上場企業の経営論点>事業モデル転換
収益モデルの転換
収益モデルを組み替えた企業は、いま受け取れる代金を自ら手放している。三浦工業は1972年にボイラーの保守を有料の継続契約へ切り替え、機器の売り切り益を保守料の積み上げへ置き換えた。任天堂は1983年に本体価格を抑えてソフトで回収する設計を選び、シスメックスは1985年に装置ではなく試薬で稼ぐ売り方を確立した。手数料を取る側でも同じ転換が起きている。松井証券は1999年に定額のボックスレートで当初案の7割引を9割引まで下げ、SBIホールディングスは2023年に国内株式売買手数料を恒久的に無料化した。LINEヤフーは2013年に出店料そのものを手放し、広告と決済で取り返す構成へ移った。オービックビジネスコンサルタントの「奉行クラウド」に至っては、買い切りの代金を月額へ分解している。売上が立つ時点は、代金を受け取る瞬間から契約が続く期間へ動いた。
財務諸表のどこを見るか
損益計算書ではなく、収益認識に関する注記から読む。収益を一時点で移転する財と一定の期間にわたり移転する財に分けた表があり、後者の比率が上がっていれば継続課金へ移りつつある。貸借対照表では契約負債(前受金)の残高と回転期間を追う。代金を先に受け取って役務を後から提供する構造なら、契約負債は売上より先に積み上がる。あわせて売上高の内訳で製品と保守・サービスの比率、売上総利益率の水準変化を見る。売り切りをやめた年は、売上高が一度落ちて利益率が上がる。
2020年代
スキマワークス買収 全株式の取得による、物流倉庫の業務請負分野への進出 不動産小口化商品の販売停止 令和8年度税制改正大綱を受けた主力商品からの撤収と、保有者への特別解約措置 PDハウスの不正請求発覚 受けた中期経営計画の取り下げと訪問看護体制の全面見直し 資産管理型ビジネスへの転換 単品売買モデルとの決別と、顧客の資産価値最大化への軸足の移動 みずほ等3行から借入 無担保・無保証の銀行借入による運転資金の調達と累計403億円の資金構成 商号をSWCCに変更 純粋持株会社体制の解消と、旧社名を捨てた事業会社への回帰 「ゼロ革命」で手数料無料化 オンラインの国内株式売買手数料を手放し、金融収益と口座数で取り返す NTTドコモとの共同持株会社 設立と、マネックス証券の持分法適用会社化 PDRファーマの子会社化 富士フイルム富山化学から引き継ぐ放射性医薬品事業の取得 BluStellar戦略へ転換 ハード売り切りからの脱却と、再成長に向けた事業モデルの組み替え Uvance戦略で事業転換 事業モデルの再定義と、DX企業への立ち位置の置き換え 西山隆一郎への社長交代 新型コロナ禍の純損失723億円を機とした社長交代と「保有と運営の分離」の始動 スペースクリエーション企業へ転換 長期ビジョン「DESIGN 2030」に掲げた事業領域の転換宣言 パワーグリッドとミライズへ分社 送配電・小売の分社化と持株会社体制への移行
2010年代
三井物産と海外合弁 商社との合弁による海外メンテナンスの段階展開 国内店舗の2割削減 対面営業モデルの転換と、ウェルス・マネジメントへの構造改革 「奉行クラウド」投入 完全SaaS型への移行による、買い切り型から継続収益型への収益構造の入れ替え にじさんじの運営に転換 アプリ事業から所属ライバーの運営へ——創業1年での主力事業の入れ替え 「ソリューションSoC」転換 汎用ASSPの切り捨てと、顧客ごとのカスタム設計専業への絞り込み 豪ブラッドケンの買収 鉱山機械への本格参入と、米H-Eパーツも交えた消耗部品事業の獲得 RE ENGINEの内製化 開発基盤の自前化とデジタル・DLC販売への構造転換 「シェアリングデリバリー」開始 注文の取次にとどまらず配達まで担う、事業範囲の拡大 HRMOSの投入とSaaS多角化 