8月の公開買付けで東京証券取引所グループが大阪証券取引所株式の66.7%を取得し、2013年1月の合併で日本取引所グループが発足して、同日に東証一部へ上場している。同年7月には大証の現物市場・清算機能・自主規制機能を東証側へ移し、2014年3月に東証のデリバティブ市場を大阪へ集約して、大証は大阪取引所へ商号を改めた。2019年10月には東京商品取引所株式の97.15%を公開買付けで取得し、翌2020年7月に貴金属先物などを大阪取引所へ移して、証券・デリバティブ・商品を一つの清算機関の下へ集約した。
現況
取引の手数料だけでは、収益の4割にしか届かない。2025年3月期の営業収益1,622億円のうち、現物とデリバティブの取引料などの取引関連収益は645億円で、清算関連収益344億円、上場関連収益173億円、情報関連収益319億円、その他140億円が続く。指数ライセンスとデータ販売を含む情報関連収益は、2022年4月に発足したJPX総研と、2023年2月に完全子会社化したSCRIPTS Asiaが担う。翌2026年3月期は収益計1,991億円・営業利益1,163億円・親会社の所有者に帰属する当期利益791億円といずれも最高を更新し、連結従業員1,268名で1人あたり9,100万円の営業利益を計上した。
競合
取引所が競う相手は、もはや国内の別の取引所ではない。1999年11月に東証がマザーズを開設し、翌2000年5月には大証がナスダック・ジャパン市場(2002年12月にヘラクレスへ改称)を開設して、新興市場は東西で並び立った。2008年12月に大証がジャスダック証券取引所を公開買付けで子会社化したことで、この競争は国内で決着している。現在の相手は取引所の外にあり、2007年8月に私設取引所へ参入したSBIホールディングスは、株式の夜間取引から大阪デジタルエクスチェンジまで私設の取引の場を広げた。注文の執行だけなら私設取引でも代替できるが、上場の維持基準と指数の算出は取引所しか出せない。2022年4月に旧東証1部を解体してプライム・スタンダード・グロースの3区分へ改めたことが、代替できない側の商品を作り直した。
日本取引所グループ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

設立ストーリー 1878年の免許から電子取引所への転換まで (1878年〜)

2つの取引所が並行して走った120年

1878年5月、東京株式取引所が設立免許を取得し[1]、翌6月に大阪株式取引所も同じく免許を受けた[2]。両取引所は近代日本の資本市場の出発点として別々に歩み、戦時中の証券市場統制を経たのち、1949年4月に会員組織の東京証券取引所・大阪証券取引所[3]として再設立された。同年5月に株券売買が再開され[4]、1956年4月に債券市場、1961年10月に市場第二部制度を導入[5]した。続いて1966年10月に国債市場、1970年5月に転換社債市場[6]、1973年12月に外国株市場を東京証券取引所が立ち上げた。株券にとどまらない取扱商品が、戦後復興期から高度成長期にかけて整った。証券取引所は売買インフラの中立性が信用の源泉となる業態であり、商品の幅が広がるほど運営の安定性と資金調達機能の厚みは増す。発行体と投資家の双方を国内取引所のなかにつなぎ留める基盤が、東京と大阪の並走によって築かれた時期である。

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1878年5月 東京株式取引所が設立免許を取得(東京証券取引所の前身)
    • [2]1878年6月 大阪株式取引所が設立免許を取得(大阪証券取引所の前身)
    • [3]1949年4月 会員組織として東京証券取引所・大阪証券取引所が設立
    • [4]1949年5月 株券の売買を開始
    • [5]1956年4月 債券市場を開設(東京・大阪両取引所)/1961年10月 市場第二部制度を導入
    • [6]1966年10月 東証 国債市場開設/1970年5月 東証 転換社債市場開設/1973年12月 東証 外国株市場開設

1969年7月、東京証券取引所株価指数(TOPIX)の算出[7]・公表が始まり、日本株市場を代表する指数として国内外の投資家に定着した。大阪証券取引所は1980年代前半、上場基準を緩和した新2部市場を設け[8]、銀行借り入れや時価発行増資で大企業に劣後していた中堅・中小企業に株式市場への道を開いた。当時の理事長・山内宏は、投資家保護と自己責任の意識がまだ追いつかない段階で米ナスダックのような市場をいきなり作るのは時期尚早と判断し[9]、中小企業の資金調達を支えるという現実的な役割に新2部の狙いを絞り込んだ。1985年10月、東京証券取引所が国債先物市場を開設、1988年9月には東京・大阪両取引所[10]がそれぞれ株価指数先物市場を開設した。

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1969年7月 東証株価指数(TOPIX)の算出・公表開始
    • [10]1988年9月 東京・大阪両取引所が株価指数先物市場を開設
  • 日経ビジネス(1986年11月17日号)
    • [8]大阪証券取引所は1980年代前半、上場基準を緩和した新2部市場を設置(中堅・中小企業の株式市場参加を支援)
    • [9]当時の大証理事長・山内宏がナスダック型市場を時期尚早と判断し、新2部の狙いを中小企業の資金調達支援に絞った

