ジャスダック証券取引所の公開買付けによる子会社化と新興市場の統合
東証主導の再編に先んじて、大阪証券取引所は新興市場の主導権をどう握ろうとしたか
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- 概要
- 2008年12月、大阪証券取引所が株式会社ジャスダック証券取引所の株式76.1%を公開買付け(TOB)で取得して子会社化し、2010年4月に吸収合併したうえで、同年10月に自社のヘラクレスやNEOと統合して新たなJASDAQ市場を開設した一連の経営判断。米田道生社長のもとで進められた。
- 背景
- 新興市場は東証マザーズ・大証ヘラクレス・ジャスダックが並び立って競合し、大証は現物株市場の地盤沈下と、東証が主導する取引所再編への警戒を抱えていた。前理事長の巽悟朗氏の時代から、新興市場を束ねる構想が繰り返し模索されていた。
- 内容
- 日本証券業協会などが約7割を保有していたジャスダック株を公開買付けで取得し、76.1%を押さえて子会社化した。売買システムを大証のものへ一本化したのち全株式を取得して完全子会社化し、吸収合併と市場統合まで一気に進めた。
- 含意
- デリバティブで稼ぐ大証が、現物・新興市場での主導権を握るための布石であった。もっとも2013年に東証と経営統合して日本取引所グループが発足すると、対抗していた両者は同じ傘のもとに収斂していった。
対抗軸が、同じ傘に収まるまで
この買収は、東証主導の再編を待つのではなく、地盤沈下の続く現物・新興市場で自ら主導権を取りに行った一手として読める。デリバティブで稼ぐという確かな足場を持つがゆえに、大証は現物の弱さを補う相手を選び、市場インフラの統一まで踏み込んで統合をやり切ることができた。乱立した新興市場を一つへ束ねた点で、この判断は当時の証券市場が抱えていた重複と非効率に対する、大証なりの回答であったとみることができる。
もっとも、取引所同士の競争は、国内での主導権争いの先に、もう一段の再編を控えていた。国際的な地位の低下という共通の危機感を前に、対抗軸であったはずの東証と大証は2013年に経営統合し、日本取引所グループの傘下へともに収まっていった。大証が新興市場で握った主導権は、より大きな再編のなかへ吸い込まれていったともいえる。一つの市場を束ねる判断が、次の統合の布石にもなっていく——取引所という装置の再編は、どこかで完結するというより、環境の変化に押されて続いていくものなのかもしれない。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
三つ巴の新興市場と現物株の地盤沈下
2000年代前半の新興企業向け市場は、東証マザーズ、大証ヘラクレス、そしてジャスダックが並び立ち、上場をめぐって競い合っていた。そのなかで大証は大きく水をあけられていた。2003年の新規上場は、11月末の時点でヘラクレスが7件だったのに対し、東証マザーズは25件、ジャスダックは50件に達していた。米ナスダックとの提携解消が痛手となり、新興市場での存在感が薄れていた[1]。
さらに深刻だったのは、大黒柱である大証1部・2部で、東京証券取引所との重複上場の廃止が相次いでいたことである。現物株の扱いが細っていく一方で、大証は日経225先物・オプションなどデリバティブ取引が活況を呈しており、そちらで収益を支えていた。稼ぎ頭のデリバティブに現物・新興市場の弱さが重なる構図が、この時期の大証の姿であった[2]。
巽悟朗が描いた統合構想と東証への警戒
新興市場を束ねる構想は、この買収の数年前から大証の内側にあった。2003年12月、大証はジャスダックの母体である日本証券業協会に対し、ヘラクレスとジャスダックの新興市場統合を申し入れる方針を明らかにした。ちょうど自社株式の上場申請を決議した時期で、大証を変革してきたカリスマ、巽悟朗社長が病を押して主導していた。翌2004年4月、大証は自社株をヘラクレス市場に上場し、株式会社として市場再編に動ける足場を整えた[3]。