隣接市場への広がりによる成功報酬型からの収益源の分散 阿部義之への社長交代 上場直後の減益を受けた社長交代と、採用数と単価を同時に上げる成長モデルへの転換 ずっともプランで電力参入 電力小売全面自由化に合わせた家庭向け低圧電力販売への参入とガス・電気のセット販売 名古屋茶屋店を開業 大型ワンストップ店フォーマットへの転換と、借入による規模拡大 バーバリーライセンス喪失 独占ライセンスの失効と、自社企画ブランドへの売場転換 ミスターミニット買収 創業50周年を機に踏み切った、スーツ一本足からの脱却 青井浩の定期借家方式へ転換 消化仕入れから定期借家への小売業態転換と「売らない店」への転換 小島秀夫氏の退社と小島プロ解散 看板クリエイターの離脱と、モバイル収益重視への経営資源の再配分 テスラとの車載電池協業 ギガファクトリーへ生産設備ごと踏み込み、電池の主力を家電向けから自動車向けへ移す リーマン後の事業投資転換 リース・融資という金融の型を捨て、自己資金を投じる側への立ち位置の移行 江戸橋倉庫ビルの用途転換 日本橋の物流拠点を建て替え、賃貸オフィスとして収益を得る形への切り替え 虎ノ門ヒルズ森タワーの竣工 立体道路制度を使った環状第二号線上空への超高層建設 クラウド会計への参入 個人向け一本足からの脱却と法人向けという二本目の柱の確立 マザーズ上場 創業7年での公開と、製薬大手への技術提供を収益源に据える体制 eコマース革命で出店料無料化 出店料収入を自ら手放すことと引き換えの、収益構造そのものの転換 「一日信用取引」導入 デイトレード限定の商品投入による、委託手数料に依存しない収益構造への移行 LNG船・長期契約へ転換 スポット運賃で稼ぐ不定期船経営からの脱却と、収益構造の安定化 iPhoneの取り扱い開始 自前の端末ラインアップで囲い込む方針を解き、AndroidとiOSの二本立てへ転じた 銚子風力開発へ出資 風力発電会社への資本参加による、発電事業そのものへの進出 パズル&ドラゴンズ投入 自社で開発したオリジナルIPによる新規タイトルの投入 法人ストック型への転換 フロー型のISP接続に依存した収益構造からの脱却と事業モデルの組み替え ViiVへHIV事業移転 合弁持分を手放す代わりに受け取った相手方株式10%の保有 サンケイビルの子会社化 都市開発と観光を第二の柱とする、放送一本の収益構成の組み替え タブレット教育スマイルゼミ投入 売り切りのソフト販売から家庭向け通信教育への事業の組み替え 本庄工場をEMSに転換 閉鎖寸前だった生産拠点の受託生産化と、他社工場を買う側への転身 石狩データセンター建設 都市型の立地を捨てて郊外型の大規模拠点へ切り替える選択 米BMSと抗PD-1抗体提携 北米以外・日韓台を除く全世界の開発販売権を委ね、対価をロイヤルティで受け取る道を選んだ 上西京一郎の入園料引き上げ 入園者数の成長から客単価の成長への転換と入園料の段階的な引き上げ SPC評価損で畑中誠辞任 出資SPCの評価損の一括計上による純損失717億円と、再開発・物件売却を両輪とする収益構造への組み替え 三菱商事・日揮の資本参加 環境・水処理事業の分社再編と、水事業子会社 IP軸戦略への転換 作品の権利そのものを事業の軸に据える経営方針への切り替え
2000年代