大証が導入した日経平均株価先物は開設半年足らずで1日平均売買金額が現物市場の5、6倍に達し、東証のTOPIX先物をも上回る規模に育ち[11]、山内は『大証の存在意義は新しい試みへの挑戦の場であり続けることにある』[引用元]との考えで先物・オプションへの傾斜を進めた。翌1989年、大阪証券取引所が日経225オプション市場を、10月に東京証券取引所が株価指数[12]オプション市場を開いた。1990年5月には東京証券取引所が国債先物オプション市場[13]を立ち上げた。現物・債券・デリバティブが同じ資本市場インフラに並ぶ構造を、両取引所が10年弱で整えた。デリバティブ市場の整備は機関投資家のリスクヘッジ需要に応じた動きで、海外勢を東京・大阪の市場へ呼び込む下地ともなった。とりわけ大阪は日経225オプションの先行で派生商品の存在感を高めていた。

  • 日経ビジネス(1989年2月27日号)
    • [11]大証の日経平均株価先物は開設半年足らずで1日平均売買金額が現物市場の5〜6倍に達し、東証TOPIX先物を上回る規模に育った
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1989年6月 大証が日経225オプション(株価指数オプション)市場を開設/同年10月 東証が株価指数オプション市場を開設
    • [13]1990年5月 東証 国債先物オプション市場を開設
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1878年5月 東京株式取引所が設立免許を取得(東京証券取引所の前身)
    • [2]1878年6月 大阪株式取引所が設立免許を取得(大阪証券取引所の前身)
    • [3]1949年4月 会員組織として東京証券取引所・大阪証券取引所が設立
    • [4]1949年5月 株券の売買を開始
    • [5]1956年4月 債券市場を開設(東京・大阪両取引所)/1961年10月 市場第二部制度を導入
    • [6]1966年10月 東証 国債市場開設/1970年5月 東証 転換社債市場開設/1973年12月 東証 外国株市場開設
    • [7]1969年7月 東証株価指数(TOPIX)の算出・公表開始
    • [10]1988年9月 東京・大阪両取引所が株価指数先物市場を開設
    • [12]1989年6月 大証が日経225オプション(株価指数オプション)市場を開設/同年10月 東証が株価指数オプション市場を開設
    • [13]1990年5月 東証 国債先物オプション市場を開設
  • 日経ビジネス(1986年11月17日号)
    • [8]大阪証券取引所は1980年代前半、上場基準を緩和した新2部市場を設置(中堅・中小企業の株式市場参加を支援)
    • [9]当時の大証理事長・山内宏がナスダック型市場を時期尚早と判断し、新2部の狙いを中小企業の資金調達支援に絞った
  • 日経ビジネス(1989年2月27日号)
    • [11]大証の日経平均株価先物は開設半年足らずで1日平均売買金額が現物市場の5〜6倍に達し、東証TOPIX先物を上回る規模に育った

立会場閉鎖と大証の電子取引システム構想

1990年代後半、情報システムの処理性能向上と通信回線の高度化により、取引所は物理的な立会場から電子プラットフォームへ移行した。1997年11月、東京証券取引所が株券・転換社債券にかかる立会外取引制度を導入した[14]。1998年7月には適時開示情報伝達システムTDnetを稼働させ[15]、国内の取引所間競争にとどまらずグローバル競争に耐える市場、海外のどこからでもアクセスできる体制づくりを進めた。

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1997年11月 東証が株券・転換社債券に係る立会外取引制度を導入
    • [15]1998年7月 東証 TDnet(適時開示情報伝達システム)を稼働

1999年4月に東京証券取引所が株券売買立会場を閉場、同年7月には大阪証券取引所も立会場を廃止し[16]、売買の現場を支えてきた物理空間としての立会場は、開設以来続いた約1世紀の歴史をここで閉じた。東京・大阪のいずれもが、電子取引のインフラとシステム運用を中核に据える組織へ性格を切り替えた。仲立人の身ぶりや声を媒介とする市場から、注文と約定をすべて電子データとして処理する市場への移行であり、取引所自身の主要なコストもシステム投資の側へ寄せられた。

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1999年4月 東証が株券売買立会場を閉場/同年7月 大証が立会場を廃止
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1997年11月 東証が株券・転換社債券に係る立会外取引制度を導入
    • [15]1998年7月 東証 TDnet(適時開示情報伝達システム)を稼働
    • [16]1999年4月 東証が株券売買立会場を閉場/同年7月 大証が立会場を廃止