この申し入れの底には、東証主導の再編を警戒する意図があった。証券界には、東証マザーズを含む新興市場はジャスダックを軸に一つへ収斂すべきだという声が強く、時期は東証が株式上場する2005年度以降という空気が支配的であった。大証は現物株の地盤沈下が続くなかで、東証主導の流れに待ったをかけ、自陣に有利な形へ再編を導こうと、早めに統合構想を関係者へ根回しし始めていたとみられる[4]。
決断
2007年末に浮上した買収観測
2007年12月、大阪証券取引所によるジャスダック証券取引所の買収観測が表面化した。表向きは両社とも否定したものの、国内証券取引所の再編の必要性はかねて語られてきた。大証はこれまで日経225先物などデリバティブ取引の強化策を進めて成果を上げており、現物株についてはヘラクレス市場を前面に押し出して、東証への対抗軸としての地位を守りたい考えであった。ジャスダックの買収は、この路線の延長線上にあった[5]。
相手方のジャスダックは、この2007年9月中間期に営業赤字へ転落し、経営は苦しくなっていた。株式の約7割を握る日本証券業協会は、ほかの取引所との統合も選択肢に将来構想を検討中で、12月20日をめどに結論を出すとしていた。売り手側が身の振り方を決めかねるなかで、大証は買い手として名乗りを上げた。単独での生き残りにこだわるジャスダックとの間合いを、大証は静かに詰めていったとみられる[6]。
公開買付けによる子会社化
観測から一年を経た2008年12月、大阪証券取引所は日本証券業協会などが保有するジャスダック証券取引所株式を公開買付け(TOB)で取得し、同社を子会社とした。取得した比率は76.1%であった。単独での生き残りを模索していたジャスダックは、こうして大証の傘下に入り、新興企業向け市場をめぐる勢力図は大証を軸に一気に塗り替わった[7]。
子会社化に続いて、大証は統合の実務を段階的に進めた。2009年9月には、ジャスダックが独自に構築してきた売買システムを終了させ、ジャスダックの取引を大証の売買システムへ一本化した。二つの市場を一つの基盤に載せ替えるこの作業は、その後の吸収合併と市場統合の下ごしらえにあたるものであった。買収は所有権の移転にとどまらず、市場インフラの統一を伴う地道な工程として進んでいった[8]。
結果
完全子会社化から吸収合併と市場統合へ
売買システムの一本化を経て、大証はジャスダック証券取引所の全株式を取得して完全子会社とし、2010年4月にこれを吸収合併して経営統合を完了した。買収観測が浮上してからおよそ二年半、公開買付けによる子会社化から数えても一年余りで、独立した二つの取引所は一つの法人へと姿を変えた。デリバティブに強い大証が、現物・新興市場の運営基盤を自らのもとへ束ねる構図が、ここでかたちになった[9]。
統合の総仕上げは、同じ2010年の10月に訪れた。大証は自社のニッポン・ニュー・マーケット-「ヘラクレス」とNEO、そしてジャスダックが開設していたJASDAQおよびNEOを一つに束ね、新たなJASDAQ市場を開設した。これにより、乱立していた新興企業向け市場は大証のもとで整理され、上場企業1000社を超える規模の市場が生まれた。2003年に巽悟朗社長が申し入れた新興市場統合の構想は、およそ7年を経てここに結実したとみることができる[10]。
- 週刊東洋経済 2003年12月27日号「大阪証券取引所の賭け『カリスマ巽』の乾坤一擲 新興市場統合に勝機あり?」
- 週刊東洋経済 2007年12月8日号「ニュース最前線 大阪証券取引所がジャスダック買収か」
- 週刊東洋経済 2011年11月29日号「取引所 東証・大証統合でも世界上位とはなお乖離」
- 日本取引所グループ「沿革(大阪取引所)」https://www.jpx.co.jp/corporate/about-jpx/history/02-01.html
- 日本取引所グループ「ジャスダック証券取引所の沿革」https://www.jpx.co.jp/corporate/about-jpx/history/02-04.html