怪盗ロワイヤルの課金転換 広告収入に頼るモデルからアイテム課金へと収益の柱を移す転換 ファンド組成型への転換 投資規律の厳格化と、株式市況に左右されない収益構造への組み替え マツダレンタカー取得 レンタカー事業の取り込みによるモビリティ事業への参入 ジークレストを完全子会社化 オンラインゲーム子会社の全株取得による課金事業の取り込み MR.MEN取得と欧米ライセンス転換 国内物販で稼ぐ会社から、欧米でロイヤリティを取る会社への組み替え セレキシパグをアクテリオンへ導出 日本を除く全世界の開発販売権を他社へ委ねるという選択 赤坂サカスの開業 赤坂再開発による不動産事業化 フランチャイズ転換 直営店の加盟店への移管と、店舗資産を抱えない体質への転換 カイテキオリゴ軸のD2C転換 わけあり物産ECからの撤退と、自社開発品を売るメーカー型への移行 Will会計で収益構造改革 市況の谷でも黒字を保つ収益構造への作り替えと、経費管理レベルの導入 ケンブリッジの買収 ネットマークスへのTOBと合わせたサービス事業への転換 UFJセントラルリースとの合併 合併による三菱UFJリースの発足 エポスカードで金融転換 グレーゾーン金利への依存からの脱却と、カード事業を軸とした業態の組み替え クロスセル導入 車を売って終わりにせず保険・整備まで束ねる生涯顧客化への転換 日本郵政公社の投資信託募集業務開始 集めて運用するだけの稼ぎ方に、窓口で他社の商品を売って手数料を取る道を足した転換 アメーバブログ開始 ブログサービスの立ち上げによるメディア事業への参入 高速多機能装着機NXT開発 モジュール型を軸に据えた次世代機への設計転換 三事業一体での日本郵政公社発足 事業別の分割も株式会社化も先送りし、国の直営を独立採算の公社へ移した器の組み替え 黒川博昭氏の構造改革 連結最終赤字3,825億円からの再建 メンズ館の全面改装 新宿本店ブランド区画の撤去、本館改装への150億円の投入 OA機器販売への転換 社債償還危機下の有利子負債圧縮と収益源の入れ替え 六本木ヒルズの竣工 用地の自社取得から地権者参画・床売却への切り替え フランチャイズ型へ転換 出店料を固定で取る料金体系との決別による、出店者との取り分の組み替え 自主企画レーベルで東証上場 複数レーベルの併走と、デザイン主体の商品づくりへの移行 DLJ破談後の信用取引参入 顧客保護を理由に見送ってきた貸株サービスの開始 リロケーション・ジャパン転貸開始 借上社宅の転貸事業への進出 創建ビルド取得で自社開発へ 仲介専業から自社土地仕入・建物建築への転換 Yahoo!BB参入 回線を持たずブランドと集客を出し、ISP料金の一部と加入インセンティブを得る アイワイバンク銀行設立 金利差ではなくATM受入手数料を収益の柱に据えた銀行の設計 福島総合計算センターの子会社化 地域の計算センターの取り込みと、運用受託部門の切り出し エコセメントを事業化 都市ごみ・産業廃棄物の受け入れによる廃棄物処理事業の確立
1990年代
「とりどーる」へ転換 洋風居酒屋から和風焼き鳥ファミリーダイニングへの業態転換 「ボックスレート」導入 定額制手数料への転換と、当初案7割引から9割引への引き下げ ポケモン社の共同設立 共同出資による作品管理会社の設立と、IP経営への移行 高輪物件のSPC第1号登録 SPC法施行直後の国内第1号登録取得と、不動産証券化・資産運用事業への進出 桐生市で中古住宅再生に参入 改正民事執行法を機に競売物件の中古住宅再生事業を立ち上げ 国際電信電話法の廃止 根拠法の消滅に伴う特殊会社の立場からの離脱と一民間企業への移行 SPD主体へ転換 医療コンサルと写真フィルム販売から、院内物流代行を主軸とする体制への転換 スイス銀行との資本提携 業務・資本の両面で組む投資銀行への転換と、住友信託銀行への合併申し入れ プロダクトマネジャー制導入 商品ごとに責任者を置く体制づくりを通じた、事業運営の方針転換 高司店で1皿100円均一開始 兵庫県宝塚市の1店舗から始めた均一価格業態への全面移行 東京ディズニーシーの建設決定 既存パークの増設ではなく、第2パークとホテル・モノレールの同時建設で滞在型リゾートへ移る選択 ジェイアール九州リーテイル設立 駅ビル・不動産・流通・介護へ広げた非鉄道事業の構築 