東西で分かれた新興市場をめぐる競争

1999年11月、東京証券取引所は新興企業向け市場『マザーズ』を開設し[17]、新興企業の直接的な資金調達の場を国内取引所の内部にはじめて設けた。翌2000年5月に大阪証券取引所がナスダック・ジャパン市場を開設し(2002年12月にヘラクレスへ改称[18])、米ナスダックとの連携を軸とする新興市場の競争が国内で始まった。開設に至る交渉は難航し、同年3月には大蔵省出身の副理事長が理事会の承認を経ずに関連会社12社を設立して資金を流用していた問題が表面化、地場証券出身の理事会メンバーの突き上げで理事長・副理事長が退任に追い込まれた[19]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1999年11月 東証が新興企業向け市場「マザーズ」を開設
    • [18]2000年5月 大証がナスダック・ジャパン市場を開設/2002年12月にヘラクレスへ改称
  • 日経ビジネス(2000年10月16日号)
    • [19]2000年3月 大蔵省出身副理事長の関連会社無断設立・資金流用問題が表面化し、大証理事長・副理事長が退任

同年6月、民間出身では23年ぶりとなる巽悟朗が後任理事長に就任し[20]、決裂寸前だった交渉の場で『電卓を置け』と一喝して合意をまとめさせた経緯が、この新興市場開設の裏にあった。2000年3月に東京証券取引所が広島・新潟両証券取引所と合併[21]、2001年3月には大阪証券取引所が京都証券取引所と合併し[22]、地方取引所の統合も並行して進んだ。新興市場の受け皿と地方拠点の集約をめぐる東西の対抗関係が、組織再編の論点として輪郭を現した。新興市場と地方拠点の取り合いは、のちの統合交渉の前史として残る論点となった。

  • 日経ビジネス(2000年10月16日号)
    • [20]2000年6月 巽悟朗が民間出身では23年ぶりとなる大証理事長に就任、ナスダック・ジャパン交渉で合意をまとめた
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [21]2000年3月 東証が広島・新潟両証券取引所と合併
    • [22]2001年3月 大証が京都証券取引所と合併
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1999年11月 東証が新興企業向け市場「マザーズ」を開設
    • [18]2000年5月 大証がナスダック・ジャパン市場を開設/2002年12月にヘラクレスへ改称
    • [21]2000年3月 東証が広島・新潟両証券取引所と合併
    • [22]2001年3月 大証が京都証券取引所と合併
  • 日経ビジネス(2000年10月16日号)
    • [19]2000年3月 大蔵省出身副理事長の関連会社無断設立・資金流用問題が表面化し、大証理事長・副理事長が退任
    • [20]2000年6月 巽悟朗が民間出身では23年ぶりとなる大証理事長に就任、ナスダック・ジャパン交渉で合意をまとめた

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日本取引所グループの沿革1878〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1878〜2000年1878年の免許から電子取引所への転換まで東京株式取引所設立免許
大阪株式取引所設立免許
会員組織として東京・大阪証券取引所が設立
株券の売買を開始
債券市場を開設
市場第二部制度を導入
東京証券取引所、国債市場を開設
東京証券取引所株価指数(TOPIX)算出開始
東京証券取引所、国債先物市場を開設★★
株価指数先物市場を開設
大阪証券取引所、株価指数オプション市場を開設
東京証券取引所、TDnet稼働
東京証券取引所、株券売買立会場を閉場★★
大阪証券取引所、立会場廃止
東京証券取引所、新興企業向け市場「マザーズ」を開設★★
大阪証券取引所、ナスダック・ジャパン市場を開設
2001〜2014年東証・大証統合で日本取引所グループが誕生大阪証券取引所、会員組織からに組織変更
東京証券取引所、会員組織からに組織変更★★
米田道生東京証券取引所グループ設立
米田道生ジャスダック証券取引所の公開買付けによる子会社化と新興市場の統合

2008年12月、大阪証券取引所が株式会社ジャスダック証券取引所の株式76.1%を公開買付け(TOB)で取得して子会社化し、2010年4月に吸収合併したうえで、同年10月に自社のヘラクレスやNEOと統合して新たなJASDAQ市場を開設した一連の経営判断。米田道生社長のもとで進められた。

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★★★
米田道生東京証券取引所、現物取引システム「arrowhead」稼働
米田道生大阪証券取引所とジャスダック証券取引所が合併
斉藤惇東京証券取引所グループと大阪証券取引所の経営統合による日本取引所グループの発足

2011年11月に基本合意し、2012年8月の公開買付けを経て2013年1月1日に東京証券取引所グループと大阪証券取引所が合併し、日本取引所グループ(JPX)が発足した経営統合。法的な存続会社は大阪証券取引所で、初代グループCEOには斉藤惇氏が就いた。

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★★★
2015〜2024年新市場区分への再編とROE18%目標を掲げる取引所清田瞭清田瞭がグループCEOに就任
清田瞭東京商品取引所の公開買付完了★★
清田瞭東京証券取引所の新市場区分開始★★
山道裕己山道裕己がグループCEOに就任
山道裕己東京証券取引所社員のインサイダー取引規制違反疑いで監視委調査
山道裕己FY24(2025年3月期)当期利益610億円で2期連続過去最高
出典・参考
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス(1986年11月17日号)
  • 日経ビジネス(1989年2月27日号)
  • 日経ビジネス(2000年10月16日号)

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