ノース・フェイス商標取得 日本と韓国という二つの市場を対象とした商標権の確保 大型SC開発に多角化 郊外大型ショッピングセンターの本格展開とデベロッパー事業への多角化 京王百貨店の構造改革 自主MD化と専門大店化 HITSHOP展開を開始 携帯電話の売切り制移行を機とした販売代理店事業への本格参入とコミッション収益モデルの確立 「福利厚生倶楽部」開始 企業の福利厚生を代行する新事業による、第二の収益の柱づくり 商用ISPの創業 該当する事業者が一社も存在しない国内市場での事業の立ち上げ タイムズ運営への転換 駐車場機器の販売代理店から無人時間貸駐車場の運営者への転身 秋山富一の総合事業会社構想 「総合事業会社構想」——トレーディング依存から 加工ソフト組込みへ転換 加工機単体の販売からの離脱と、システム販売への移行
1980年代
システム物流・3PLへ転換 冷蔵倉庫の保管業を脱し、物流を丸ごと請け負う側への業態転換 造注路線への機構改革 支店へ委ねた権限の本社への引き戻しと、受注待ちの請負体質を改める組織の組み替え 大東建託へ社名変更 土地活用を軸とする事業モデルの確立と、それを掲げた社名への刷新 「丸の内マンハッタン化計画」 構想発表と、初代丸ビルの建て替えによる複合都市への転換 サクセス90の発売 電気炊飯ジャーを低価格路線から高級品路線へ切り替える商品戦略の転換 オーナーシステムの導入 直営店を独立採算の販売委託店へ切り替える運営方式への転換 和歌山で電力卸売に参入 経営会議の組織風土の立て直しと、遊休地を収益源に変える新規事業の立ち上げ イ・アイ・イへの支援打ち切り 取引開始から深入りし、1993年に至って関係を断つまでの経緯 機器・試薬セット販売 装置単体ではなく「計数結果を売る会社」への業態の設計 土地信託の受託第1号 国内初の事例を手がけたことによる、公有地分野への足がかりの獲得 ファミコンの発売 本体を低価格に抑え、ソフトで稼ぐ家庭用ゲーム機の収益モデルへの転換 セブンーイレブン方式導入 業務改革(業革)の開始と、単品管理・仮説検証の本体への持ち込み エニックスへ商号変更 開発部門を持たない出版社型モデルの採用と、外部作者との提携
1970年代
昭島の米軍返還地を賃貸 米軍返還地・約40万坪の分譲の不採用と、不動産賃貸業への進出 ムーブメントの外販開始 腕時計の心臓部を他社へも売り、量産で世界一を取る戦略への転換 "犬神家の一族"で映画参入 東宝と提携した劇場映画の製作による映画事業への参入 セブンイレブンの創業 米国から持ち帰った小型店をフランチャイズ方式で広げる展開 アクアメディア社から技術導入 米GE製ろ過膜の輸入販売から超純水製造システムへの転換 ハローキティの誕生 自社キャラクターを版権で稼ぐライセンスモデルの確立 EH型発売とメンテ有料化 機器の売り切りから、保守料を積み上げる継続収益モデルへの転換 秋田製錬所を設立 臨海型の亜鉛拠点の新設と、自山鉱から輸入鉱への原料の切り替え
1960年代
ブルネイLNG開発参画 資源開発への参画を通じた、商いから事業投資への転換 ファッションビル運営へ転換 百貨店業からの撤退と、専門店に場所を貸す商売への転換 山本源左衛門の積立保険発売 掛け捨ての補償に貯蓄性を足した長期商品への踏み出し フィリップスと特許契約 カセットテープ参入とSDカセットによる自社ブランドの世界展開 「SPアラーム」の開発 人海警備から機械警備へ、日本初のオンライン安全システムによる転換 東京音楽出版の設立 放送局系列の音楽出版会社への楽曲著作権譲渡の不採用 大塚製薬の分社設立 医薬品事業を切り出して据えた二階建ての事業モデルの構築 チキンラーメンの発明 製法特許を武器とした、即席麺市場の主導権の掌握 「企業への招待」創刊 就職情報誌という新たな媒体の立ち上げ